10年。
あれから10年。
東日本大震災から10年という時間が経ちます。
あっという間でした。
時の流れだけは本当にあっという間でした。
でも時の流れは何を本当に変えたのでしょう。
変わったというのは良くなったと同じ意味なのでしょうか。
そうとりたい。
でも、残念な現実はたくさんある。
どんどん明らかになっていく現実がある。
さらにコロナというウイルスだけにとどまらない社会的な災禍ともいえる状況が昨年から続いてる。
確実に言えることは、日本人は耐える力だけはさらに増しているということ。これが良い事なのかそうでないのかはよくわからない。この10年だけでなく、コロナもあって、日本人は確実に強靭化していってる。これは実はこの先、とても大事なことになるのかもしれない。それは、これからさらなる激変が、自然だけでなく、社会においても起こる可能性が高いからです。
”絆”という言葉でやたらと連帯を強調するムードが正直苦手です。示さないと現せないというのがつくりもののようで何か嫌なのです。そうこの10年、確実に自分の中でハッキリしてきたのは、つくりものを嫌悪する感覚が強くなっているということ。そういった意味ではつくりものでないと現せないテレビのようなものからどんどん遠ざかっているというのが現実なのです。
つくりものでない、そのままのものに出会いたいし、信じたい。このつくりもの、というものは実は近代から現代において、人の意識において最も発達してきたもののひとつと言えそうです。そのつくりものがこの1年の事もふくめて、この10年、大きく壊れてきたということです。
さて、つくりものでない、ありのままのものにこそ、これからのことで最も大事なことがあるとみています。ありのままといっても、つくりものに囲まれていては、知らず知らずに頭はつくりものになっていきます。そうなっている、影響を受けているという自覚なきところに、ありのままはでてこないのかもしれません。
このありのままのものがわからず、なきもののように、何をつくっていっても、結局はつくりものになるだけ、そういう時間の繰り返しをずっとやってきている気がします。10年という節目において、あらためて、このありのままのもの、もっともだいじなものをみなおしたい。そのもっともだいじなありのままのものは”あい”です。”愛”。このことばの意味するところは実に深いのです。
今日という日を一人ひとり、だれもが心していたでしょう。自分はこれまでの10年というだけでなく、むしろこれからの10年ということに想いを馳せ、つくりものでない、ありのままの”あい”をどうわかり、どううごいていくのかをかんがえていきたい。
東日本大震災から10年。
かかわるすべての”ひと”、そして”たましい”に合掌。
(弟玄)