昨日衝撃の死を遂げた藤圭子。
その芸能界へのデビューも衝撃的であった。
昭和44年「新宿の女」で歌手デビューする。
おかっぱ頭に大きく輝く瞳。お人形さんのようだといわれた。
しかしどこか影がある。
 
わたしが男になれたなら
私は女を捨てないわ
ネオンぐらしの蝶々には
やさしい言葉がしみたのよ・・・・・
 
16歳の少女はデビュー曲「新宿の女」で男にだまされた夜の女性を歌った。
独特のじゃがれた声で。
そこには笑顔で青春を歌うアイドルのイメージはない。
その翌年「圭子の夢は夜ひらく」では
 
十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
 
ここでも夜の女の心境を歌った
続けて「命あずけます」
どこまでも夜の女性を歌った。
 
若者は学生運動で挫折を味わった時代
その時代にもマッチした。
作家五木寛之はこれら藤圭子の歌を「怨歌」と呼んだ。
 
新宿は夜の女性が働き、若者のエネルギーが発散される場所でもあった。
藤圭子が歌った夜の女性は銀座でも六本木でも池袋でもなく「新宿の女」であった。
 
今朝新宿の十二社通りを車で通ったら、テレビ局の車が止まっていた。
藤圭子が自殺した現場近くであろう。
西新宿は都庁をはじめオフィスビル、高層マンションが立ち並び再開発が進む。
 
バカだな バカだな
だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女
 
藤圭子の命はその新宿に散った。