雨の外苑 夜霧の日比谷
今もこの目に優しく浮かぶ・・・・
 
東京を歌った曲は多くあるがこの「東京の灯よいつまでも」は1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催された年に発売されミリオンセラーを記録した名曲である。
日本は高度経済成長の真っただ中、そんな中で開催される東京オリンピック。日本が最も活気づいていた時代、そんな時代の東京への憧れ、夢、思い出を歌った歌である。
この歌は実は東京オリンピックを意識して作られたそうである。この歌に出てくる場所は外苑、日比谷、羽田である。
外苑にはオリンピックのメイン会場がある、日比谷は皇居周辺をランニングする場所でもある、羽田は多くの外国人選手が日本に降り立ち、去ってゆく場所である。
しかしこの歌を聴くとそこに描かれている東京は、憧れの東京での甘く、淡い出会いと別れが歌われている。
同じ年に発売された曲に「ああ上野駅」がある。
この歌は高度成長の中で集団就職で上京した若者の人生、故郷への思いが歌われた。
ともに日本の高度成長を象徴する歌として記憶に残る。
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          オリンピックのメイン会場 国立競技場周辺
 
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          羽田空港 国際線ターミナルビルより
 
「東京の灯よいつまでも」に出てくる日比谷を訪ねた。
日比谷公園はまさに都心にあるオアシスであることを実感させられる。
しかし私には歌にあるようにここに甘い思い出は無い。
あるのはかつて公園内にある日比谷野外音楽堂で行われた多くの集会に参加した思い出である。
集会後デモ行進で数寄屋橋交差点を通り、東京駅までのコースで銀座のネオンがやけに眩しかった。
日比谷公会堂は集会だけでなく、いろいろな大会が開催された、自治体関係のものにも多く参加した。
この日比谷公会堂は1960年、当時の社会党委員長浅沼稲次郎が右翼の青年に刺殺されたところでもある。
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日比谷公園は憩いの場である
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日比谷公会堂
 
私が初めて実際の東京を見たのは、高校三年の冬の受験の時である。
新幹線の窓から見た光景は今も焼き付いている。
横浜あたりでなだらかな丘陵地帯に密集する住宅を見て都会を感じ、はるかに見える新宿の高層ビル群を視て大都会を感じた。そして終点東京駅の手前で見えた東京タワーにまさしく東京を実感した。
 
あれから30年以上が経ち、東京も大きく様変わりした。
高層ビルもあちこちに林立している。
夜レインボーブリッジを通るとここが日本かと思わせるような夜景が広がる。
昨年は東京タワーに代わる新たなシンボル、東京スカイツリーの灯がともった。
それぞれに思いのある東京の灯。
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          隅田川と東京スカイツリー
 
ああ 東京の灯よ いつまでも
 
私にとって東京の灯は昔も今もそしてこれからもオレンジ色に照らされる東京タワーである。 
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