上野の森美術館 (東京) にて、「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」を、妻と一緒に鑑賞した。







事実、太平洋戦争中、少年だった生賴画伯は生まれ故郷の兵庫県明石市と疎開先の鹿児島県薩摩川内市で二度も空襲の被害に遭っている。そのときの様子を「自分の目の前で逃げている人が焼夷弾が当たって、人間が一瞬の内になくなってしまった」とタロー氏に語っていたそうだ。
※みやざきアートセンターでの「生賴範義展」を見た私の感想は、こちら↓
・2014年3月27日 「「生賴範義展」鑑賞記 ─ 宮崎にて奇跡を体感!(みやざきアートセンター)」
・2015年8月24日 「「生賴範義展Ⅱ」鑑賞記 ─ 宮崎にて記憶の回廊を辿る(みやざきアートセンター)」
・2016年12月9日 「『生賴範義展Ⅲ』鑑賞記 - 巨匠のLAST ODYSSEY (みやざきアートセンター)」
今回の東京滞在中、3回来館して4回入館したので、全体の大まかな流れの次に、オーライタロー氏のギャラリートークも含め展示会の感想を纏めて綴る。
● 1月10日(水)
午前11時頃、前売券で入館。

平日の午前中でも来館者は割と多い。午後1時前に出て、売店に移動。プライベートルームから生賴画伯の長男オーライタロー氏が出てきたのを妻が見付ける。久し振りにタロー氏と話す。午後2時からのギャラリートークがタロー氏だと知り、美術館の喫茶店で休憩後、前売券で再入場。2015年の「生賴範義展Ⅱ」のときにタロー氏のギャラリートークを聴いたことがあったが、私が初めて聴く話も幾つかあった。
● 1月11日(木)
開館5分前の上野の森美術館に着くと、既に約20人もの人達が並んでいた。予定通り午前10時に開館。前売券で入場。
● 1月13日(土)
午後12時過ぎに入館。土曜日なので、平日より来館者数は多い印象。
● 展示会の感想
全体を見終えて感じたのは、宮崎での過去3回の展示会の見所を一つに凝縮したという感じだった。248点に及ぶ展示作品の大半は過去に宮崎で鑑賞済みだが何度見ても見飽きない密度の濃さ。又、後述するように初見の作品も数点あるので、過去の展示会を見た人も十分に見る価値のある内容だと思う。
美術館の受付から第1展示室までのスロープの両側の壁面に、生賴画伯の略歴と、画伯のイラストを使用した新聞広告の拡大コピーが並べて展示されている。※基本的に原画は撮影不可だが、後述するように原画でも撮影可能エリアが数ヶ所ある。

それにしても、昔の(今も?)宣伝文句は大袈裟だ。この広告の翌年9月には「犠牲者2千万人」もの「富士山大爆発」が起こる「確率なんと90%」だそうだが、もう何年経ったのだろう?こんな誇大広告にも大真面目にイラストを描く画伯の真摯な仕事ぶり。

「山岡荘八歴史文庫」から『伊達政宗』の新聞広告が2点。宮崎での「生賴範義展Ⅲ」で原画を見た際も思ったが、上の伊達政宗に比べると、下の政宗の顔付きが渡辺謙に似ているのは、やはり放送が始まった当時の大河ドラマを参考にしたのだろうか。
【生賴タワー】※撮影可
宮崎の第1回「生賴範義展」でも来館者の度肝を抜いた「生賴タワー」が、一気に来館者を生賴ワールドに引き込む。
タワーの頂上には、レコードジャケットも。

