猪瀬都知事が辞職会見をしているまさにその時、都庁の横を車で通っていた。
車を新宿駅西口地下に止めていたとき、ふと一年前の光景が目に浮かんだ。当時の石原知事が突然知事を辞職。
辞職というより自ら放棄した形だ。
今ちょうど田中角栄に関する新刊本を読んでいるところで、その中に石原慎太郎のことが書いてあった部分を読んだ直後であったので、よけい思いが廻ったのであった。
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この本は、田中角栄の秘書であった朝倉昭氏が間近で見てきた田中角栄論である。
 
石原慎太郎は大の田中角栄嫌いである。田中角栄を諸悪の根源とする。
「君 国売り給うことなかれ」という論文でも田中角栄をこき下ろす。
よほど氏の大嫌いな中国と国交を正常化させたことが気に入らないのか。
その後も田中的政治を一貫して批判している。
 
石原慎太郎は若くして芥川賞を受賞している。
作家としてはそこそこなのであろうが、その言動はまさに聞くに堪えないものが多い。ある人たちから見れば、胸のすく言葉であろうが、私には耐えられない。
まさにどこかの政党ではないが、唯我独尊、独善的である。
政治家としての行動も筋が通っていない。
かつて美濃部都政に対抗して都知事選に出馬し敗北。国会議員に戻り、在職25年の表彰の演説で「日本の政治に失望した」と突然議員辞職。その後再び都知事選に出馬し当選、三期目の途中の昨年都知事という重責を投げ打って、国政に再び復帰である。
私の田中角栄論については改めて書くつもりであるが、リーダーとしての器は比べ物にならない。
 
いろいろ言いたいことはあるが、この著書の中にかかれている文を紹介させていただく。
1975年の都知事選に敗北した後に石原氏が「文藝春秋」に寄稿した「青春の条理に殉ず 我が都知事選奮戦記」である。さすが作家、題名は素晴らしい。その中の一文である。
「私がもしこの役回りを引き受けぬ限り、今回の都知事選は闘いとしては成り立つまい。つまり美濃部氏に対抗して、過去八年の杜撰極まりない無為無策の都政の偉大な虚名に立ちはだかって闘いを挑む他の人間のありよう筈はなかった。この東京の荒廃を、革新という虚名のもとに徒らに美化するだけで、選挙という民主主義のための唯一の手段の内で、正当な批判のないまま無競争でさらに四年継続させることは、単に東京の不幸のみならず、日本の政治、日本の社会全体にとって、危険で悪い成果を招くものでしかない、かつて過去一年間田中角栄氏と闘ってきた時に口にした、田中氏を倒すのも美濃部氏を倒すのもともに国のためという、極めて素朴な判断に還って私はこの選択を行ったのだ。
 その闘いを終えた今、成果は別にして、私は一人の政治家として、一人の男として、あるいは私個人の感傷かもしれぬが、ひとつの責任は果たし得た満足の感慨でいる。」さすが芥川賞作家。
1975年の都知事選の時の発言として
「もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」
この人に反省する言葉はない。
都政を放棄して国政に未練がましく復帰した今のありさまはご承知の通り。
自分で苦労し、泥をかぶり、人の心をつかむ。資金は自分で集める。
田中角栄の組織造りとは雲泥の差である。
田中角栄の爪の垢でも煎じて飲んだらいかがか。
そのうちまた国政も飽きて投げ出す時期はそう遠くないのでは。