季節は確実に夏が遠ざかっていくのを感じられるようになってきた。
秋を歌った歌は多い。
なかでも「里の秋」は好きな童謡の一つである。
その理由は、抒情的なメロディーとしんみりとした詩であるとともに、この歌に歌われたような情景が私の育った故郷の田舎町に重なるからでもある。
私はずっと母と子の二人で暮らす田舎の秋の夜の風景を歌ったものとして歌ってきた。
この歌の生まれた背景を知るに至って、この歌のイメージが少しだけ変わった。
 
「里の秋」の作詞者斉藤信夫は千葉県成東(現在の山武市)に生まれ千葉で教員をしていた。
戦前この曲の構想は出来上がっていた。
一、二番は今と同じでいなかの家族の状況。
三、四番は戦争というものが色濃く出ているものとなっている。
三 きれいなきれいな椰子の島 しっかり護って下さいと ああ父さんの御武運を 今夜も一人で祈ります
四 大きく大きくなったなら 兵隊さんだようれしいな ねえ母さんよ僕だって 必ずお国を護ります
この詞の題は「星月夜」と名付けられたが世に出ることはなかった。
 
戦争が終わり斉藤は教師を辞める。
戦争中生徒に「日本は必ず勝つ、君たちもお国のために尽くしてほしい」といったこともあり、その責任を感じていた。
 
戦後NHKのラジオ番組のテーマ曲として「星月夜」は「里の秋」となって世に出ることになった。
詞は三、四番が削られ今の三番が新たに書かれた。
川田正子が歌った。終戦から四か月後のことである。
 
しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人 
栗の実 煮てます いろりばた
 
あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
 
さよなら さよなら 椰子の島
お舟に 揺られて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります
 
戦争が生み出した悲しい歌であった。
動画サイトで自民党のある代議士がこの歌は「軍歌」だと言って、歌の背景を説明し自ら歌っていた。
私は違和感を感じた。
この歌は戦争で打ちひしがれた人の心を癒す歌になったのだと思う。
ふるさとの静かな情景とともに、戦地から引き上げる人、それを待つ人の思いを歌ったのである。
 
戦後斉藤信夫は童謡の創作を続けた。
そして教員に復職する。
 
以前斉藤信夫の生地である山武市の近くに行く機会があり、「里の秋」の歌碑を訪ねた。
それは山武市の小高い丘の「成東城跡公園」にあった。そこからは九十九里浜が近くに見渡すことができる。
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「里の秋」は、そうした誕生の背景があることも頭に入れたうえで、やはり故郷の情景を思い描きながら歌い継いでいきたいと思う。
そしてこうした歌が二度と作られることのないようにと願いながら。