北朝鮮の最重要国は中国よりもロシア!「金正恩年賀状」の送り先のトップはプーチン大統領!
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24/1/19(金) 10:37

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

 北朝鮮幹部の序列も、友好国のランキングもすべて党機関紙「労働新聞」の記事や国営放送「朝鮮中央通信」の報道から判別できる。

 昨日の「朝鮮中央通信」には金正恩(キム・ジョンウン)総書記が外国の党首・国家元首及び個人に今年の新年祝賀挨拶と年賀状を送ったことが伝えられていたが、真っ先に名前が挙げられていたのはやはりロシアのプーチン大統領であった。それも金総書記は「ロシア連邦のウラジーミル・V・プーチン大統領に新年祝賀の挨拶送った」と別格扱いだった。

 後は、全部名前だけが列挙されていた。その順番は中国の習近平国家主席、キューバのミゲル・マリオ・ディアスカネル・ベルムデス国家主席とラウル・カストロ・ルス氏、ラオスのトンルン・シスリット国家主席、ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長とボー・バン・トゥオン国家主席、シリアのバッシャール・アサド大統領、モンゴルのウフナー・フレルスフ大統領、タジキスタンのエモマリ・ラフモン大統領、トルクメニスタンのセルダル・ベルドイムハメドフ大統領、アルメニアのバハグン・ハチャトゥリアン大統領、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領、ベラルーシのアレクサンドル・G・ルカシェンコ大統領、セルビアのアレクサンダル・ブチッチ大統領、アルジェリアのアブデルマジド・テブン大統領、エチオピアのサヘレウォルク・ゼウデ大統領、インドのナレンドラ・モディ首相となっていた。ロシアも含め延べ17カ国である。

 かつて兄弟国だった東欧諸国の首脳は誰一人いなかった。また、昨年8月に就任した伝統的な友好国、カンボジアのフン・マネット首相も含まれていなかった。

 ちなみに昨年は習主席、プーチン大統領の順で年賀状が送られており、中国に対しては劉建超対外連絡部長にも年賀状を出していた。その前の年もトップは習主席だった。

 明らかに昨年9月の金総書記の4年5か月ぶりの訪露が転機となり、北朝鮮にとっての最重要国が中国からロシアに取って代わったことを窺い知ることができる。

 当時の北朝鮮の報道によると、訪露した金総書記はプーチン大統領との単独会談で「帝国主義者の軍事的威嚇と挑発、強権と専横を粉砕するための共同戦線で両国間の戦略・戦術的協同を一層緊密にし、強力に支持、連帯しながら力を合わせていく」ことで「満足な合意と見解一致」を見ていた。

 ロシアを訪問し、ラブロフ外相のみならずプーチン大統領とも会談した北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)外相が17日に帰国したが、ロシア大統領府は16日に行われたプーチン大統領と崔外相の会談に関連し、「敏感な分野を含むすべての分野で関係をさらに発展させる」とのコメントを発していたが、北朝鮮もまた、プーチン大統領との会談では「地域と世界の平和と安定を保障するための共同歩調と相互協同を緊密にする双方の立場が再確認された」と伝えていた。

 露朝関係が強化されたことでプーチン大統領が金総書記の顔を立てるため今年中に答礼訪問する可能性が極めて高いが、その時期が3月の大統領選挙前になるのか、それとも後になるのかが焦点で、訪朝すれば2000年以来、実に24年ぶりとなる。

 北朝鮮の優先国順位で2位にランクを下げた中国が北朝鮮の対露接近、対露重視をどう見ているのか気になるが、中国外交部は終始一貫「ロシアと北朝鮮の両国の問題である」と、当たり障りのないコメントを繰り返している。 

 金総書記は2018年に以来、訪中していない。2018年の年は3月、5月、そして6月と立て続けに中国を訪れ、習主席と会談していた。金総書記の訪中への答礼として習主席は翌年の2019年6月に平壌を訪れている。

 順番からすれば、次は金総書記が訪朝する番だが、仮に北朝鮮が7度目の核実験を強行するようになった場合は中国としては金総書記の受け入れは困難であろう。

 先代の金正日(キム・ジョンイル)前総書記の訪中は在任中の17年間に非公式を含め7度、およそ1~2年の間隔で訪中していた。唯一の例外は2006年1月を最後に2010年5月まで間が空いたことだが、この時は北朝鮮が2006年10月と2009年5月に核実験を行ったことで関係が悪化したことが原因であった。

(引用終わり)
北朝鮮にとっての最重要国が中共からロシアに取って代わったことは失敗だ。
幾ら経済政策に失敗して落ち目とはいえ(さらに損失は増える)北朝鮮よりはるかに大国だ。
直接軍事侵攻の可能性も高い。
露西亜が西側に屈服するのも時間の問題だ。
国力が違う、軍事力が違う。

ロシア帝国が新興国日本帝国に敗れたのも英米を敵に回した結果だ。

ウクライナ紛争で露西亜が敗れたのも日英米を敵に回した結果だ。