先週末、みやざきアートセンターにて、「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」を、妻と一緒に鑑賞して来た。
生賴範義(おうらい のりよし)は、1935年、兵庫県出身のイラストレーター。東京芸術大学中退後、イラストの仕事を始める。1973年に妻の郷里である宮崎県に移住して以来、約40年に渡り宮崎のアトリエで制作に没頭。数千点にも及ぶ作品を生み出してきた。
尚、珍しい苗字のためか、「生頼範義」と表記されることも多い。(「生瀬」は誤り)
生賴画伯は、私が最も尊敬する画家の一人。長年原画を見たいと切望していたので、今回の大規模な作品展の会期終了間際に見れて本当に良かった。
● 3月22日(土)
朝食後、妻と一緒に、ホテルから徒歩で会場に向かう。
市内の至る所に展示会のポスターが貼られていた。
橘通を歩いている内に、みやざきアートセンターに到着。
このポスターで迎えられたら、男の子の魂は燃え上がるぜ!
何と、5階入口へ向かうエレベーターにまで!
受付に行く前に、入場無料コーナーへ。(この部屋は撮影が許可されていた)
生賴画伯が表紙を手掛けた書籍やレコードが、山のように展示されていて、いきなり圧倒される。
『宮本武蔵』や『三国志』などの時代物から、『日本沈没』や『首都消失』などの小松左京の小説、『ジュラシック・パーク』など、SF、等々、多種多様な文庫本の数々。どの表紙も見事な絵で、これだけで何時間も眺めていられる。
壁一面に貼られた時代劇小説の広告の数々。そのどれもが重厚な点描画で、これも芸術の域だ。
ふと、思ったのだが、もし生賴画伯が黒澤明の映画のポスターを描いていたら、どんな絵になっていただろう?
…などと妄想していたら、この『徳川家康』の広告の下の騎馬武者は、黒澤の『影武者』のスチル写真に似ているような気も。
【追記】1970年4月刊の週刊少年マガジン Vol.17(講談社)で、「七人の侍」扉イラストを描いていた。お馴染みの種子島を持って飛び上がる菊千代の点描画だ。
ところで、『影武者』と言えば、その海外版プロデューサーだったジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』は、生賴画伯にとって大きな転機となった映画だ。
生賴画伯が描いた『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のイラストを目にしたルーカスから直々に公式ポスターの依頼が来たという逸話は、有名だ。
生賴画伯の名前を知らない人でも、映画のポスターで画伯の作品を目にした人は多いと思う。(私も、その一人だ)
洋画のポスターの中でも、この『グーニーズ』の絵は特に印象深い。(映画の内容は別だが…)
その他にも、『メテオ』や『キングコング2』等々、主に1980年代から90年代にかけて見たことのある映画ポスターが所狭しと貼られていて、当時の記憶が鮮明に蘇る。
ところで、前述の作品もそうだが、生賴画伯の映画ポスターについて、よく言われるのが「映画よりポスターの方が迫力がある」という感想だ。
その筆頭が平成ゴジラ映画だろう。
1984年の復活版『ゴジラ』から『ゴジラVSビオランテ』、『ゴジラVSキングギドラ』、『ゴジラVSモスラ』、『ゴジラVSメカゴジラ』、『ゴジラVSスペースゴジラ』、『ゴジラVSデストロイア』までの「VSシリーズ」に加えて『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』と『ゴジラ FINAL WARS』まで、映画本編を遥かに凌ぐ大迫力で、今まで何人の観客が騙されて劇場に脚を運んだことだろう。(勿論、絵に見合う映像を撮れなかった映画制作者に責任があるのだが)
何を隠そう、私が生賴画伯の作品と名前を最初に意識したのが、平成ゴジラ映画のポスターなのだ。
この復活版『ゴジラ』で、当時まだ子供だった私は一気に生賴ワールドに引き込まれた。
どの画も素晴らしいが、中でも『ゴジラVSメカゴジラ』は圧巻で、劇中に登場したメカゴジラよりもカッコいい!
今、振り返れば、平成ゴジラ映画は、生賴画伯のポスターと伊福部昭の音楽こそが最大の功績だったと思う。
撮影を切り上げて、いよいよ会場に入場。先月セブンイレブンで購入した前売券で、特典のオリジナルカレンダーを貰う。
入場すると、生賴画伯の年譜とアトリエの写真に続いて、ゴジラ映画のポスターの原画が迎えてくれる。
子供の頃から心を奪われたポスターの原画を間近に鑑賞することが出来て、初っ端から大感激!
