桜咲く春の情景を歌い、今日まで長く歌い継がれている歌といえば、唱歌「花」であろう。
その歌の舞台となっているのが、隅田川。
東京の下町を流れ、多くの歴史、文学、歌などの舞台ともなった。
 
昨日その隅田川を訪ねた。
今まさに花見の名所となっている。
「春のうらら」というより花冷えのする日であった。
 
浅草を出てすぐ隅田川に行き当たる。
吾妻橋から上流に言問橋にかけて川の両岸が隅田公園となっており、多くの桜が咲き誇る。
 
「花」の歌碑がこの公園にあるというのでまずそこを訪ねようと思ったのであるが、その場所を近所の商店の人、水上バスの関係者、警備員などに尋ねてみたがみんな知る人はなかった。そんなに知られていないのか・・・
何とかその場所にたどり着いた。言問橋のたもとの近くにそれはあった。
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多くの花見客の目にも止まらず、ひっそりとそれは存在していた。
意外であった。
作詞をした武島羽衣の直筆の詞が碑に刻まれている。
「花」は四季を題材にした歌曲集として作曲家滝廉太郎が創ったもので、春の歌がこの「花」として特に今日まで単独で歌い継がれている。1900年(明治33年)、滝廉太郎22歳の時であった。武島羽衣28歳。
当時の隅田川の春ののどかな情景を歌ったものである。
明治、大正、昭和前期にかけ当時の女学生、思春期の少女たちに特に愛唱されたといわれる。
 
春のうららの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしずくも花と散る
ながめを何にたとうべき
 
みずやあけぼの露浴びて
われにもの言う桜木を
みずや夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を
 
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとうべき
 
歌曲として作られたものらしく、一番、二番、三番でメロディーが異なる。
当時も桜の名所であったのであろうが、当然今の情景とは異なる。
江戸時代徳川吉宗がこの地に桜を植えたのが始まりとされる。その後震災や、戦災で被害を受け、戦後今の姿になった。今は約700本の桜並木があり、春は花見、夏は花火の名所となっている。
 
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屋形船、遊覧船、水上バスが行き交う。
 
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時代は変わっても、花を愛でる人の心は変わらない。
 
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桜も美しいが、その中に咲く菜の花がより美しく感じられた。
 
桜が主役のはずであるが、ここからまず目に入るのが、その圧倒的存在感を誇る一つの建築物。東京スカイツリーである。
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日が沈むと、夜桜見物。船の数がさらに増える。
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スカイツリーも桜色のライトアップ。
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「くるればのぼるおぼろ月」ならぬ「暮れれば灯るスカイツリー」である。
 
ここでは夜の主役もやはり東京スカイツリーであった。
 
ながめを何にたとうべき。