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光と闇の迷宮

音楽と映像、文学、宗教、哲学。そして知識。
生きる悦びがそこにある。

ここでクイズ。

 

『無善悪』何と読むでしょう?

『子子子子子子子子子子子子』は?


世界三大美女』とも評される小野小町の名を知る人は多いだろう

では、彼女の祖父小野 篁(おののたかむら)をご存じだろうか?

遣隋使として有名な小野妹子(おののいもこ)の子孫でもある。教科書に出てくるのでご存じとは思うが、「妹子」は男性なので念のため。

遣唐副使を務め、歌人としても知られた才人であ

 

「わたのはら 八十島かけてこぎ出ぬと 人には告げよあまの釣船」

 

『百人一首』に載せられた篁の歌だ。

身長が六尺二寸(188センチ)もあったそうで、当時としてはかなりの巨漢である

頭の良い人だったが、若い頃は学問より武芸に励んだ文武両道の人で、かなりヤンチャもしたようだ。

 

さて、篁が活躍したのは嵯峨天皇の時代である。

当時は遷都後のゴタゴタや、皇室内でのお家騒動、有力貴族達の権力闘争などが重なり、嵯峨天皇には敵多かった。

ある日、内裏(だいり)内に『無善悪』と書かれた高札が立てられた。

誰が立てたのか分からない何と読むのかも、誰も分からなかった

 

嵯峨天皇「これこれ、誰ぞ読める者はおらぬのか?」

 

嵯峨天皇が家臣達を見回すが、学者達すら黙したままで、首を横に振る。

 

「小野篁殿ならあるいは」

 

誰かが告げたので、知恵者篁が呼び出されることとなった。

やって来た篁だが、高札を一目見て渋い顔をした。

 

篁「んー、読めますけどね。これを読めば、ちょっと差し障りが・・・」

嵯峨天皇「いいから、読んでみいや。」

篁「はあ、では。でも、怒っちゃダメですよ。」

 

高札は読めても空気は読めなかったのか、篁は素直に答えた。

 

篁「悪(さが)無くば善(よ)からんと読めますね。」

 

嵯峨天皇なんていない方が良いよ」ということである。

これを聞いた嵯峨天皇はたちまち怒り出した

 

嵯峨天皇「誰にも読めぬものを篁だけが読めたさては、これを書いたはお前だなっ!」

 

瞬間、ことを悟った篁。

 

篁『ちっ、謀られたかっ?』

 

誰も高札を読めなかったのではなく、正直に言う者がいなかっただけかもしれない

真っ直ぐな性格のが貧乏くじを引かされたのだ。

 

篁「いやいやいや、私は高学歴ですから、何でも読めちゃうんですってば。(-"-;A ...アセアセ」

 

慌てて言い訳する篁。

証拠がないので、嵯峨天皇も追及はできない。だが、篁の言い分が鼻についたので、「グウ」と言わせてみたくなった。

急きょ学者達を集めると、篁をやり込めるためのクイズを作らせた。

林修が答えられない問題を考えるようなものだ。

学者たちが総がかりで考えた問題を嵯峨天皇が提出する。

 

嵯峨天皇「では問題です。次の漢字を何と読むでしょう?

 

『子子子子子子』

 

れを一目見た篁は即座に答えた。

 

篁「ねこのここねこ(猫の子 子猫)と読みまする。」

嵯峨天皇「グウゥゥっ・・・・」

 

模範解答どおりの答えだ。グウの音が出たのは嵯峨天皇の方だった。

しかも・・・

 

篁「さらにもう一つ、読み方があります。」

嵯峨天皇「マヂっ?Σ(○ω○)」

 

これは嵯峨天皇も学者たちも予想外の一言だった。

 

篁「ししのここじし(獅子の子 子獅子)とも読めまする。」

嵯峨天皇「ギャフン!」

 

学者達のさらに上をいく篁の頭脳に、嵯峨天皇もさすがに感嘆してしまった。

 

嵯峨天皇「なんとっ、見事なりっ!篁こそ真のクイズ王であるっ!」

 

と、笑って称えたそうである。

 

 

この小野篁、変わり者として通っていたのだが、その最たるものが、生前から閻魔大王の助手として地獄の裁判に立ち会っていたというものだろう。

篁は地獄に通じるという井戸を使い、夜な夜な地獄の裁判に顔を出していたという。

 

藤原良相(よしみ)という人が病気で亡くな、閻魔様の前裁かれることになった。すると閻魔様のに篁がいて、良相を見つけると閻魔様助命嘆願を申し出た

 

