2015.7.22 【過越しの祭りと主イエス・キリストの十字架】
マタイ26:1-13節
これは、主イエスが十字架にかかる二日前の出来事を現しています。ここでのポイントは「過ぎ越しの祭り」です。
では、過ぎ越しとは何かを映画を少し観てから、過ぎ越しの祭りとキリストの十字架との関連性を考えていきたいと思います。
過越しの祭りの発端は、今から3,500年前にエジプトで起きました。
これについての聖書は、旧約の出エジプト12;1-14節、出エジプト34;22などで確認できます。 ⇒映画を観るhttps://www.youtube.com/watch?v=aTpKYlFVtyQ (39:00-45:00)
過越しの祭りは、イスラエルにおける三大祭の一つです。
1、 過ぎ越しは、メシアとして来られた主イエスの復活によるキリスト者の救いを暗示しています。(出12:1-14)
2、 小麦の刈り入れの初穂のために7週の祭りがあります。これを五旬節とも言います。
エジプトを出たイスラエル人は、七週間の祭りの際、モーセがシナイ山に登っている間、モーセを待ちきれませんでした。そしてアロンとイスラエル人たちは、目に見える形としての黄金の子牛の神、偶像を造り、これに拝みます。これは彼らにとっての大きな罪となりました。(出34:22)
3、 年の変わり目に収穫祭を行ないます。これを「Thanks giving day」として、アメリカでも祝っています。(出34:22)これの由来は、仮庵祭りで、イスラエルの民がエジプトを出て、荒野で天幕の生活をしたことを記念としています。
ここで注目すべきことは、マタイの福音書26章の過越しの祭りから、50日目の使徒の働き2章の聖霊降臨までちょうど50日がかかったことです。この日が五旬節の日、ペンテコステだったのです。これは、言い換えますと、旧約聖書の出エジプトでの「Pass Over」過ぎ越しの出来事からイスラエル人たちがエジプトを出て、ちょうど50日後にシナイ山でモーセに神の律法である十戒が与えられたことです。
ですから、出エジプトの過越しは、メシアが来られるという預言であり、その救いは、過ぎ越し祭りの際、小羊として、十字架にかかられた主イエスがそのメシアであることを証明しています。そして、人の子、神の子である主イエスの流された血によって、私たちの心の扉にその血を塗ることで、私たちは、神の呪いから免れることになるのです。
キリストは十字架につけられて死んで、三日目に復活し、40日間弟子たちに現れ、その後天に上ります。そして、その一週間後に集まった120人の弟子たちにキリストの霊である聖霊が下るのです。これを、ギリシア語で50日を現すペンテコステと言うのです。
先ほども申しましたが、「過ぎ越し」とは、出エジプト記12章にもありますように、神の民とそうではない者たちを分けて裁くために、子羊の血を扉に塗ることによって、神の天罰を免れ、救われることを意味します。
メシアであるキリストが過ぎ越しの羊として十字架で死なれて、ちょうど50日目に聖霊がユダヤ人ではない、主イエスを信じる全ての人に下ったのです。これが神からの新しい契約です。
旧約では、出エジプト、即ち、神は「Pass Over」、過ぎ越しの出来事を通して、ご自分の民を救われました。そして、ご自分の民がエジプトを出て、過ぎ越しから50日目にモーセを通してご自分の御言葉を彼らに与えられました。
しかし、新約においては、キリストの死後、50日目に聖霊が主イエスを信じる人たちに下りました。
これは即ち、旧約では神がモーセを通して、ご自分の民に間接的に言葉を語られたとするならば、新約においては、第二のモーセである主イエスの霊が直接的に主の兄弟たちに下ることによって、間接的ではない、直接的に私たちが神と会話ができるようになったことを意味します。
ですから、Pass Over された私たち、言い換えまして、神の恵みによって救われた私たちはモーセのように御言葉が与えられるしるしとして、聖霊を受けなければなりません。
マタイ26:6節に戻りたいと思います。6節には、主イエスが、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとあります。
「ツァラアト」とは、ヘブライ語で、ハンセン病のことです。ツァラアトに冒された人は、ユダヤ人世界では、「汚れている人、仲間外れ、のけ者とされる」ことを意味しているそうです。ツァラアトのヘブライ語の語源は、「崩壊する」「打ち砕く」の意味を持っています。そして、「天罰を受けた人」を示しています。
ここで、考えてみたいと思います。
私たちは、実際、霊的なツァラアトに冒された者です。
アダムの罪から始まって、生まれたときから、私たちの遺伝子は神に呪われたのです。
しかし、神の子であり、神である主イエスは、過ぎ越しの小羊として私たちが天罰から逃れるように、私たちの身代わりとして十字架にかかられました。そして、その十字架上で流された血によって、私たちは霊的なツァラアトの状態から、つまり、天罰を受けて、呪われる状態から、打ち砕かれ、悪魔サタンから解放されることになりました。
これぞ、本当の自由であり、平和を意味する過ぎ越し祭りの小羊として死なれたキリストの犠牲なのです。この方が、ツァラアトに冒された、いや皆からのけ者にされた人シモンの家におられたということは、今も主イエスを信じる私たちの心の家にも共におられる証拠ではないかと思います。
