吊り目ジェスチャーは、欧米人にとってジョークの一種らしいが私に言わせれば独りよがりな言い訳に過ぎない。
吊り目ジェスチャーの問題点は二つあると考える。
一つ目は、ジェスチャーが持つジョークとしての質だ。東アジア人が吊り目のイメージを持つことは、東アジア人自身も理解している。ただそれを揶揄するだけのジェスチャーは単なる事実の摘示に過ぎず、笑いどころがわからない。黒人に対して、あなたの肌は黒いねと言ったり、女性に対してあなたの胸は膨らんでいるね。と言うようなもので、言われた側は「そうだね、それで?」というような感想しか抱かない。吊り目ジェスチャーは事実の摘示に加えて容姿を馬鹿にしてやろうという悪意が含意されているので更に笑えない。吊り目気味の容姿で笑いを取りたいのならば、もう少し捻ったジョークを言うべきだ。
第二は、ジェスチャーをする側と受ける側の関係性だ。ジョークの内容に関わらず、ジョークというのは基本的に確立された関係性の上に成立するものである。吊り目ジェスチャーが話題になる時は決まって知人関係にない個人(場合によっては東アジア人全体)を指し個別に結びついた信頼関係がない場合がほとんどである。

例えば東アジアと黒人が親しい友人関係にあり以下のようなやり取りがあると考える。
東アジア人「どうした肌が黒いぞ、火災現場にでも居たのか?」
黒人「そうそうさっきまで救助活動してて、って俺の肌が黒いのは生まれつきだ。それよりお前こそパンスト相撲してどうしたんだ?」
東アジア人「アジア人はみんなパンスト相撲してんだわ!」

これは互いの信頼関係があるうえで、容姿を婉曲表現でいじることでジョークが成立しているといえる。

つまりはジョークを発する上では2つの要点を押さえることが欠かせないのであり、吊り目ジェスチャーはその2つともを欠いている。
受け取る側は当然ジョークとは捉えられず、あまつさえ「これはジョークだからそんな怒るなよ」と言われれば、単純に容姿を馬鹿にしたかっただけだが馬鹿正直にそれを認めると世間体が悪いと言うことを理解している白人の苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。

あくまでこれは一日本人たる私の意見だが、白人の方々にはもう少し面白いジョークを考えてほしいと切に願っている。