平成以降に作った公正証書遺言はデータベース化されていて全国どこの公証人役場でも検索することが可能だ。被相続人が存命中は本人以外の検索に応じてはくれないが、被相続人が亡くなった場合は法定相続人であれば検索と閲覧を請求できる。
大通公証役場は道銀の本店ビルの10Fだ。6人の公証人が在籍していて、常に複数が在席しているので予約の必要はない。我々が行った時も4~5組の依頼者が出入りしていた。
遺言の検索である旨を伝えると、若い女性職員にいろいろ聞かれた。
「どなたの遺言ですか?」
-ここにいる母の姉です
「お姉様はご存命ですか?」
-先般亡くなりました
「今日検索できるのは9月末までに作成されたものですが、その後に遺言を作成された場合は検索できませんが」
-入院しておりましたので10月以降に遺言を作ることはできなかったと思います
「こちらから出張して遺言を作成することも可能ですが」
-そういうことが可能な状態ではありませんでした
「…わかりました。それではお調べしますが、ご本人の除籍簿謄本はおありですか」
-これです
「では、お子さんがいらっしゃらないことがわかる戸籍等の謄本はありますか」
-これです
「亡くなった方との続柄がわかる謄本は」
-これです
「ご本人であることを確認できるものはありますか」
-健康保険証がありますが
「健康保険証ではだめですので、印鑑証明書があれば結構です」
-それでしたらここにあります
「では、お掛けになってお待ちください」
10分ほど待たされて出てきた結果は…
「該当なし」だった。
検索料100円を支払い、証明書(というか判もついていない公証人名での通知書)をもらってその場を辞去した。
やっぱり、という思いと、やれやれ、またこれから大変だ、という思いが交錯して複雑な気持ちだった。内容がどんなものであれ、遺言さえあってくれれば遺産分割協議書など作る必要はないのだから、正直あって欲しかったし僅かながらその期待もあったのだが…
ままよ、それが伯母の意思なら仕方ない。普通に分けろ、という遺言だと思って執行してやる。
しかし、話は終わりではなく、今度は遺産分割という形で改めて進行させなければならない。なので、この項はタイトルを変更して続けることにする。
これは母方の略系図だ。母は三男五女の五女で、今回亡くなった伯母は四女。兄弟は他に六人いたが、うち三人は早くに亡くなっているので今回の相続には関係ない。図でエンジの背景になっているのは故人である。三人の伯父に子があって(私の従兄弟になる)すべて存命。なので伯母4が亡くなった場合の法定相続人は図中で青バックになっている9名だ。私は相続人ではない。
これから遺言の有無を検索しなければならないが、それはないものとして準備は進めている。まず、亡くなった伯母の出生から死亡までの連続した戸籍を取得しなければならない。
この作業は成年後見の申立を行う前提としてすでにある程度進行していた。
現在あるのは、戸主:祖父 で、伯父1から伯父3までのすべての兄弟の記載されている大正4年式除籍簿 およびそれ以前の明治31年式改製原戸籍だ。
この後、昭和23年と昭和32年に戸籍は改製されているので、この間に生じた身分事項は昭和23年式戸籍を取り寄せなければならない。
ところが、昭和22年に祖父が亡くなって、長男である伯父1が家督相続し、新戸籍を編成したというところで大正4年式の戸籍は終わっていた。
そこで僕は伯母がまだ存命中に伯父1を筆頭者とする改製原戸籍をくれ、と請求したのだがここで届いたのが伯父1を筆頭者とする昭和32年式改製原戸籍だった。
むろん、この戸籍も必要なのだが、これでは目的を達しない。僕がほしいのは伯母が戦後室蘭で結婚して旧戸籍から除籍された記録なのだから、昭和23年式の改製原戸籍でなければならない。また、祖母が昭和32年頃に亡くなっているのでその事実もここに記載されているはずである。
と、いうことをつらつら説明する文書を書いて港区住民課に請求しているというのが今のステータスだ。さっき電話が来て4通も何に使うんだ、と聞かれたので銀行と保険会社に出すんだ、と伝えた。
やれやれ、必要な戸籍を取り揃えるのにも民法の知識以外に戸籍法の変遷まで追わなければならない。そこが司法書士が必要な所以だが、もうちょっとなんとかならんものかと思う。
家の片付け、判明していない預金の調査、遺言の検索、遺産分割、その前提として諸届け、除籍簿の請求、永代供養のこと、形見分け、諸々諸々…
あと何回室蘭に通わねばならないか、まだ見当もつかない。
疲れているのでブログを書く気力も失せているのだが、ひとつ書いておきたいことが。
金曜日の夕方、葬儀を全部終えて遺影や病院で使っていたものなどをとりあえず室蘭のマンションに運んだ時のこと。
郵便受けにDMなどに混じって「介護保険についてのお知らせ」という見慣れた封筒が。
しかし、これには配達記録の判が押してある。…変だ。なんだろう、と思った瞬間、気がついた。
そして開封した結果がその想像通りだとわかった時の衝撃が読者にわかるだろうか。
そこには
「介護認定通知書」「要介護5」
の記載が!
