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歌謡曲と言っても様々なジャンルがある。
「有楽町で逢いましょう」は「都会派ムード歌謡」といえよう。
敗戦から復興、もはや戦後ではないといわれ、高度経済成長へと突き進む時代。
1957年(昭和32年)にこの歌は誕生した。
この年デパートの「そごう」が有楽町に出店し、その宣伝キャッチコピーが「有楽町で逢いましょう」であった。
このフレーズは人気を博し、そのフレーズをそのままに、吉田正作曲、佐伯孝夫作詞で「有楽町で逢いましょう」を作り上げた。歌ったのはフランク永井。その低音の魅力が歌のムードを盛り上げる。
作曲家吉田正はシベリア抑留の苦しい時代、歌で同僚を励ました。
その時作ったのが「異国の丘」。後に帰還して発表され、デビュー曲となる。
その後も数々の作曲を手掛けるが、この「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで、自身初めて作曲家としてメシが食えると実感したという。
その後は「潮来笠」「いつでも夢を」などの多くのヒット曲で日本を代表する作曲家となり、国民栄誉賞を受賞する。作詞家佐伯孝夫とのコンビで多くの曲を残している。吉田正の曲は「都会派歌謡」の象徴でもあった。
 
あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああ ビルのほとりの ティー・ルーム
雨も愛しや唄ってる 
甘いブルース
あなたと私の 合言葉
「有楽町で逢いましょう」
 
こころにしみる 雨の唄
駅のホームも 濡れたろう
ああ 小窓にけむる デパートよ
きょうのシネマは ロード・ショー
かわすささやき
あなたと私の 合言葉
「有楽町で逢いましょう」
 
かなしい宵は 悲しいよに
燃えるやさしい 街あかり
ああ 命をかけた 恋の花
咲いておくれよ いつまでも
いついつまでも
あなたと私の 合言葉
「有楽町で逢いましょう」
 
有楽町マリオン前に歌碑がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
有楽町駅は銀座への玄関口。当時有楽町周辺自体は決して華やかなところではなかったという。
しかしこの歌のヒットにより、有楽町で待ち合わせ、ティールームで語らい、デパートで買い物、ロードショーを観て、銀座へ・・・といった若いカップルもいたことであろう。
当時は憧れの場所であったのである。
 
有楽町周辺も当時から大きく変貌を遂げている。
歌の舞台ともなった「そごう」は2000年に経営破綻し、合わせて有楽町そごうも同年閉店した。そのあとは家電量販店になっている。
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有楽町にあった東京都庁は1991年に新宿に移転し、そのあとには東京国際フォーラムが建設された。
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駅前には有楽町イトシアという複合ビルが建っている。
「イトシア」は歌の歌詞にある「雨も愛しや 唄ってる」を連想させる。
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新しくなったシネマもティールームもある。
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昔ながらの駅前の風景も残っている。
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この日帰りに渋谷駅に降りた。
人の賑わいは、特に若者の多さは有楽町の比ではなかった。
「有楽町で逢いましょう」の歌すら知らない人が大半であるだろう。
しかし私は今もって渋谷の賑わいはなじめない。
有楽町が恋しく思えた。