三野定の

「わが青春のビルマ」【28

 

 

 

六、ミンガラドン・キャンプ

*雑役の日々(続きです)

 々、ビルマ人軍属がこれこれの木材を揃えてくれ、と指示することがあった。昼過ぎ頃にトラックがくると、これに用意した木材を積み、数名の荷役要員を乗せて、材料廠から出ていくのである。私も何度か一緒に行ったことがあったが、ラングーンの街中の材木屋で荷を卸すと、これで当日の作業は終わりで、私達はキャンプに帰っていいのである。この軍属の行動はどうも臭い、と私も感じていたら、或る兵隊が「あいつは材木の横流しをやっているんですよ。怪しからんじゃないですか?」と言ってきた。「しかし、我々とは関係ないよ。作業が早く終われば、楽でいいじゃないか。」と私は彼を宥めた。「そりゃあそうですが、少ししゃくです。煙草ぐらい貰えませんか?」という。次ぎの日に同じような仕事を指示されたので、「兵隊が煙草を欲しがってるが、少し呉れぬか?」とビルマ人軍属にいってみたら、すぐにプレイヤーズの五十本入りを十缶持って来て呉れた。これをみんなに分配してやったら一応みんなの気持はおさまった。

 セメント倉庫を建ててくれ、という命令を受けたことがあった。倉庫といっても、セメントを一時積んで置くだけの簡単な小屋に過ぎないが、久し振りの技術的な仕事でみんな張り切った。私が図面を描いて、必要な材料を買い、建築もなんなく仕上げたが、それが終わると、なんとその中に入れるセメントの荷役をやらされたのには参った。

 小さな駅の傍であって、貨車から袋詰めのセメントを担いで倉庫に運ぶ作業は幾日もかかった。袋詰めといっても、どうしてもセメントは身体につき、顔も白くなるのである。しかも、その化学成分が肌を荒らすことになる。だから、一日の作業が終わると、駅にある機関車への給水塔の下にいって、水浴びをしなければならなかった。

 兵隊だけにやらせる訳に行かないので、私もセメント担ぎをやったが、やっぱり要領が悪かったのか、ある日担ごうとして腰を入れた途端に、腰がガクッとなって、つまりギックリ腰というのではないかと思うのだが、立てなくなってしまい、数日間寝て暮らすことになってしまった。土の上にテントを敷いただけでは良くないと心配した兵隊諸君が、麻袋を繋ぎあわせた中に藁を詰めて藁布団を作ってくれたのは、嬉しくて涙が出た。これはとても具合いがよく、間もなく私のギックリ腰もなおった。

 毎日の作業から帰っても、風呂という訳ににはいかない。キャンプの中に大きな穴を掘ってキャンバスを張ったプールがあり、そこへ水浴に行った。着替えのふんどしと石鹸を持って行くのだが、タオルや手拭がない。水浴場では、まず締めているふんどしを洗う。そしてそのふんどしを使って身体を洗い且つ拭くと、持っていった乾いたふんどしを締めて帰って来る。つまり、洗濯と水浴を一緒に済ますのであった。夕暮の落ちかけた太陽の下を、自分の幕舎に戻ってくる時、つくづく戦争の終わったことを感じたものである。

(この段終わり)

 

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つこいけれど…

ブーゲンビリアです。

 

花が一つポチっとついています。

南向きのベランダなので、

この時期になると陽があまり射しません。

そのせいなのか、花が咲きません。

 

 

みっしりと・・・

 

満開です飛び出すハート

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お付き合いいただき

コアラありがとうございました。