三野の戦記

「わが青春のビルマ」【14

 

四、ルビー

*戦争の神様

 Nさんは、兵隊から「戦争の神様」といわれていた。Nさんは准尉だったが、Nさんの部下となってついて行くと、滅多にやられるようなことはない、というのである。

 たとえば、斥候に出されて山道を歩いているとしよう。そこに、敵からライフルで撃ち込まれたら、どうすればよいか。言うまでもなく、敵に対して身を隠さねばならないが、その敵がどの方向から撃って来たかをとっさに判断して、すばやく、しかも効果的な隠れ方をしないとやられてしまう。このとっさの判断は、結局、経験で培った勘によるしかないのである。Nさんはその勘が鋭く、的確に敵の方角を感知して、自らも部下の兵隊も遮蔽物の陰に入れさせることが出来た。

 また、これは私達も直接見たことだが、敵情のよく分からぬ地域を進むうちに道路の分岐点に来て、進路の選択に迷ったことがあった。私達は先を急いでおり、敵と戦闘することが狙いではなかったので、Nさんの判断を求めた。彼はちょっと首を傾げていたが、「こっちがよかろう。」と言ったので、右の道を進んだところ、無事に進むことができた。偵察の結果が間もなく分ったが、左の道の方には敵軍が待ちうけていたのであった。これなど何の科学的根拠もないのだが、こんな時の彼の勘はすごく当たった。

 私達の師団の主力がフーコン谷地の作戦に出掛けた時、Nさんはミイトキーナに残されたが、そのためミイトキーナで米支軍の包囲攻撃をうけ、壮烈な攻防戦をやる羽目になってしまった。よく知られているように、ミイトキーナ守備隊は玉砕に近い損害を受け、守備隊長の水上少将は責任を負って自決した。残存兵力はイラワジ河を渡って脱出して来たのだが、残存する工兵小隊を引き連れて出てきたのは、もちろんNさんであって、これでいよいよ「戦争の神様」としての彼の評価は高まった。

 普通の精神状態にある人間同志が、凶器を持って殺し合いをする、というようなことができる訳はない。「戦闘」などと格好良く言ってはいるが、早い話が「殺し合い」なのだから、第一線で戦闘する兵隊は、一種狂気の精神状態でないとやれるものではない。いかに早く兵隊を、殺し合いも平気でできるような狂気の状態にするか、というのが、戦地における軍隊の訓練なのかもしれない。今になって見ると、そのように思われるのである。

 私達はよく殴られた。私自身に落度があれば、殴られても仕方がない。同僚に落度があって連帯責任ということで殴られることもある。これも、まあ、仕方がない。しかし、訳も分らずに殴られることが、それも屢々あるのである。これも、兵隊を異常の精神状態にする訓練の一種とみれば、分からなくもない。もっとも、殴る方の下士官の方が先に狂気の状態になっていたことは間違いなかろう。

 私達は工兵隊であったから、工作物を造る技能の教育は当然ながら受けたのであるが、戦闘に参加することもあるので、戦闘つまり殺し合いの訓練も受けたのである。個人的な闘争技術としては、兵隊には射撃や銃剣術、下士官や将校には拳銃射撃や剣術の訓練がある。しかし、軍の上層部がどう考えていたかはわからないが、銃剣や軍刀は太平洋戦争当時にはもうあまり役に立たなくなっていた。つまり、飛び道具だけしか役に立たなかったのである。軍刀は、むしろ将校のプライドを保たせる精神的支柱とみるべきであろう。

 飛び道具に対する防御法というと、弾丸の貫通しない物の陰に身を隠す、それができなければ、せめて姿勢を低くするということになる。だから、演習ではほふく前進と言って地面を這って進んで行く訓練をやるのだが、この訓練がなかなかつらい。つらいので、兵隊の姿勢は高くなり勝ちである。私達は、ビルマに着いてからの演習を、実弾の下でやらされた。仮想敵になった古参兵が我々の方に向けて実弾を撃ってくるのである。勿論、我々に命中しないように、頭の上を狙って撃ってくるのだが、シュッという本当の弾の音はとても怖くて、口喧しく言われなくても、我々初年兵は地面に一生懸命這いつくばって進んだものである。

 しかし、Nさんのような勘は、このような訓練だけで得られるものではない。天性に加えて、経験によって作られる。経験の少ない兵隊は、とっさの時に動転してしまって適切な対応ができず、やられてしまうものである。経験が必要なのはそれだけではないが、戦場では新兵の方が戦死する率が高い。生き残った兵隊は、ますます経験を積み、勘も会得するから死ぬ率は次第に小さくなるようである。Nさんは兵隊から次第に累進して将校になった、いわゆる特進の将校で、最後には中尉にまでなった、いわば「兵隊の星」とも思われていたのである。

(この段終わり)

 

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三野氏の文章を引き写していると、

読点が多いのに気づきます。

私の入力もそれに合わせて、

読点でEnterキーを押します。

それをくり返していると、

三野氏の、ときには重くなる筆を止め、

推敲を重ね、一文字一文字を

原稿用紙に置くように進められている姿が浮かんできます。

私も一言一句をかみしめながら、

進めています。

 

また今回一カ所だけ文字色を

勝手にブラウンに変えました。

ここは読み流してほしくないと思ったからですが、

「読み手に任せるべき」と

思われたかたがいらしたら、

申し訳ないことです。

 

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ところで、

ナニワイバラです。

和名のバラです、

白い花弁が陽に映えます。

 

 

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最後までお読みいただき

コアラありがとうございました。