昨日は68回目の終戦記念日であった。
今年も東京で迎えた。6年前父の新盆以来帰省していない。
朝目覚めるとすでに日差しが眩しい。蝉時雨が聞こえる。
右翼の街宣車が流す軍歌が遠く聞こえる。靖国神社を目指すのであろう。
ふと母に電話してみた。私の親族関係者の中で靖国神社に祀られている人があるかどうか確かめてみた。
いないということであった。皆帰還したそうだ。祖父や叔父が戦争に行ったという話は聞いたことがあった。
しかし祖父や叔父から戦争の様子を詳しく聞いた記憶はない。あえて話さなかったのか、今にして思えば聞いておきたかったと思う。
今年の終戦記念日に私はある論文を読んだ。以前よりこの日に読もうと決めていた。
丸山真男の「超国家主義の論理と心理」である。
1946年雑誌「世界」に掲載され大きな反響を呼んだ。
これにより丸山真男は一躍注目を浴び、その後論壇を中心に活躍することになる。
この時若干32歳であった。
この論文は明治以来第二次世界大戦に至るまでの日本の軍国主義の分析を、政治、経済といった視点でなく、精神構造を基に行った点が画期的であった。そしてその精神の絶対価値=天皇という構図を導き出す。そして責任の所在もあいまいで「無責任の体系」となる。
今では一つの論として定着しているが、当時としては衝撃的で、多くの人をして「目が覚める思い」「目から鱗が落ちる」と言わしめた。
わずか本にして18ページほどの論文であるが、内容は深く難解でもある。しかしその文体は比喩をちりばめ、文学的でもある。丸山真男自身後に「文章やスタイルがいかにも古めかしく、しかも極度に問題を圧縮して提示しているので、どう見てもあまり分かりのいい論文ではない。」と述べている。
しかしこうしたものをたまにじっくり読むのもいいものである。
丸山真男は戦後講和問題、憲法問題、安保などで論壇を中心に積極的に発言してきた。しかし晩年は本業の日本政治思想史の研究に没頭し、表に出ることはなった。
数年前ある大学の政治学科を卒業した若者に丸山真男について聞いたら知らないとのことであった。
そういうものなのかなと思うしかなかったのが今でも印象に残っている。
丸山真男は軍隊の経験もしている、広島の宇品で被爆を体験し終戦を迎えた。こうした軍隊の経験もこの論文の背景にあり、後の思想形成にも影響したものと思える。
丸山真男が亡くなる半年前に教え子たちとの集まりで話した最後の肉声がある。時は日本中がオウム事件が巻き起こったころである。丸山は「オウムは人ごととは思えない、私の青年時代は日本中がオウムのような状態であった。日本の外に出れば通用しない理屈が、日本の中でだけ堂々と通じる」と。そしてそこに通ずる問題は「他者感覚」の無さであると。丸山の最後のメッセージとも受け取れる。
「超国家主義の論理と心理」はこう結ばれる。
「日本軍国主義に終止符が打たれた8.15の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や初めて自由の主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」
これを書いて50年後の1996年の8.15は丸山真男が生涯の思索に終止符を打った日であった。
 
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