キャンバスにリキテックスで描かれた絵は、近くで見ると、荒削りな部分もあるが、全体で見ると、巧みな構図と力強く重厚な色彩が圧倒的な力感で迫ってくる。(この描き方は、生賴画伯が好きなレンブラントやフランス・ハルスに通じるものがあるのかもしれない)又、ビルやメカの直線も、勢いがあり、迷いが一切無いのも何気に凄い。
次の「小松左京」と「平井和正」のコーナーでは、両作家によるSF小説のイラスト。『幻魔大戦』のベガは、角川映画のベガとの違いが興味深いし、『アンドロイドお雪』などのアンドロイドの顔の割れ目からメカが覗く構図は、後の『ウエストワールド』や『ターミネーター』『トータル・リコール』の走りにも見える。
「コーエー」のコーナーに展示されていた『信長の野望』や『三国志』などのゲームのためのイラストは、私も子供の頃に何度も目にしたことがある。
「SF」のコーナーでは、生賴画伯オリジナルの宇宙船が目を引く。『帝国の逆襲』のように、緑の宇宙が印象的な『宇宙戦艦ヤマト』も細密な描写が見事なのだが、何と没になったという。『地球防衛軍』や『日本誕生』は、ゴジラ映画と同様に、映画以上の大迫力だ。
「書籍」のコーナーでは、アクション・社会派・歴史物などの小説の表紙の原画。写実的表現から抽象的表現まで多種多様な技法に舌を巻く。
異色なのは、1968年に学研から刊行された『現代の家庭医学』の人体内部のイラストだ。当時は珍しかった電子顕微鏡の画像を調査するため、某大学に数ヶ月も通い詰めたという。徹底したリアリズムを出すための飽くなき探求心にも恐れ入る。
「宮本武蔵」のコーナーでは、表紙や挿絵の一部が展示されていた。極細の黒線のみで描かれた世界は、レンブラントのエッチングを思わせる。印刷された書籍と比べると、ディテールの違いは一目瞭然で、やはり原画を見なければ作品の真価は分からないと実感。
「吉川英治」のコーナーでは、『三国志』や『水滸伝』などのイラスト。まるで当時の中国を見てきたかのような存在感だが、翌日のセンター長のトークによると、何と生賴画伯は一度も外国に行ったことがないとか!それで、あれほどのリアリティを出せる画伯の調査力と妄想力に感服。
「人物肖像」は、文字通り、様々な人物の肖像画。ケネディや、毛沢東、カストロ、オーソン・ウェルズ、ヒトラー、スターリンなど歴史上の人物から鈴木健二や三波伸介などの芸能人まで、細密な点描で描かれている。一見、オーソドックスなようで、これは大変な画力だ。
4階に降りる。
「SFアドベンチャー」のコーナーに入る。(この部屋は撮影が許可されていた)
1980年から1987年まで生賴画伯が月刊誌『SFアドベンチャー』の表紙のために描いたイラストの大半が制作順に展示されていた。
当初は多忙を理由に断っていた生賴画伯が「自分の描きたいように描かせてもらう」ことを条件に引き受けたという。その意味では、生賴画伯の芸術家としての個性も凝縮された貴重な作品群だ。
「パウリナ」は、何と個人蔵。生賴画伯から直々に貰った人が、今回の企画のために貸し出して下さったそうだ。図録の表紙にも選ばれた神々しい作品だ。
ブラディ・メアリーの後ろに見えるのは、ガン●ム?