篁「この人は良い人ですよ。私に免じて助けてあげてくださいな。」

 

篁が若い頃にヤンチャをし失脚しそうになった時、良相がかばってやったことがあったらしい。

閻魔大王は篁の顔を立て、良相を生き返らせてやった。

黄泉返った良相は驚いて篁の元を訪れ、地獄での一件礼を言うと釘を刺された。

 

篁「その話は内緒にしておいてくださいね。」

 

篁が地獄へ降りる時に使っていたという井戸、京都の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)というお寺に今も残っている。

一方通行らしく、帰ってくるときは離れた場所の原っぱに現れていたという。

Lady「アンタがゴディヴァの話にあの絵を使うとは思わなかったよ。」
私「あの絵って、ジョン・コリアのですか?」
Lady「そうさあ。あれはイギリスのアタシの親戚んチにある絵なんだよ。」
私「えぇっ、そうなんですか?」
かつて私がブログで綴ったゴディヴァ夫人の逸話とジョン・コリアが描いた「レディー・ゴディヴァ」の絵を見て、Ladyは私にそう告げたのである。

Ladyの祖父はイギリスに1500年以上前から続く、古い貴族の出身であった。長身で体格が良く、騎士として並外れた資質を有していた。長男ゆえ後継者であったが少々変わり者で、家と国を捨てて世界中を放浪したのち日本へと流れ着いた。そこで、日本に千年以上続く一族の当主である女性と知り合い結婚した。その女性こそがLadyの祖母である。
Ladyは西洋と東洋、共に古(いにしえ)の尊き血を受け継ぐ、生まれながらの貴姫なのである。

Ladyのイギリスの親戚は、城持ちの貴族ばかりである。一人の叔父の城に、ジョン・コリア作の「レディー・ゴディヴァ」は掲げてあるらしい。

$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ01
ジョン・コリア作「レディー・ゴディヴァ」

Lady「あの絵、昔っからアタシに似てるって、母親とか親戚に言われてたんだよね。オシリの形とか、赤毛が混じってるとことかさ。」
確かに手足が長く細身のスタイルは、師匠とよく似ていると言えるだろう。
当時の貴婦人画は豊満なものが多い。貴族達は飽食家だったので、貴婦人達の多くがふくよかだったのも事実だ。コリア以外の画家が描いたゴディヴァ夫人の絵のほとんどは、豊満な裸体のゴディヴァが描かれている。

$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ02
$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ03
$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ04
諸々の画家が描いたゴディヴァ夫人

コリアのゴディヴァ夫人は例外的なプロポーションであり、その表情には並々ならぬ決意と恥辱が織り込まれている。彼の絵が人々を惹きつけるのは、そうしたところなのかもしれない。

Lady「コリアが描いた絵に『リリス』ってのもあってさ。アレも昔っからアタシに似てるって言われてたんだよね。」

$光と闇の迷宮-リリスジョン・コリア作「リリス」

なるほど。コリアが描いたリリスの顔つきは、どことなくLadyに似た雰囲気がある。まるでコリアはLadyを知っていたかのようだ。
リリスは魔王サタンの妻とされているが、説明すると長くなるので別の機会に記すとしよう。

さて、ゴディヴァの話しだ。
私「ゴディヴァ夫人の話もいろいろ言われてますよね。素っ裸になったんじゃなくて、宝飾品を外しただけって説もある。」
Lady「いや、それは17世紀に言われだした説で、それ以前は素っ裸になったっていう話しかないよ。」
私「そうなんですか?」
Lady「昔、イングランド王がゴディヴァ夫人の伝承をランカスター公に調べるように命じて、それを調査したのがウチのご先祖だったんだよね。だから親戚のとこにゴディヴァ夫人の記録が残ってるんだよ。」
私「えー、それはスゴイですね。」
以下が、Ladyが親戚の城の資料を基に調べた、真説・ゴディヴァ夫人の物語である。

11世紀、イギリスのコヴェントリー地方は財政的な問題に直面し、都市設備が大きく衰退してしまった。
財政面を担当することになったマーシア伯レオフリックは公共事業を率先して行い、水道施設や社交施設の建設を大々的に始めた。それに伴い、領民たちに多大な税金を課したのだった。
これに対してレオフリックの妻・ゴディヴァは、水道工事をやめて芸術復興のために減税するよう嘆願した。当時、コヴェントリーの町で絵画を購入すると多額の税金がかかるため、非課税である教会以外で絵画を収集していたのはゴディヴァくらいであったという。
妻の言葉に気分を害したレオフリックは言う。
「おまえが傾倒する古典主義では、裸体が自然の完全さを表現するものなのであろう?そんなに民衆に芸術を広めたいのであれば、自分が裸になって、心の貧しいコヴェントリーの民たちに、芸術というものを教えてやるがいい。日中に裸で馬に乗って城下を巡ってきたならば、減税を実行してやろうではないか。」
この意地の悪い提案に対し、夫人は即座に同意したのであった。
これにはレオフリックも面食らい、
「本当におまえがそれをやると言うのなら、税金自体を廃止してもよいぞ。」
と約束してしまった。