『ゴジラ ファイナルウォーズ』のポスター。パンフレットの表紙にもなったイラストなのだが、原画が展示されないのは何故だろう?最初は主演俳優がジャニーズだからなのかと思ったら、ある人がツイッターで原画が紛失したらしいと言ってきた。真偽は不明だが。
宮崎のときと同様、生賴タワーと壁面のポスターだけでも一日中眺めていられるが、時間が限られているので、映画ポスターの原画の展示室へ移動。
【ゴジラ】
今回は、映画ポスターの原画は無し。代わりに、雑誌などに掲載されたイラストが展示されていた。〈アニメージュ増刊 THE ZERO〉のために描かれた初代ゴジラのアップは、今回初めて原画を見た。充血したような真っ赤な眼が特徴で、元ネタのスチル写真のゴジラより凄みがある。
【スター・ウォーズ】
周知のように、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の国際版ポスターが生賴画伯を国際的に有名にした。ポスターに使用された完成版の原画は行方不明だそうだが、展示中の下絵も、下絵とは思えないほどのクオリティで、完成版と比べても見劣りしない。
【映画】
『テンタクルズ』、『メテオ』、『マッドマックス2』、『刑事ニコ 法の死角』、『グッドモーニング、ベトナム』(未使用)、『ミラクルマスター』、『地球防衛軍』、そして『浪人街』から原田芳雄と石橋蓮司の点描画。平成ゴジラ映画もそうだったように、生賴画伯の手掛けたポスターは映画本編より圧倒的に面白そうな雰囲気に満ちている。オーライタロー氏がギャラリートークでそのことを語ると、やはり多くの人達が同感という風に頷いていた。
【小松左京・平井和正】
『復活の日』のイメージスケッチは「スケッチ」というレベルを超えて、どの絵も立派にポスターとして成り立ちそうな仕上がり。有名な『日本沈没』や『幻魔大戦』シリーズは勿論、小松左京の『ゴルディアスの結び目』、『怨霊の国』、『神への長い道』、『虚無回廊』や、平井和正の『アンドロイドお雪』、『怪物はだれだ』、『死霊狩り』などのSF・ファンタジー系の作品は、映画に比べると自由な発想で描ける要素があるのか生賴画伯の画家としての個性が色濃く出ていると思う。
因みに、タロー氏によると、数十年に渡ってイラストを依頼され続けていたにも関わらず、生賴画伯が小松左京と平井和正の両氏と会ったことは一度も無く、電話でのやり取りすら無かったそうだ。
【ベガ立像】※撮影可
【吉川英治】
『宮本武蔵』の挿絵に関するタロー氏のトークで興味深かったのは、生賴画伯は漫画(劇画?)も好きだったらしく、宍戸梅軒や佐々木小次郎との決闘の挿絵で描かれた集中線にその影響が見えるという点。特に、白土三平は貸本店に買いに行くほどのファンだったそうだ。
【ポスター・新聞広告】
「HOPE MY WAY」の緻密なイラストを「息抜き」で描いたという話は みやざきアートセンターの前センター長のギャラリートークで聴いていたが、各イラストを約2週間程度で描きあげていたというのにはたまげた。しかも、他の仕事と並行してなのだから岸辺露伴みたいな速筆に改めて舌を巻く。
今回初めて見る『神瞰 熊本城』は、プラモデルの箱絵とポスターのためのイラスト。熊本城と西郷隆盛という今話題の要素が描かれている。タロー氏が強調していたのは、このイラストが描かれた2010年3月という日付で、生賴画伯はこの前年あたりから体調が優れなくなっていったそうだ。事実、2009年11月付の『戦国自衛隊1549』のイラストは明らかに全盛期と比べて描写力の衰えを感じさせる。あれほど超人的な画力と仕事量を誇った画伯でさえ高齢で衰えていったことを語る息子のタロー氏は、心なしか胸を詰まらせているようにも見えた。
2階へ移動。
【雑誌】
〈ムー 創刊号〉の有名な表紙イラストから始まり、〈少年マガジン〉のSFイラストや、〈月刊現代〉の写真のように写実的な肖像画。タロー氏は、大平正芳の凄みのある三白眼が特にお気に入りだとか。宮崎でも見たが、〈月刊パーゴルフ〉のゲーリー・プレーヤーや尾崎将司など、驚くほど薄塗りで、的確な色彩を乗せていくだけでこれほど立体的に感じさせているとは。
『MACROSS PERFECT MEMORY』付録ポスターのイラスト原画は、今回初めて見た。『超時空要塞マクロス』はリアルタイムで放送を見ていたが、当時どこかでこのポスターを見たような記憶が朧気にある。
【戦史・戦記】
タロー氏によると、生賴画伯は『大和 水上特攻』(520×925) を高さ2メートル、幅3メートルほどの巨大なキャンバスに描き直そうとしていたそうだ。画伯が他界したため未完成となったのが残念。もし完成していたら、大迫力の大作となっていただろう。
【書籍】
『1984年』、『大脱走』、『愛・軽井沢』、『虚構大学』の表紙イラストが特に印象深い。他にも、森村誠一の『太平記』や、『銃弾の日』、『ジュラシック・パーク』など多数。ケネディやヒトラー、カストロなどの歴史的人物の点描画は、皺を線ではなく肌の薄い影の点描で表現している点をタロー氏が指摘。
【SFアドベンチャー】※撮影可
1980年から7年7ヶ月に渡り描かれた月刊誌『SFアドベンチャー』の表紙イラスト。全91点の原画から選ばれた作品が展示されていた。小松左京と平井和正の小説のためのイラストと同様、この『SFアドベンチャー』のイラストも生賴画伯が自分の好きなように乗り気で描いたので、画伯の画家としての作風が最も色濃く出た作品だ。最早、商業用イラストというより芸術的絵画の域に達していると思う。
『パウリナ』
『ファウスタ』
生賴画伯の作品は対象のディテールも圧倒的だが、背景も魅力的だ。
【オリジナル作品】※撮影可

