とみ☆ハリ -63ページ目

とみ☆ハリ

ドカユキンやササライオーの活動報告や地元の情報(たまに運営の創作活動報告も)など、発信していきます。

先日、LoMAの打ち合わせにおきまして、こんな質問を受けました。
「ものをつくってる人ってそんなに偉いんですか?」

あまりに唐突、且つ、予想外だったために窮してしまい、上手く答えられませんでしたが、大変良い考察のきっかけを与えていただいたなと、思いました。

私達は「作品作り」という世界に身を置いていますので、そうなりますとやはり、出来不出来に関わらず「自分の作品」と呼べるものを残している人は、偉いと私は考えます。
面白いアイデアなんてものは、実は誰にでも思いつくのです。
それを形に出来るかどうか、さらにそれが完成するまでがんばれるかどうかで、価値は大きく違うのです。
「こんなん思いついた俺スゲー!」
と思っていても、同じ事を後から思いついた誰かが先に完成させてしまったら、
「あれは俺が先に思いついたんだ」
と言っても、そこには何の価値もありません。

ニコニコ動画の「歌ってみた」や「踊ってみた」も動画という一本の作品ですから、たくさん動画を投稿している人は偉いと思います。
もちろん、世の中は決して公平ではありませんから、作品を作りやすい環境の人もいれば、作りにくい環境の人も居ます。
後者の場合、作れる環境を勝ち取るための戦いも含めてが「努力」なのです。

ぶらっくすわんさんも、そうした戦いをしてきた人のように思えます。
「戦ってきた人の目」をしているように、私には見えるのです。

補足として、ものを作ってる人というのは、えてして、これもまた出来不出来に関わらず、作ったものを多くの人に見てもらいたいものです。
このあたりの心情も、私の舌足らずで説明が至らなかった事、お詫びいたします。

自分で造型もやっちゃう僕は、キグルミ前提のキャラクターだと、頭に浮かんだイメージを人が中に入るアレンジに最初から変換しなおして描いちゃったりします。
(絵描きとしてはよしあしです。絵としての迫力は落ちるが、立体化したしたときのコレジャナイ感を緩和できる利点はあります。)
それで、デザインが決まると材料探しに100均とかホームセンター、電器屋なんかを回る訳ですが、「ここの形状はホームセンターに売ってるであろうアレを使おう」と思って描いた「アレ」がいざ店に行ってみると無かったりすることが、結構多いのです。
おそらく本来の用途としては需要がなくなったのでしょう。
ここに、「すべての材料を本来とは違う用途に使う」というコスプレ造型やミキシングビルドの難しさがあります。
今日も100均6軒、ホームセンター2軒、家電量販店2軒、そしてドンキとイエローハットを回りましたが、収穫は期待を大きく下回りました。
むしろ「こういう形は市場に出回ってる品物では流用できない」のがわかった事の方が大きな収穫といえます。
そこからが本格的な造型作業のスタートだったりします。
確か江戸時代のあたりだったかと思いますが。
大阪の淀川に最初の橋がかかった時の話です。
淀川の流れが速く、川底の地盤も不安定だったため、工事は大変難航し、
橋梁工事を請け負った最初の業者(今でいう所のゼネコン)が、
杭を1本打ち込んだところで倒産しました。
工事を引き継いだ次の業者も、2本目の杭を打ち込んで倒産しました。
こうやって、杭を1本打ち込んでは倒産、打ち込んでは倒産を繰り返し、
何組も潰れてようやく1本の橋がかかったといいます。

これが「杭倒れ」すなわち「くいだおれ」の実は語源です。

サブカル過疎地にイベントを根付かせるということは、要するにそういう事だと思
うのですよ。

橋、僕が生きてる間にかかるのかなあ。あはは


「一度や二度」じゃなく「100や200」の躓きであきらめないサハラ砂漠のラクダはすごい。