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光と闇の迷宮

音楽と映像、文学、宗教、哲学。そして知識。
生きる悦びがそこにある。

Ladyは世界三大音楽院と称されるアメリカの音楽院を卒業している。クラシック音楽学校の名門で、超難関として知られる。
Ladyはピアノと声楽を専攻し、ピアノ科は首席で卒業している。声楽科の主席は親友で幼馴染のエイミーだった。二人とも中学生の時には、アーティストのジミーおじさんの家へステイし、音楽院のプレカレッジへ通っていた。
もう一人の級友レミアを含め、三人はのちにロック・アーティストとなっている。

学院の生徒の多くはヨーロッパから留学している貴族の令嬢・子息であった。すべての生徒が必ずしも音楽家を目指していたわけではなかったが、教養として幼い頃からクラシック音楽に親しみ、貴族の伝統を守るための教育の一環として受け入れていた。
貴族出身の生徒の間には、実家の格によって絶対的な上下関係が存在した。名門貴族の出身者こそが他を支配する存在であり、平民の血が交じった者は「ミックス」と呼ばれ蔑視された。

Ladyの祖父もエイミーの実家も、先祖は「円卓の騎士」である。由緒あるヨーロッパ貴族であり、1500年の血統を誇る名門中の名門である。二人は性格的にも気丈で、基本的にはリーダー・タイプだった。
そんな中で、すべての貴族学生を凌駕するカリスマを持つお嬢様が、クラス・メイトの中にいた。
その名は「エル」。
学院の絶対女王であった。

Lady「すんごい名門出の娘(こ)でさあ。有無を言わさず、誰もがかしずくような女王様キャラなんだよね。でも、やっぱりウチの方が名門だったのかなあ?
それでも、気の強いアタシやエイミーでさえ後ろから付いていくしかなかったからね。そりゃあスゴいカリスマだったよ。」


入学早々、Ladyは級友たちから出自を尋ねられた。
『そら来た』と、身構えるLady。
日本人の血を引くLadyは、てっきり「ミックス」と蔑げずまれるものと覚悟した。ところが、意に反してLadyは名門貴族の令嬢として受け入れられた。貴族の令嬢・子息たちにとって、東洋の血統など吹けば飛ぶような些末(さまつ)なもので、Ladyの祖父の名門血統だけが重要視されたのだ。
女王様エルとその取り巻き貴族令嬢たちの絶対的権威は、たちまち学院を支配した。ミックスたちに対する侮蔑も徹底された。
学院の生徒に黒人はいなかったが、日本人・韓国人・台湾人・中国人等のアジア人はいた。Ladyのクラスにも、日本人マリコがいた。
エルが初めてマリコに近づいたのを見たとき、Ladyは強い決意を固めた。

Lady『あの娘は絶対イジメられる。日本人の血を引く者として、私があの娘を護ってあげなくては!』

エルの出方に身構えていたLadyだったが、結果はひどく拍子抜けするものであった。
エルはアジア人に対して常に寛容であり、時には男子生徒からプレゼントされたチョコレートを気前よく分け与えたりもした。
戸惑ったLadyはエルに尋ねた。

Lady「あの娘たちはミックスじゃないの?随分と親切なのね。」
エル「まあ、何をおっしゃるのサー(敬称)・Lady。
東洋人たちは生まれつき醜くくて、貧しく、可哀想な人たちなのよ。あの人たちは、私たち高貴な者たちが護ってあげなくてはならない存在よ。
それをイジメるほど、ワタクシは落ちぶれてはいなくてよ。」

『なるほど』とLadyは得心した。
歴史あるヨーロッパ貴族の令嬢たちにとって、アジア人は動物と同じなのだ。権威ある者にとって、出自の悪い白人は侮蔑すべき相手だが、動物を虐める趣味はないというわけだ。
こうした概念は、実際に欧米の社会で暮らした経験がないとわからないだろう。
国際性に乏しい日本人には、思いもよらない世界が存在しているのだ。

学院の女王エル。
彼女のカリスマは数々の伝説を生むのだった。
Ladyはしばらく前からニューヨークである。
以前からレギュラー出演が決まっていたアメリカの人気ドラマの合宿でカンヅメ状態となっいる。
撮影自体は来年になるが、新シーズンに出演する女優さんばかりを集め、管理体制の下でトレーニングや諸指導が行われているらしい。メンバーは世界中から集められているそうだが、Ladyは日本人としてではなく、イギリスからの参戦扱いとなっている。
Ladyはアーティスト、モデル、女優、音楽プロデューサー、作家、ついでに格闘家と様々な顔を持っている。アーティストとして名が知れているのはイギリスであり、どんな仕事であれ、世界を舞台に活躍するときにはイギリス人として扱われる。
見かけは白人だし、日本語より英語の方が流暢だし、それも仕方なかろう。エンターティナーの世界ではアジア人の評価は低いのだ。

合宿では毎日ストレッチやウエイトリフティング等で体作りが行われているそうだ。
Ladyは未だ筋肉痛が取れないという。アメリカの女優さんが皆筋肉質な理由を垣間見た気がする。
合宿に入って一週間ほどしたところで、5kgやせたとの連絡をもらった。現在は48kgまで落ちたという。
身長174cmで筋肉質なのに(筋肉は脂肪よりも比重が高い)、48kgの体重はやや細過ぎのような気もする。まあ、モデル業もあるので太るよりは良いのかもしれないが。
メンドくさがり屋で自発的にはなかなかトレーニングしないので、強制的にシゴかれるのは結構なことであろう。禁煙も強いられているそうなので尚結構というもの。