そして、認定日は平成26年10月21日 介護保険証の発行日は10月22日 と。
嫁と二人で「バカヤロウ!」と叫んでしまった。
死亡日に介護認定かよ!
その翌日に保険証かよ!
泣きそうだった。半べそかきながらマンションをあとにしたのだった。
内容は同じで、うちの下の息子2人分の個人情報漏洩にかかるお詫びとして一人あたり500円分のものを差し上げる、と。 うちは手っ取り早くオンラインで手続きできるAmazonの商品券にしたけれど、それはさておく。
しかし、うちにどこにも登録した覚えのない塾やら教材屋からしばしばDMが届くのはもう5年以上前からなんだが、(そもそもBコーポレーションに登録した覚えもないんだけどね)それは今回の大量漏洩以前の話だよね。
ってことはさ、世間はたまたま明るみに出た今回の件で大騒ぎしているけど、実際にはこんな名簿の漏洩なんて日常茶飯事で公然の秘密だったってことじゃないのかな。
まあ、個人的には住所氏名くらいのものが流れたって被害者面するつもりはないんだが、こういうオンライン社会ではそこに生年月日とか加わってくるとちょっとやばくなってきますよね。
PTAや学級名簿的なものすら作りづらくなっ てますます人と人の繋がりは危うくなっているのはこういうところに端を発しているように思うんですがどうでしょうか。
453が開通したので支笏湖でも行ってみるかというので3男だけ連れて車を走らせた。家を出たのが確か13時ごろ。
しかし、常盤からすでに道が混んでいる。やばそうな予感。
常盤の滝野へ行く道との交差点を過ぎるとようやく車が流れ始めた。やれやれ。
道々、あちこちに災害の爪痕が。特にオコタン分岐を過ぎてからが酷かった。森ごと土石流に流されて倒木と大岩だらけの場所が何ヶ所も。
ヘアピン前の展望台からは看板が外されてプレハブの現場詰め所ができていた。

なのでいつもとアングルが違うんだが、この湖の色がグリーンがかっている。大雨の影響らしいがとりあえず見た目的にはそう悪くない。
で、このあとポロピナイから湖畔温泉に向かうわけだが、この写真の左端の湖岸の道が数珠つなぎの渋滞であるとはこの時点では気づけなかった。
このおよそ8.5km、通常なら15分程度の道のりがなんと1.5時間以上かかったのであった!
全く逃げ場のないせり出した湖岸。入ってしまったらUターンする以外にはどうしようもない。
パ・リーグCS第2戦を聞きながら過ごせたのはまあ良かったが、それも負けてしまっては…
渋滞の原因は湖畔温泉の駐車場待ちだとわかったのはそこにたどり着いてから。時刻は4時を回っていた。我々はそこには行かず、小高い丘を回って休暇村に車を止め、そこから徒歩で湖岸に出てぎりぎり間に合った日没を撮ったのがこれ

太陽の右側が恵庭岳である。
あとはすることもなく千歳周りで帰宅。
しかし、北海道で1.5時間もの渋滞にハマったのは初めてだった。それだけみんな453の開通を待ち焦がれていたということだし、事実上最後の3連休の中日、天気も良かったというわけでこの混雑だったのだろう。
1ヶ月の間辛酸を嘗めた温泉関係者の方々には嬉しい悲鳴だったろうが、それにしてもすごかった。
いろいろ聞かれたのだが、「今回の被相続人に子供がいないことがわかる資料を送れ」というのが主目的らしい。なるほど、そりゃそうだ。それがいるならこんなことは全く不必要なのだから。
12年ほど前に取得した謄本が手元にあるのでこれをコピーして送ることに。
それで一旦電話を切ったのだが、またその係からかかってきた。
向こうもいろいろ気を使ってくれているようで、いつ時点までの情報があればよいか、とか附票は除かれているかもしれないがそれでも良いか、など。
「度々恐れ入ります」とは係の弁だが、いやそれはこっちもいいたい(笑)。
今週中には欲しいものが届くかと思っていたがそれは来週になりそうだ。でも、進捗がわかってよかった。
それで、室蘭で多分一番でかい病院の一般病棟に入院。
本人自宅からも近くなったのと一般病棟なので面会が自由なのがメリット。
デメリットは今までいた病院は一旦退院なので、消化器的治療が終わった場合はまた最初からやらないと精神科への再入院にならないということか。
成年後見を申立てるのだから、K病院のK先生の関与はこの先必須なので、その道筋はないと困る。しかし、そういう筋立てはこっちでやらないと。
本人は大人しく、鷹揚にしているというのが救い。
しかしやれ、大変だ┐('д')┌





