久しぶりにweb名言集の記事を追加してみる。
なぜなら、名言と呼べる言葉に出会い、気づきもあったから。
今回はそんなweb名言の中から、
何かを体験して、心に残るもの、残らないものの違いを見つけた。
出会った言葉は次のとおり。
- FIREしたら旅行だの遊び回るだのゲームしまくるだのが目的の奴は向いてないよ
- 楽しみを外部に求める受動的な考えだと必ず飽きる
- 前澤が車いっぱい買ってるけどあれも受動的
- 物買って満足した気になる奴は常に欠乏してることの裏返し
別に偉い経営者でもない、哲学者でも思想家でもない学者でもない、普通の人が何気につぶやいたセリフだが、そんな中にも学ぶものはある。
この文章では”飽きるor飽きない”ということにフォーカスしているけど、
僕はそれを少し飛躍させて、自分のものとして展開して考えてみた。
その中で、
今までの経験で不思議と思い出に残り深く心に刻まれているものと、逆に期待した割りに大したことなく、あまり思い出に残っていないものの違いを理解した。
キーワードは文章中にもあった”受動的であるか否か”だということ。
例に出すと。
今年の6月に行った四国の吉野川でのラフティング体験。
確かに楽しかったんだけど、それほど思い出深くないというか、その時限りの楽しみで終わってしまってる…。
すごいアクティビティだったし、貴重な体験だったとは思うけど、思い出すたびに笑顔になるような、めちゃくちゃ素敵な思い出ってわけでもない。
何年も前からやりたいと思って実現させたことだというのに…
逆に、何気なく前日になって思いついて行った一泊ツーリングのこれ。
↓ ↓
これなんかめちゃくちゃ思い出深くて、このツーリングでのシーンをいくつも、毎日のように思い出しては幸せを感じている。
山口県の何でもない海岸線を走った時のこの時のすがすがしさというか、それがすごく思い出深いものになっている…不思議だ。
以前から行きたいと夢に見てたような場所でもないし、たった一泊で行けるくらいのさして遠い場所でもないのに…
そしてこの違いこそが、あのweb名言の通りの"受動的であるか否か"なのだと、僕は気づいたわけだ。
ラフティングは壮大なアクティビティに見えて、実は受動的。
自分で操作したわけじゃなく、インストラクターの人におんぶに抱っこだった。
バイクのツーリングは、100%自分で操作するから、能動的。
体験がダイナミックであるかどうかは実は全く関係なく、
いくら些細な体験でも能動的なものなら思い出深いものになるし、いくら壮大なものでも、それが受動的ならあまり思い出に残らない。
要するにそういうことなんだと思った。
あと、人間は求めると返ってこない、欲を出すと失敗する。
そういうのもあると思う。
期待したアクティビティで壮大な体験を欲するのは、これは”欲”だ。
けど何の欲もなく、なんとなくバイクで走ってて、たまたまその時の心模様と、周りの環境がシンクロしたとき、脳内で何かの化学反応が起こり深く記憶に刻まれる。
あまり求めすぎるのもよくないし、期待しすぎるのもよくない。
派手な体験をすれば幸せを感じられるってわけじゃない。
人間はそんなに単純じゃない。
以前からうすうす感じてたことだけど、今回出会ったweb名言で、あらためて、はっきりとそれを理解することができた。
これからの人生で、役立てていこうと思う