2018年になりました。
私は2016年6月から2017年12月末まで、韓国と中国にいました。
中国では、シルクロードの舞台になっていた自治区に4か月住んでました。
韓国では、梨花女子大学の留学生たちに、英語で韓国語を教えるボランティアも
体験しました。
全てが守られて感謝です。
では。
2018年になりました。
私は2016年6月から2017年12月末まで、韓国と中国にいました。
中国では、シルクロードの舞台になっていた自治区に4か月住んでました。
韓国では、梨花女子大学の留学生たちに、英語で韓国語を教えるボランティアも
体験しました。
全てが守られて感謝です。
では。
2018.1.10 アブラハムの信仰
【創12:1-4】『主はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれた故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。 アブラハムは主がお告げになったとおりに出かけた。」』
一番目に、私たちの信仰の父と言われるアブラハムは、主に対して常に素直な従順さと神様から直接語られたみことばに信頼して行動する行動派でした。
それが、創世記12章から始まるアブラハムの話です。そして、創世記15章6節「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」とあります。
さらに、神様は、アブラハムを試練に会わせられました。つまり、アブラハムの100歳、妻サラの90歳で、彼らに現れた天使の預言どおりにイサクという子どもが与えられます。そして、せっかく与えられたその子を全焼のいけにえとして捧げるように、神様はアブラハムの信仰を試みられるのです。それが、創世記22章1-2節です。
アブラハムは、文句ひとつ言わずに、全焼のいけにえのためのたきぎを割って、そのたきぎを息子イサクに背負わせ、火と刀とを自分の手に取り、モリヤの地にある山に向かうのです。そして、アブラハムはそこで刀を取って自分の子イサクを殺して、神様に捧げようとするのです。
そのアブラハムの信仰にびっくりした神様は、天使を送ってその子に手を出さないように、アブラハムが神様を恐れることがわかったことを伝えます。
このように、アブラハムは、神様に対して常に素直な従順さを持ち、聞いたみことばを行動で示す信仰の持ち主でした。そして、彼は何よりも神様を恐れていたのです。
さて、次はアブラハムの妻、サラの話ですが、私たちには、どれだけ頑張っても出来ないことが多くあると思います。
サラの場合、90歳の不妊の状態で、人間の姿をした天使がある日突然訪ねてきて、来年の今頃男の子が出来ると聞かれます。創世記18章10節です。
普通は、会ったこともない人に、あり得ない話をいきなり聞かれたら、笑ってしまうと思います。サラも心の中で、天使の預言を笑っていました。
そう言えば、主イエスも普段考えられない状況から生まれたわけですね。
その彼女に天使は、創世記18章14節で、「主に不可能なことがあろうか」と天使はサラに怒るわけです。
サラの信仰はアブラハムほどではありませんでした。
私たちが神様を信じる理由は何でしょうか。それは、私たちのチカラでどうしても出来ないことを、神様にとっては、可能にしてくださると信じているが故に、祈るのではないでしょうか。
新約聖書、ヤコブ1章6-8節には、二心をもって、神に祈ってはならないと書いてあります。
しかし、ここで神様になんでも祈れば、叶えられるという意味ではありません。すなわち、神様の御心であるならば、人間の計算をはるかに超える、常識破りの不可能なことが可能になるということです。これを奇跡といいます。
その意味で、奇跡というのは、不可能なことを可能にしてくださる神様のプレゼントです。神様のプレゼントは、私たちが期待していた時に与えられるのではなく、サラのように何の期待もなく、夢もない時に与えられる不思議な出来事だと思います。
ところで、90歳の不妊の女性サラからイサクが生まれたのですが、目に入れても痛くない独り子イサクを父アブラハムは、神様の指示に従い、神様に全焼のいけにえとして捧げようとしたこと。 つまり、エジプト人の女奴隷であるハガルから生まれた肉による子供イシュマエルではない、神によって告げられて奇跡的に生まれたイサク、このイサクをささげようとしたことがキリストの十字架の予表であります。(新約へブル11章19節)
これが、キリストの型であり、アブラハムが今も私たちの霊的な信仰の父と言われるようになった出来事です。
参照できる聖書箇所は創世記21:12、新約ローマ9:7、へブル11:18「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」とあります。
二番目に、アブラハムは、常に神様に礼拝する心がありました。例えば、創世記12章7節『そのころ、主がアブラハムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラハムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。』13章4節「アブラハムは、主の御名によって祈った。」とあります。特に、14章において、アブラハムは、自分の親戚ロトが戦争に巻き込まれ、敵に全財産を奪われた時、318人の特殊部隊を組んで、夜のうちに敵に侵入し、それを打ち破るのです。親戚ロトとその財産、そしてロトが住んでいたソドムの町の女たちや人々をもアブラハムは取り戻しました。そして、アブラハムの勝利を祝福しに出迎えてくれたサレムの王・メルキゼデクに全ての物の十分の一を捧げるのです。
詩編110:4、ダビデの賛歌を引用した、新約のへブル5章6節には、主イエスのことを「メルキゼデクの位に等しい祭司である。」と引用しています。
ここで、アブラハムは、とても勇敢な人ではないかと思いがちですが、やはり、天と地を造られた、いと高き神が彼の手に敵を渡されたので、彼は勝利することができたのがわかります。ですから、アブラハムは、その勝利の栄光を、すべての戦利品の十分の一をもって神様に返したのです。これがアブラハムの信仰であり、礼拝なのです。〈へブル7:2参照〉
三番目に、アブラハムは、旅人を良くもてなしました。
新約聖書へブル13章2節「ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。」とあります。
創世記18章です。アブラハムは旅人を見て、喜んで最高のものでもてなしました。その旅人が天使たちであることも知らずにです。そのおかげで、イサクが生まれるというニュースを聞くことができました。そして、ソドムにいる甥子ロトとその家族を、ソドムの滅びから救うことができました。
このように、アブラハムの人生は、常に神様と共に生きて、神様が喜ばれることは何かを常に考える人でした。ですから、創世記22章14節にもありますように、主は常にアブラハムの信仰を見ておられ、そして、彼に必要なものを備えてくださったのです。これが、皆さんが良くご存じの「アドナイ・イルエ」です。
最後に、新約聖書、へブル11章17-19節を一緒に読んで終わりたいと思います。
『信仰によって、アブラハムは、試みられた時イサクを捧げました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただ一人の子をささげたのです。
神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これが型です。