$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ05ゴディヴァとレオフリック

当日、町には戒厳令が布かれ、市民は外出することが禁じられた。
全裸となった身体に髪を垂らし、馬にまたがったゴディヴァは、両脇に弓の名手である女騎士二人を従えて市中を行進した。
人々は家に籠もってその姿を見ないように努めていたが、仕立て屋のトムだけがこっそりと覗き見をしていたのだ。これに気付いた二人の女騎士は、たちまちトムの両目を矢で射抜いたという。それがピーピング・トムの逸話となったのだ。
この結果、コヴェントリーの町では、馬にかかるもの以外の税金が全て廃止されたのだった。師匠の先祖が当時の台帳を検証した結果、1057年には馬以外には税金が課せられていないことが明白になったのだった。
以上が記録に基づくゴディヴァ夫人の物語である。

私「うーん・・・・」
Lady「どしたん?」
私「私はいつも、思いいもしなかった真実の実をアナタに与えてもらってるんですよね。知りたいとは願っていても、一生知ることは叶わないだろうと思っていたことでさえ、いくつも答えをもらっています。」
Lady「それはアンタが求めているからだよ。いつも知ることを欲してるから与えられるのさ。」
私「求めよ、さらば与えられん・・・ですか。」
Lady「アンタはいつもアタシに質問ばっかしてるからね。ホンッとメンドーなヤツだよね。(笑)」
私「そりゃ、アナタがいつも答えをくれるからですよ。思いもしなかった真実を教えてくれるから、アナタみたいな悪党からなかなか離れられなくて困ってるんです。(笑)」
Lady「ヒドかねえ。(笑)」
わが敬愛する文学者・たかしよいち先生が、かつて私に言ったものだ。
「いくつになってもね、知的好奇心を無くしちゃいけません。それを失ったら、人間終わりですよ。」
真実の実は時に苦く、この身を毒に冒すことさえある。
たとえ身を滅ぼすような理(ことわり)であったとしても、それでも、私は真理を知り得たいと願うのである。
$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ06Lady Godiva

覗き屋のことを日本語では俗に「出歯亀」、英語では「Peeping Tom(ピーピング・トム)」と言う。
当然であるが、それぞれに語源があり、悲しいほどに次元の異なる逸話が存在する。下卑な欲望と、崇高な魂の物語が。

「出歯亀」の語源は比較的新しい。
明治時代後期、東京に池田亀太郎という植木職人が住んでいた。亀太郎は素行が悪く、よからぬ性癖を持っていて度々問題を起こしていた。
常習的に銭湯の女湯を覗いたり、強姦を繰り返すというやっかい者で、明治41年、ついに湯屋帰りの27歳の女性を強姦し、窒息死させるという事件を起こして逮捕された。
彼が普段から「出歯亀」のあだ名で呼ばれていたことから、新聞はこれを「出歯亀事件」として報道し、この時より覗き屋のことを「出歯亀」と称するのが一般的になった。
亀太郎が出歯亀と呼ばれていた理由については諸説あり、出っ歯だったからとか、怒るとすぐに出刃包丁を振り回して暴れたからなどと言われている。
情けないほどに低俗な話である。