『CHONG QING 重慶 1941〈中国〉』(写真上) は日中戦争での日本軍による重慶爆撃、『THE DRIFT RINK』(写真下) はベトナム戦争での米軍によるソンミ村の虐殺の報道写真を基に描かれている、と2015年の宮崎での展示会では解説されていた。
『破壊される人間』

7年もの歳月をかけて描かれた4.5m×2mの超大作。この伝説的な大作を見ようと薩摩川内市にまで行こうと考えたこともあったが、東京で見れて幸運だ。言葉を失うほど圧倒的な迫力は原画を見なければ伝わらない。この作品のためだけでも上野の森美術館に足を運ぶ価値は十分にある。
原画では真っ黒に近いので分かりにくいが、左端に銃を構えた兵士が描かれている。

『破壊される人間』のキャプションに「現代の戦争においては人間はただ破壊されるモノでしかない」という画伯の言葉が紹介されているように、この作品のテーマを強調している部分だ。
事実、太平洋戦争中、少年だった生賴画伯は生まれ故郷の兵庫県明石市と疎開先の鹿児島県薩摩川内市で二度も空襲の被害に遭っている。そのときの様子を「自分の目の前で逃げている人が焼夷弾が当たって、人間が一瞬の内になくなってしまった」とタロー氏に語っていたそうだ。
今回、東京まで運ばれた『破壊される人間』は薩摩川内市川内歴史資料館に、『我々の所産』は川内高等学校可愛山同窓会と、薩摩川内市に所蔵されていた。戦争や破壊を繰り返す人間の愚行を描いた画伯の作品が所蔵された川内市で原発が再び稼働中だなんて悪夢だ。
『破壊される人間』の両隣にある題名と制作年不詳のオリジナル油彩画も劣らず凄まじい。
タロー氏に聴くと、オリジナルの油彩画は、題名や日付が書かれていない物が多く、生賴画伯も展示することは想定していなかったそうだ。
印刷物になるのが前提の商業用イラストの原画を展示することに興味が無かったのはまだ分かる。だが、かつて東京藝大で油彩画を学び、中退後に銀座で個展を開催したこともある画伯がオリジナルの油彩画の展示に消極的だったというのは意外に思えた。イラストに続いて画伯のオリジナル油彩画の全貌もいつか明らかになる日が来るかもしれない。
展示の締め括りは、画伯の自画像と絶筆となった軍艦の未完成のイラスト。
今回の東京滞在中、「生賴範義 展」を4回見たのだが、もっと見ていたい気持ちがまだある。考えてみれば、4回とは言え計約6時間なので、展示総数248点の各作品に対して平均1分半程度しか見ていない計算だ。仮に各作品を3分間ずつ鑑賞するなら12時間以上になるので、少なくともあと6時間は必要になるのか…
まぁ、4回も見れたのだから、満足だ。それに、今回も図録を購入したので、好きなときに穴が開くほど眺めていられる。
東京でも生賴範義展が盛況なのは嬉しい。個人的にも、東京滞在中に4回も入館できて、宮崎県で鑑賞した作品の多くと再会できた上に、『破壊される人間』まで鑑賞できたのだから感無量だ。
今回も見応えのある展示会を実現して下さったオーライタロー氏をはじめスタッフの皆様にあつく感謝いたします。