東京都中野区は私が学生時代を過ごしたところであり、政治を学んだところ、そしてその後区議会議員を二期勤めたところである。
中野を離れてはや14年になるが、今でも中野は私の東京での故郷のように思えるのである。
 
最近久しぶりに中野区の話題を目にした。
ある新聞に『自ら訴えた「多選自粛」、削除提案 4選目指す中野区長』とあった。
事の成り行きを私なりにまとめると次のようになる。
 
現中野区長の田中大輔氏は12年前の2002年、中野区の職員を辞し区長選に立候補した。
4期16年務めた区長の引退を受けての選挙であった。
この時の主な候補は、引退した区長の後継者として前助役、自民党から現職区議、社会党の中野の責任者を長年務めた元都議、そして田中氏。この4名が有力候補であった。
私はその時は議員ではなかったが、元都議の支援をした。
他の3方とも良く知っている方である。
結果は田中氏が元都議に僅差で勝ち初当選を果たした。
 
この選挙戦で田中氏は4期16年の前区長の区政を批判していた。
無党派、市民派ということを前面に出していたように思う。
「100%市民派」というキャッチフレーズも目にした。
しかしその支援には前区長に批判的な区のOB、市民派と呼ばれる区議、当時の民主党、労働組合の連合などが名を連ねていたように思う。
そして前区長の区政を長年の運営による停滞と位置付け、その中で多選を批判し、自らは当選しても2期までと言っていた。
多選批判が一つの目玉でもあった。
 
そして新しく区長になった田中氏のもとで「中野区自治基本条例」が制定された。
これは中野区の自治の基本を定めるもので、いわば中野区の「憲法」のようなものである。2005年に制定された。
その条例に区長の肝いりで入れられたのが、区長の多選自粛の項目である。
その条文はこうである。
 
第7条 区長は区民の信託にこたえ、区の代表者として、公正かつ誠実な行政運営 を行わなければならない。
2 活力ある区政運営を実現するため、区長の職にあるものは、連続して3期(各 任期における在任期間が4年に満たない場合もこれを一期とする。)を超えて在 任しないよう努めるものとする。
3 前項の規定は、立候補の自由を妨げるものと解釈してはならない。
 
自治体の首長の多選批判はこれまでも多く言われてきているが、条例に明記されることは珍しい。ただ法律との兼ね合いもあり、ここでも多選の禁止をいっているのではなく、あくまで努力義務のようなものである。多選の自粛である。
 
さて田中区長はその後、2期、3期と当選を果たす。
3期目に立候補した時点で最初の立候補の時に言っていた2期で終えるということは覆されている。
そしてその間に議会との関係も、自民、公明が与党になる。どこにでもある話だ。
区長がすり寄ったのか、自公が抱え込んだのかは知らないが、べったりのようである。
 
そして今回3期目の任期を終えるに当たり、議会で4期目の立候補の意思を表明した。
そして自ら提案した多選自粛の項目を削除する条例案を提出したのである。
議会でも大変な議論になったようであるが、結果的に先月の議会で条例案は自民・公明などの賛成多数で可決した。
前掲の条文の下線部分が削除されたのである。
 
私は多選批判にはあまり賛同しない。多選自粛もいただけない。
確かに多選の指摘される弊害はあるにしても、選挙で選ばれる以上有権者が判断すべきことであると思うからである。世論調査でも多選を好ましくないと思う人の方が多い。
多選を批判したり、自ら任期に制限を加えるのは、時として政治的パフォーマンスであることが多いように思う。ただ任期途中で投げ出すことの方も問題である。
 
さて中野区の多選自粛の項目を削除すること自体、私の考からすると賛成。となるのであるが、事はそう簡単ではない。
当初の条文からすれば、立候補の自由は妨げないので、田中区長も4期目の立候補はできるはずだ。
しかし自ら3期を上限と設定した以上、4期目に立候補することはみっともない。
そこで今回何が何でも立候補するとしたら、この条文そのものを削除するという事しかないのである。その理由付けは、多選が必ずしも区政の活力を失わせるものではない。と。
何年も議論し、多くの意見を聴いた上に制定された中野区自治基本条例。
こんなことで簡単に変えられていいものであろうか。
まさに田中区長の区政の私物化であると言ったら言い過ぎであろうか。
田中区長だけではない、議会も当初の条例に全会一致で賛成している。
この際区議会議員の多選についても考えたほうがいいのでは。
 
区長選は6月である。
ここできっぱり引退を表明すれば、いい見本になり、後世に名を残せた?かも。
しかし区長の座はよっぽど居心地が良かったのであろう、当初の志どこへやら。中野区の自治の精神どこへやら。である。
自民・公明をがっちり味方につけた田中区長。
田中区長はこれで立派な「区長」ではなく「りっぱな政治家」になられた。