これに対し「ピーピング・トム」の語源は古く、「出歯亀事件」とはかなり趣が異なる。気高き、「レディー・ゴディヴァ」の伝承がそれである。

時は11世紀。
イギリスのコヴェントリー地方にマーシア伯レオフリックという領主がおり、領民達は彼の圧政に苦しめられていた。レオフリックの妻・ゴディヴァはこれを憂い、事ある毎に夫を諫めていた。
ゴディヴァ夫人の忠告に腹を立てたレオフリックは、夫人に無理な条件を提示してきた。曰く、「おまえが裸になって馬に乗り、城下を巡回してみせるのならば、その言い分に従おうではないか。」
貴族の女性が公衆の面前で裸体をさらすなど、死にも勝る屈辱である。狂気の沙汰であり、レオフリックは当然妻は青ざめて即座に断るものと確信していた。が、夫人はその条件を即座に受け入れた。必ずや約束を守るようにと、驚く夫に誓わせたのである。
夫人はことの次第を市中へおふれとして出し、コヴェントリーの街を裸で行進したのだった。さすがにレオフリックもこれに感服し、以降、高圧な統治態度を改めたという。
ゴディヴァ夫人の巡回の際、街の人々は家に籠もり、窓や扉を固く閉ざして、尊きゴディヴァ夫人の裸身を見ないように務めることで敬意を表した。ところが、仕立屋のトムという男だけが、こっそりと夫人の姿を覗き見したのであった。
トムはたちまち神罰を受け、瞬時に失明して死んでしまったと伝えられる。
この逸話により、英語ではのぞき魔の事をピーピング(覗き屋)・トムと言うようになったのである。

以上が世界的に知られる、もっとも一般的なゴディヴァ夫人の伝承である。
伝承解釈には諸説有り、ゴディヴァは一糸まとわぬ姿になったという基本的な説から、下着だけは付けていたとか、宝飾品を外しただけだったというものまである。当時の貴族にとっては、装飾品を身にまとわぬのは裸同然だったという解釈だ。

ゴディヴァ夫人の伝承を知ったベルギーの王室御用達チョコレート職人は、その名を自社の製品に冠した。馬に乗るゴディヴァ夫人の姿をエンブレムにした、ゴディバチョコレートがそれである。

$光と闇の迷宮-ゴディバチョコゴディバチョコレート

ゴディヴァ夫人の伝承はマザーグース(イギリスの伝承童謡)の歌にもなっている。

Ride a cock-horse to Banbury Cross,
To see a fine lady upon a white horse.
Rings on her fungers and bells on her toes,
And she shall have music wherever she goes.

木馬に乗ってバンベリークロスへ行こう
白い馬に乗った綺麗な貴婦人を見に
その指には指輪 つま先には鈴
彼女が行く先々で音楽を鳴らす

ゴディヴァ夫人をモチーフとした絵画は昔から多いが、ジョン・コリアが19世紀に描いた「レディー・ゴディヴァ」は、特に人気が高いようだ。ネット上でもよく見かける。

$光と闇の迷宮-レディー・ゴディヴァ01
ジョン・コリア作「レディー・ゴディヴァ」

既に閉鎖した私のプログであるが、以前、日記でゴディヴァ夫人の逸話について触れ、この絵を貼ったことがあった。すると、それを目にしたLadyが思いも寄らぬことを言ってきた。

Lady「アンタがあの絵を使うとはねえ。あの絵、ウチの親戚んとこにあるんだよ。
私「えっ、そうなんですか?」
Lady「イギリスの叔父さんの城に掛かってんのさ。」
私「えーっ?」
ネット上ではよく目にする絵であり、ジョン・コリアの代表作の一つなので、私はてっきりどこかの美術館が所蔵しているものと思っていた。
Lady「母ちゃんや親戚からは、昔からアタシに似てるって言われててさ。」
そう言うと、それまで私が知らなかった、さらに詳しいレディー・ゴディヴァの真実を聞かせてくれたのだった。

Ladyはいつも私に、真実の実を投げ与える。
その実は常に私の知識欲を満たしてくれる。時には苦く、時には甘酸っぱく。


QUEENの曲の中でも、『We Will Rock You 』は特に好きな部類である。
数年前だが、ペプシのCMで三人の歌姫がグラディエーターに扮して唄ってるのを観て魅せられたものである。
なんてパワフルなんだ。
なんてセクシーなんだ。
オリジナルより好きかもしれない。
ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、ピンク。三人のカリスマ性に正に衝撃を受けた。「Rock Me」てなもんである。
こりゃ、コロシアムの観客も闘技そっちのけで唄って踊りだしたくなるわ。危うし、皇帝・エンリケ。

ペプシの海外CMは、昔から秀作が多いように思える。



ビヨンセの歌声が力強く、何と迫力のあること。
この頃のブリちゃんはやっぱ美人だ。
ピンクの下腹はちょっと気になるが、ご愛嬌というものだろう。

作品中にはQUEENのメンバーであるロジャー・テイラーとブライアン・メイが、長老議会の長老といった雰囲気でチラッと出て来る。ファンには美味しいところだろう。
それにしても、皇帝役のエンリケ・イグレシアスが、妙に小島よしおとカブって見えるのは私だけだろうか?


