引越し魔か 番外編1 (Cross a Continent) | ヒロMのシニアライフ

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老後の良き生活スタイルの為に
(genからヒロMに改名しましたのでよろしくお願いします)

私がニューヨークに至った

理由の一部を紹介しておこうと思う。

 

 

 

私は日本のデザイン・スクール

グラフィック・デザインを専攻していた。

 

当時の田中一光横尾忠則と言えば

我々の憧れの的であり目標だった。

 

 

 

その為もっとグラフィック・デザインを学びたくて

アメリアに留学する決意をした。

 

 

最初に到着したのはアメリカの西の玄関口

サンフランシスコだった。

 

ただ当時は猫も杓子も

そう簡単に留学出来る

と言う時代ではなかった。

 

 

だから学生ビザの出る

専門学校と言うのは殆どなかった。

 

語学学校にしても同じだ

当時サンフランシスコ周辺で

唯一学生ビザの出る

語学学校は私が毎日通った

サウス・サンフランシスコ

と言う所にしかなかった。

 

 

これは留学する前に

アメリカ領事館

文化センター

図書館で調べた。

 

 

勿論今の様にただ単に

英語を学びたいと言う人達もいたが

ここは主に大学入学を目指す

若い外国人が多かった。

 

勿論私も当初は

英語などまともに話せなかった。

だからまずは英語を学んだ。

 

そしてそこで一区切りが終わった夏、

私の愛車、バラクーダ

大陸横断に出かけた。

 

これが私の愛車と同じ型のバラクーダ

当時カメラなど持ってなかったので写真はない。

色はカキーと言うか黄色掛かった緑と言う感じだった。

 

サンフランシスコでタイの留学生から買った。

良い車だったが残念ならが

バージニアのノーフォーク

と言う所まで来た時に

私の愛車は壊れてしまった。

 

 

 

それで仕方なくそこで定着することになった。

その町で唯一の日本食のレストランを経営する

北海道のおばさんの世話になりながら

大学に入った

 

 

一応アートをメインに勉強していたが

田舎の大学だったので

デザインのコースはなかった

 

その後しばらくしてから

美術の先生に相談したら

それはやっぱり

都会に出なければだめ

と言われた。

 

 

 

彼女もシカゴから来ていたので

その辺りの事情はよく分かるようだ。

 

 

 

それでニューヨークに転校することにした。

 

 

 

ここから先が私の「引っ越し魔か」と言う話につながる。

 

では続きはまた次回に。