池田澄子を深掘る

 

池田澄子さんの句をこの回で、

ただただ、どどっと紹介してしまって、ちょっと後悔。

 

 もういちど、今度は深掘りしたい!

 

ということで、ネット上ではありますが、

端緒となりそうなページを見つけました!

https://sheishere.jp/interview/201808-ikedasato/2/

 

たった17音の俳句に広がる、刹那と永遠

と題して、池田澄子×佐藤文香対談、ですが―

 

今回は池田澄子さんに絞って要点をご紹介。

 

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■俳句を始めたきっかけ?

 

中学生くらいから詩や小説を、「書きたい人」でした。

俳句を始めたのは3738歳くらいのとき、

たまたま出かけた「俳句一日講座」の先生に

「あなたが書いているものは観念ね」と言われて。

 

それは否定的な意味合いで、すぐに本屋に行き、

『俳句研究』という雑誌の阿部完市の句に出会いました。

 

完市は<兎がはこぶわが名草の名きれいなり>なんて句を詠む人で、

「これも俳句なのか」とさらに驚いて、

その日から「俳句」が始まってしまったのです。

 

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■俳句の真髄?

 

徐々に、「こう思っています」と観念を伝えることが、

俳句においてなぜつまらないのかに気づいていきました。

 

それは、人が何かを感じる前に、まず「事象」があって、

その事象だけを書くことで、読んだ人自らが何かを感じてくれるのです。

 

だから、つくるときには観念を込めなくても、

結果的に観念や情緒はついてくるものなのだと。

 

「いつでも何かを思ってしまう」けれど、

何を思っていたとしても、実は世の中には関係ないわけです。

だから主語は池田澄子じゃなくて、

この時代に生きている「人間の一例」としての自分を

書きたいと思っています。

 

※『思ってます』という句集を2016年に出す。

あとがきには「思えば物心付いて以来、

当然のことながらいつも何かを思っていた。

が、思いは、ほぼ何の役にも立たない」とあります。

 

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■有名な<ピーマン切って中を明るくしてあげた>など

「新・台所俳句」とも呼ばれているけれど…。

 

それは、お台所にいる時間が長くて、

外の木よりも目の前のパセリのほうがよく知っている。

家にいるから、家のものが見えるというだけで、

自分を「主婦だから」とも思っていません。

 

家のなかには、いつも使わない引き出しがあるでしょう? 

そのなかは、ずっと闇だったということが書きたかったんです。

 

そういうことを、句をつくる、つくらないに関わらず、

さんざん考えていたんです。

 

それである日ピーマンを切ったら、ピーマンのなかも、

闇だったって気付いたのね。

ピーマンの句はその瞬間に一瞬でできた句です。

 

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■俳句をつくる意味

 

俳句は全部が作品でなくても、

作ることでその人が元気になったり、生きやすくなるのはいいこと。

「効能としての俳句」です。

 

だけど本来俳句は、何かのためにつくるものではないわね。

だからたとえばコーヒーの写真を撮ってSNSにアップすることを

俳句でやろうと思ったら、

たとえば「これを飲もうとしたときにはコーヒーが冷めていた」

みたいなことをいかにそうとは言わずに感じさせるか…。

 

しかし、一旦書くと、「書いた」と思って満足しちゃう。

自分を慰めたり、共感してもらいたいならそれもいいけど、

いつか作品にしたいなら「言いたい、言いたい…」

と、とっておいたほうがいい。

 

辛くてもせっかく辛いわけだし、

辛さを煮詰めればいいのにって思う。

 

そうして、はじめに書いたものが、

推敲してどんどん変わっていって、

違う句になったときにようやく本心が出てきます。

「あ、私こういうこと書きたかったんだわ」って、

そうなったときが完成です。

 

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■渡したいもの

 

自分の句が忘れられたら嫌だとは感じないけれど、

私をつくってくださった三橋敏雄の句に対しては、

責任とお礼の気持ちがあります。

私が覚えておきますよというのもあるけど、

自分も死んじゃうわけで、

世のなかから消えてしまうにはあまりにももったいないから。

 

三橋敏雄は「新興俳句」の俳人だったのですが、

戦意高揚の句が国から推奨されるなか、反戦や厭戦を標榜したり、

季語がない無季俳句をつくろうとしていた。

そして「新興俳句弾圧事件」(19401943年)が起きたんです。

 

三橋敏雄はまだ若かったから捕まらなかったけど、

彼が目指していた人たちは捕まって、俳句が書けない時代があった。

 

彼自身もその後に戦争に行ったこともあり、

社会の犠牲者に対しての思いを持ち続けていた。

少数派に心を寄せる人だった。

 

<人類憐愍令(じんるいあわれみのれい)あれ天の川>

<絶滅のかの狼を連れ歩く>

 

こういう句をつくっていた人です。

たんなる優雅な風流韻事ではなかった。

 

私自身も、自分の主題を述べるのは気恥ずかしいし、

ちょっとダサいけど、命の確かさと儚さ、

人は死ぬのだということをやっぱり書きたいのです。

 

父が戦争で死んでいて、それがいまでもずっと、悔しいです。

家族を置いて死んでいかなきゃならないのは

どんなに悔しかっただろう、かわいそうだって。

 

それがあったから「書きたい人」になったのだと思いますし、

戦争反対という言葉ではないやり方で、

人が生きること、死ぬことを書いているのだと感じます。

 

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池田澄子さんのことが少し詳しくわかりましたね。

わかって、謎がとけてスッキリしました。

ピーマンの句、そうだったのか…。

 

そして、また、課題ができました(笑)

次は池田澄子さんの先生であった三橋敏雄さん。

この方も深掘る対象ですね。

 

池田さんの

「みんなが忘れてしまっても、私は憶えておきますよ」

というのも、いいですね。

 

遺すべきものは、いつも代わって次々と誰かが憶えておく。

リレーですね。

 

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ところで、今日の「シマちゃん」です。

ほとんど変化ありません(笑)

 

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今日の一句です。

相変わらず「素人の恐いもの知らず」です。

本日の「推敲」の教えも、即座には役立っていません(笑)

 

夏つばめ爪の先から老いてゆく

 

 

追記:万願寺唐辛子、

2本目辛かったです。

一もとの唐辛子でも辛いのとそうでないのがあるんですね。

びっくり!

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お付き合いいただき ありがとうございました💛