デッサンも展示されていた。
「スター・ウォーズ」のコーナーに入ると、驚く人が結構いたのは、やはり映画の知名度のためかもしれない。
「ポスター」のコーナーは、生賴画伯が手掛けた様々なジャンルの映画のポスターの原画。『陽炎』『メテオ』『黄金の犬』『暴走機関車』『南極物語』『テンタクルズ』『浪人街』等々。『陽炎』を見て足を止める人を何人か見かけた。純和風な顔立ちの樋口可南子が凄く濃い顔立ちに描かれていたからだ。(私も約20年前に初めて見たときには驚いた)生賴画伯が描きたいように描いた『SFアドベンチャー』の表紙絵が、どれも西洋人風の女性だったように、画伯は目鼻立ちがクッキリした掘りの深い女性が好みなのだろうか。ともあれ、『メテオ』や『テンタクルズ』も実際の映画以上のスケール感だ。
日本たばこ産業の『HOPE MY WAY』は、一見、写真と見間違えるほどの精密な描写に驚かされる。センター長によると、何と生賴画伯は「息抜きで」描いたという!当時発売されたばかりのリキテックスの様々な諧調のグレーを試してみたそうなのだが、気の遠くなりそうな細密な描写を「息抜き」でこなしてしまう画力に目眩がした。
「日本沈没」のコーナーでは、リメイク版ポスターの原画の連作が展示されていた。1973年のオリジナル版ポスターを描いた生賴画伯は、リメイク版でもポスターを依頼され、富士山噴火の他に、北海道・東京・京都・九州が沈没する阿鼻叫喚の地獄絵を大迫力で描ききった。因みに、センター長が指摘していたが、東京沈没の右下には、某テーマパークが描かれていたので、慌てた映画会社がCGで消したそうだ。(つまり、無修正版は宮崎が初公開なのだ)
「復活の日」のコーナーでは、映画のイメージボードが多数展示されていた。この映画は未見だが、画伯の絵を見ているだけで、まるで実際に映画を見ているかのような臨場感を覚える。
「戦記・戦史」のコーナーでは、軍艦などのイラストが展示されていた。戦場を描いたとは言え、生賴画伯は戦争には反対だったそうだ。幼い頃に、明石と疎開先の川内市で二度も空襲を体験した画伯が、大量に人々が殺戮されていく戦争に憤るのは当然かもしれない。(その意味では、戦争に反対しながらも戦闘機などをよく描く宮崎駿と似ているのかもしれない)
『サンサーラ』は、戦争に明け暮れる人類の歴史を俯瞰するかのような大作で、会場の解説にもゴーギャンの大作と比較して書かれていた。
その横には、油彩による生賴画伯の自画像が展示されていた。重厚な色彩で描かれたその顔は、真っ直ぐ見据えた眼が力強く、画伯の意志の強さも感じさせた。
最後に、約6メートルの超大作『破壊される人間』(1981)の写真が紹介されていた。青木画廊での個展で展示された生賴版『ゲルニカ』は、現在、川内市にあるという。いつか見に行ってみたいと思う。
迫力満点の展示を見終えて、私も妻も、ふらふらになって会場を出た。
売店では、「ゴジラ」や「SFアドベンチャー」のポストカードのセットやポスターを大人買いしてしまった(笑)
● 3月23日(日)
この日は、会場に向かう前に、青木画廊に立ち寄る。
今から10年前、私が最初に個展を開催した画廊だ。その準備をしていた頃、生賴画伯も1981年に青木画廊で個展を開催していたことを知り仰天したものだ。
久しぶりに青木画廊の社長にお会いすると、生賴画伯についてのお話も伺えた。画伯が宮崎に移住するまでの経緯や、青木画廊で個展を開催した際の逸話や、ニューヨーク在住の某大物現代美術家Yとの交流、リアリティを出すために妥協を許さない厳しい創作の姿勢などなど、どれも興味深いお話ばかりだった。
「生賴先生の美術館を建てるべき」と力説する社長に、私も全く同感。
それにしても、私の最初の個展と同じ画廊で、私が尊敬する画家も個展を開催していたとは、不思議な縁を感じる。
その後、みやざきアートセンターへ行き、入場。
午後2時頃、センター長によるギャラリートークがあったので、今回は、それを聞きながら鑑賞。最終日で日曜日ということもあり、多くの観客に囲まれて熱気に満ちていた。センター長のお話は、秘密のエピソードなど、どれも大変興味深く、観客にも大いにウケていた。
今回の展示会は、約1万5千人もの入場者があったという。図録も完売するなど大盛況であった。
午後5時頃に、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にする。私と妻が会場を出ても、入場締切ぎりぎりで滑り込みで入場しようと小走りで会場に向かう人が絶えなかった。恐るべし、生賴画伯の人気。
今回の作品展を見終えて、生賴画伯の仕事に対する厳しい姿勢について改めて考えさせられた。
どの作品も、超人的な画力で描かれた濃密な世界で、大作は勿論、小品にも見る者を惹き付けるエネルギーに満ちている。
それに加えて、圧倒されるのは、画伯の描く速さだ。映画や連載小説などのように、時間が限られているという商業的制約があったとは言え、それらをこなし、尚且つ、芸術的な質を維持し続けてきたのは、本当に驚異的と言う他ない。
特に、「生活者としての絵描きは肉体労働者にほかならぬ」という言葉には、非常に身につまされる。
私も、言い訳などせず、もっと自らを奮い立たせて画業に励もうと誓った次第である。
最後に、今回の素晴らしい企画を実現して下さった「みやざきアートセンター」の皆様、画伯の御子息オーライタロー氏、そして数多くの名作を描いて下さった生賴範義先生に、厚く感謝いたします。