来年はドラマや映画の欧米ロケで忙しそうな雰囲気のLady。
日本で作品が観れるのはいつのことか。
アメリカの作曲家ルロイ・アンダーソンが作曲した、『タイプライター』という有名な曲がある。
アンダーソンは「アメリカ軽音楽の巨匠」などと評され、1900年代中ごろには大人気があった。
今の若い人は実際にタイプライターが稼動しているところ目にした機会は少ないであろう。アンダーソンのこの曲は、タイプライターの軽快さとリズムカルさを見事に体現し、改行したときの「チーン」という音を効果的かつユーモラスに織り込んでいる。
この曲を演奏するときには、実際のタイプライターを使ってキーを打つ音を楽器として使ったりしたそうだ。

知り合いのブロクで、現代版『タイプライター』の動画を紹介してあって面白かった。
出だしは従来の曲で始まるが、1分弱の辺りから現代版にアレンジしてある。笑えた。

ご覧になる際は、ご自分のPCが誤作動したと勘違いされないように。


ある古刹に、晩年のおね(北政所)とお松(芳春院)が二人で四方山話をしている記録が残っているそうだ。
既に徳川政権になってのことであり、秀吉や利家のことを思い出話する二人の会話を寺の小坊主がその場で手記しているものである。
まだ誰も現代語訳していないので、いつか出版したいと師匠が話していた。古文書が読めない私は師匠からその興味深い内容を一部伝え聞いただけである。
きわめて興味深い話を。
そのさわりだけ。

おね「ウチの人もさあ、おかしくなったのは勝家殿を倒してからよね。勝家殿はウチの人にとっては憧れで目標だったものねえ。それを自分で倒しちゃって、あの人の暴走が始まったんだわ。結局、お市様も手に入れることができなかったし。」
お松「そうだねえ。ウチの人にとっても勝家殿は父親みたいな人だったのにさあ。男ってバカよねえ。」

二人は秀頼が秀吉の子でないことも知っていたようだ。
おね「茶々殿にも苦労をかけたわ。秀頼殿はあくまでウチの人の子種でないとならないからねえ。とやかく言う人が多かったから、噂を封じるのが大変だったね。」
お松「ホントだね。みんな苦労したよね。」

そこでおねは手記をしている小坊主に向かって釘を刺した。
おね「これ、今の話は書き留めなくて良いからね。」
小坊主「はい、わかりました。」
小坊主はそのままの言葉を書き留めた。
『高台院様が今の話しは書くなとおっしゃられた』と。
おかげで興味深い話が後世に伝わったのだ。

個人的には出版はともかく、師匠に全文を現代語訳して読ませてもらいたいものである。

私は甘党である。チョコレートも好きだ。

若い頃、ファストフード店のドリンク・メニューにホット・チョコレートがあるのを見て、「飲むチョコレートって何?」と飲んでみて、「なんだ、ココアじゃん」と思ったことがある。

ホット・チョコレートココアは似て非なるものである。

 

チョコレートはスペインではチョコラーテ、フランスではショコラと言う。

原料はカカオ豆である。カカオ栽培まったのは中央アメリカでメキシコ高原にマヤ文明が栄えていた紀元前200~900年のことらしい。

カカオ豆の学名「テオブロマ カカオ(Theobroma Cacao)」は、ギリシャ語で「神の食べもの」を意味するそうで、かつてはたいへん高価に取引された

中央アメリカでは貨幣代わりに流通し、ヨーロッパではカカオ豆100粒が奴隷一人と等価とされていた。

元来は強壮剤などの薬として飲まれる、たいへん高価な食品だったのだ

 

かつてのヨーロッパの大国では、どの地方の国を植民地としていたかで嗜好飲料が異なってた。

インドなどのアジアを征服した国には紅茶の文化が広まり、アフリカや南米を支配した国にはコーヒーが広まっていった。

コロンブスのアメリカ大陸発見により、スペインは新大陸に覇権を延ばし、16世紀前半にチョコレートは海を渡った。貴族階級の贅沢品として扱われ、17世紀 になるとヨーロッパ各国に伝わった。

砂糖を混ぜることで飲みやすくし、女性にも好まれるようになり、チョコレートハウスなども誕生した。チョコレートハウスは当初紳士淑女の社交場だったが、やがて反政府運動家のたまり場となり、売春婦が横行するに至って世間の不評を買うこととなる。

しだいにその姿は消えていった。

 

チョコレートは脂肪分が多く、お湯に溶けにくい。また、発酵した酸性物質のために刺激が強いという欠点もあった。

19世紀初頭、オランダのバンホーテン(ココアメーカーバンホーテンの創設者)が、50%程あるチョコレートの脂肪分を半分にする製法を発明し、特許を取得した。こうしてできたのがココアパウダーである。

バンホーテンはパウダーをアルカリ処理することにより中性に近づけ、より口当たりが良く、まろやかな飲み物へと洗練させた。

ココアは全世界に普及することとなる。

さらに、ココア製造過程で抽出された余分な脂肪分から、固形チョコレートが作られた。

日本人にも馴染み深い食べるチョコレートが発明されて、まだ150年程しか経っていない。

日本に入ってきたのは文明開化後の明治時代だが、当初牛の血を固めた食べ物との噂が立ち、庶民に敬遠されたという。

 

私は喫茶店などではココアを好んで注文する。生クリームを浮かべたホット・ココアは気分をリラックスさせる。珈琲、紅茶も好きなのだが、ゆったりしたい時にはココアが良い。メニューにあればハーブティを選ぶこともある

落ち着いた雰囲気の店でお茶しながら独りの時間を満喫するのは至福のひとときである

 

尚、チョコレート、ココア共にポリフェノールや食物繊維、ミネラルが多く、身体に良いとされているが、それはあくまでノン・シュガー状態でのこと。

加糖しないチョコレートやココアはかなり苦いので、覚悟して飲む必要があだろう