転じて、キリンのチューハイ氷結のCM。
誰だよあんな女に『We Will Rock You 』唄わせたヤツは。冒とくって言葉を知らないのかっ!
責任者出て来―いっ!

福岡県と佐賀県を分ける筑後川の下流。

ここに、「エツ」という珍しい魚がにいる。

カタクチイワシの仲間である産卵のため、初夏の頃だけ有明海から上って来る

朝鮮半島・中国大陸でも見られるそうだが、日本で筑後川下流の狭い範囲でしか捕れない。

 

 エツ

 

5~7月になると専用の屋形船繰り出され、地元の風物詩となっている。

小骨が多く、さほど美味いわけではないが、季節の珍味として地元の料理屋等で並べられる

 

エツの姿は、筑後川流域に生える葦(アシ。ヨシともいう)の葉に似ているとされる

エツの漁場でもある福岡県大川市と対岸の佐賀諸富町の川岸にのみ、「片葉の」という珍しい自生している。

通常のアシが左右交互に葉を付けるのに対し、片側だけにしか葉を付けないのでその名がある

エツと片葉の葦」関して、大川と諸富には異なる伝承が伝わっている。

 

 片葉の

 

大川側の伝承である。

昔、旅の僧侶が筑後川に来て、対岸へと渡るため近くの漁師達に頼んで回るが、すべて断られてしまった

僧侶が困っていると、若く貧しい一人の漁師が、自分が渡してやろうと声をかけてきた。 

対岸に渡った僧侶は礼を言うと、岸辺に生えていたの葉をむしり取り、それを川へと投げ入れた。の葉はたちまち銀色に輝く魚と姿を変え、身をひるがえして水中へと消えた。 

僧侶は若者に、「これからはこの季節、あの魚を捕って暮らしなさい」 と告げて去って行った。 

旅の僧侶は弘法大師(空海)その人であった。

この時より筑後川にはエツが上ってくるようになり、沿岸には片葉のが生えるようになったという。

大川市の筑後川沿いに、この伝承を刻んだ記念碑が建っており、毎年エツ漁の始まりに神事が執り行われている。 

 

対して諸富側の伝承には徐福(じょふく)が登場する。

徐福伝説をご存知か? 

古代中国を統一し秦王朝を築いた始皇帝は、万里の長城を造らせたことでも知られている。 

洋の東西を問わず、絶大な権力を手に入れると、人は不老長寿を求めるものらしい

始皇帝も不老長寿の手段を探せとお触れを出した。そこへ現れたのが、方士(魔術師)の徐であった

徐福は始皇帝に対し、東遥か遠くに蓬莱(ほうらい)という島がありそこに不老不死の妙薬があると告げる。始皇帝は喜んだ。

徐福は百人の少年と百人の少女、百人の技術者を与り、蓬莱へ向かって船出したってくることはなかったという

徐福が目指した蓬莱がどこったか、近くは済州島から遠くは東南アジアまでたくさんの説がある。日本も有力な候補地の一つである。

日本国内だけでも40箇所以上に徐福伝説や除福の墓と伝えられるものが存在しており、 佐賀諸富町も伝承地の一つである。

 

徐福の一行は有明海経由で日本へとたどり着いた。

徐福と数人が大船から小舟に乗り換え、筑後川を上って諸富の地へと上陸した。 

この時、舟艇にこすれた葦の葉が水面に落ちると、たちまち小魚へと姿を変え水中へと散っていった。 

これが筑後川のエツとなり川岸には片葉のが生えるようになったと伝えられる。 

 

徐福が存在していたのは縄文時代から弥生時代に移行する、今から2200年も前のことである。 

このことからもう一つ大きな仮説が生まれた。 

徐福一行の渡来が、我が国に弥生文化をもたらしたという説である

百人の若い男と百人の若い女が夫婦となれば、ちょっとしたクニができる。さらに百人の技術者がいれば、稲作を始め大陸の先進文化も伝わったことであろう。

我が国最初の水稲栽培は、有明海の干満の差を利用して筑後川下流域で始まったとされている

縄文~弥生の変換期に、大陸・半島から多くの人々が渡ってきて、日本人は縄文人から弥生人へと交代した。

もしかすると徐福一行も、日本に弥生文化をもたらした流一つだったのかもしれない。

 

さて、徐福伝説が残る佐賀市金立(きんりゅう)地区には、「カンアオイという植物が分布している。高血圧薬草となるそうだ。

カンアオイには多くの別名があるが、その一つにフロフシというある。不老不死に通じこそが徐福が求めた不老不死の妙薬だったとも伝えられ