では、祈らせていただきます。
マタイ26:1-13節
これは、主イエスが十字架にかかる二日前の出来事を現しています。ここでのポイントは「過ぎ越しの祭り」です。
では、過ぎ越しとは何かを映画を少し観てから、過ぎ越しの祭りとキリストの十字架との関連性を考えていきたいと思います。
過越しの祭りの発端は、今から3,500年前にエジプトで起きました。
これについての聖書は、旧約の出エジプト12;1-14節、出エジプト34;22などで確認できます。 ⇒映画を観るhttps://www.youtube.com/watch?v=aTpKYlFVtyQ (39:00-45:00)
過越しの祭りは、イスラエルにおける三大祭の一つです。
1、 過ぎ越しは、メシアとして来られた主イエスの復活によるキリスト者の救いを暗示しています。(出12:1-14)
2、 小麦の刈り入れの初穂のために7週の祭りがあります。これを五旬節とも言います。
エジプトを出たイスラエル人は、七週間の祭りの際、モーセがシナイ山に登っている間、モーセを待ちきれませんでした。そしてアロンとイスラエル人たちは、目に見える形としての黄金の子牛の神、偶像を造り、これに拝みます。これは彼らにとっての大きな罪となりました。(出34:22)
3、 年の変わり目に収穫祭を行ないます。これを「Thanks giving day」として、アメリカでも祝っています。(出34:22)これの由来は、仮庵祭りで、イスラエルの民がエジプトを出て、荒野で天幕の生活をしたことを記念としています。
ここで注目すべきことは、マタイの福音書26章の過越しの祭りから、50日目の使徒の働き2章の聖霊降臨までちょうど50日がかかったことです。この日が五旬節の日、ペンテコステだったのです。これは、言い換えますと、旧約聖書の出エジプトでの「Pass Over」過ぎ越しの出来事からイスラエル人たちがエジプトを出て、ちょうど50日後にシナイ山でモーセに神の律法である十戒が与えられたことです。
ですから、出エジプトの過越しは、メシアが来られるという預言であり、その救いは、過ぎ越し祭りの際、小羊として、十字架にかかられた主イエスがそのメシアであることを証明しています。そして、人の子、神の子である主イエスの流された血によって、私たちの心の扉にその血を塗ることで、私たちは、神の呪いから免れることになるのです。
キリストは十字架につけられて死んで、三日目に復活し、40日間弟子たちに現れ、その後天に上ります。そして、その一週間後に集まった120人の弟子たちにキリストの霊である聖霊が下るのです。これを、ギリシア語で50日を現すペンテコステと言うのです。
先ほども申しましたが、「過ぎ越し」とは、出エジプト記12章にもありますように、神の民とそうではない者たちを分けて裁くために、子羊の血を扉に塗ることによって、神の天罰を免れ、救われることを意味します。
メシアであるキリストが過ぎ越しの羊として十字架で死なれて、ちょうど50日目に聖霊がユダヤ人ではない、主イエスを信じる全ての人に下ったのです。これが神からの新しい契約です。
旧約では、出エジプト、即ち、神は「Pass Over」、過ぎ越しの出来事を通して、ご自分の民を救われました。そして、ご自分の民がエジプトを出て、過ぎ越しから50日目にモーセを通してご自分の御言葉を彼らに与えられました。
しかし、新約においては、キリストの死後、50日目に聖霊が主イエスを信じる人たちに下りました。
これは即ち、旧約では神がモーセを通して、ご自分の民に間接的に言葉を語られたとするならば、新約においては、第二のモーセである主イエスの霊が直接的に主の兄弟たちに下ることによって、間接的ではない、直接的に私たちが神と会話ができるようになったことを意味します。
ですから、Pass Over された私たち、言い換えまして、神の恵みによって救われた私たちはモーセのように御言葉が与えられるしるしとして、聖霊を受けなければなりません。
マタイ26:6節に戻りたいと思います。6節には、主イエスが、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとあります。
「ツァラアト」とは、ヘブライ語で、ハンセン病のことです。ツァラアトに冒された人は、ユダヤ人世界では、「汚れている人、仲間外れ、のけ者とされる」ことを意味しているそうです。ツァラアトのヘブライ語の語源は、「崩壊する」「打ち砕く」の意味を持っています。そして、「天罰を受けた人」を示しています。
ここで、考えてみたいと思います。
私たちは、実際、霊的なツァラアトに冒された者です。
アダムの罪から始まって、生まれたときから、私たちの遺伝子は神に呪われたのです。
しかし、神の子であり、神である主イエスは、過ぎ越しの小羊として私たちが天罰から逃れるように、私たちの身代わりとして十字架にかかられました。そして、その十字架上で流された血によって、私たちは霊的なツァラアトの状態から、つまり、天罰を受けて、呪われる状態から、打ち砕かれ、悪魔サタンから解放されることになりました。
これぞ、本当の自由であり、平和を意味する過ぎ越し祭りの小羊として死なれたキリストの犠牲なのです。この方が、ツァラアトに冒された、いや皆からのけ者にされた人シモンの家におられたということは、今も主イエスを信じる私たちの心の家にも共におられる証拠ではないかと思います。
では、祈らせていただきます。







