昨日の玄音ワークショップで少しお話しした関数の話。
自分でも再確認のために、再度調べました。

これは量子力学者のデビッド・ボームがexplicit,implicitという言葉の対比で表現しようとした内容が数学で言う陽関数、陰関数の対比に近いことの説明から引用しました。

「陽関数とはy=f(x)のように、ある変数yを他の変数の式で定義するかたちの関数である。つまり、変数どうしが、一方は定義するもの、他方は定義されるものとして、互いに独立自存していると表現しうるのが陽関数である。それゆえ陽関数においては、変数がまず独立した存在として認められ、関数はそれらの変数間の関係として二次的に導かれる。」

「陰関数とは、x³ +xy+y³ =0のように、変数間の関係のみが呈示される関数のことである。これらの関数では、変数を互いに独立自存するものとして立て、それらを定義するようなかたちで関数を表現することはあまり意味がない(必要以上に難解な式になる場合がほとんである)。しかし、それでも(x,y)の値をすべてグラフ上に取ってゆけば、その式が全体として何を表すかはきわめて明らかになる。

「つまり、定義というかたちで明らかにすることはできないが、全体の事例を列挙する中で初めてその姿を現すようなもの、換言すれば部分的な個としては明らかにならぬが、全体に言及してはじめて明瞭な姿を現すもののこと」(『全体性と内蔵秩序』より抜粋)。

目の前の個別化したモノの見方になれてしまっている認識のパターンでは現実の一面を認識しているに過ぎず、全体を見ることによってより認識できない現実があるということを、数学の事例が現しています。

昨日のテーマは正に”今ここ”の現実理解のこと。そして今日ここに、集いしな人達。きょう、ここに集いしな人達へ。昨日は参加くださり、ありがとうございました。次回は12月26日を予定しております。


昨日は”いだきしん東日本大震災チャリティコンサート”で福島県いわき市に行ってきました。
森フェスで何度か足を運んだ懐かしい いわきの地。

いわき勿来のインター降りて、左に真っすぐ10分くらいで森フェスの会場だったmomoカフェに着きます。久しぶり!と勇んでいったら”CLOSE”の文字が。。たくさんの猫達が出迎えてくれたんだが、あれまあ、という事で隣のチャンドメラさんでチャイだけ頂き、小名浜の海へ向かいます。

向かったのが小名浜の海が全望できるいわきマリンタワー。300円くらいの入場料をはらってエレベーターで展望デッキへいきます。地元の人はほとんど訪れないと思われ、誰もいないデッキでのんびりと海をのぞみます。ここからの海の眺めは様々な想いがわいてきます。東日本大震災の津波の事、さらにはいまだ困難を極める原発の事。解決へ向けて懸命に働かれている人達の事。いろんな気持がわいてはきますが、このタワーからみる海の美しさは本当に素晴らしかった。すべては報われていくといわんばかりの美しい海。何か自然が大きく変わっているようにも感じます。



さらに海を間近に。
荒々しい波しぶきと立ちこめる雲。悲しいというより神々しい。ここでもやはり今までと違う雰囲気を感じます。確実に何か変わっていると感じます。

そしてコンサート会場であるいわき市文化センターへ。ここのピアノは珍しくKAWAIのピアノ。いだきしんコンサートは何度も参加しているけれど、KAWAIピアノははじめてかも。コンサートがはじまり、このKAWAIピアノは新しいのか、全体的に少し固い音ではあるけれど、リアクションがとても良く、演奏者のタッチにすぐに反応して音が出ている感じでした。それもあってか、演奏はド迫力。怒濤の低音高音おり混じり、倍音の渦の渦の渦。全身が洗われたように、凄まじいサウンドが身体を貫きます。コンサートメッセージでは東北の四季の美しさが語られ、この四季の変化に反応して生きる人こそが運の良い人であると伝えられます。

コンサート後に久しぶりにいわきの友人達に再会。森フェスでご一緒したミーワムーラの大兄貴の村さんやミワちゃんもご健在。momoカフェの二人にも会い、何やら11月8日にmomoフェスというのをmomoカフェ敷地内で開催予定とのこと。イベントが続いているようで何より。いつかまた太鼓を叩きにいければなあと話をしてきました。

コンサートはこれぞ経験した人にしかわからないと言うしかない、独特のサウンド経験。またコンサートを通じて訪れる地や出会う人。こういう動き、巡りこそ真の芸術の成せるわざと感じ、この経験のひとつひとつが確実に世界を変えていくと感じる時でした。本当に素晴らしいコンサートですよ。

それにしても今回のいわきへの旅。うちのアルファ君が修理中のため代車のパジェロミニ号で疾走。軽自動車なので100キロ超えるとエンジンがうなりを上げてくるので、どうしても適度なスピードで走らざるをえず、必然的に安全運転に。無理もできず、この適度なスピードがあまり疲れをうまず、結構快適なドライブとなりました。最近の軽は結構優秀だと見直したいわきの旅でもありました☆
一週間経ちましたが、10月11日は東日本大震災から4年7ヶ月。

最近ある量子力学者の本を読んでいて、なるほどと思った事があります。
思考は過去が基準にあり、それはどこかで読んだり、誰かから聞いたことが基準になっているということ。また思考は断片的に捉える癖があり、錯覚しやすい。ちょっと良さげな事に反応しやすく、現実が悪いとその事に直視しない癖があるという。本当の事実とは何かを研究する物理学の世界にいる人にとって、自分の思考の癖、人間の思考の癖を知っていないと、事実を見誤り、本当の発見ができなくなるというのです。研究に差し障りがあるというのです。本当の事実とは全体的な事であり、それは普段の思考では捉えきれないこと。だからこそ、ある考える対象に対しては、すぐに答えをだすのではなく、ずっと関心を持ち続けていること意外になく、それがある時に、閃きのような気付きがあり、その気づきが結果的に事実の発見だったり、全体的な問題の解決になっているという。

また例えで、川が汚れているとして、その上流の汚染源を解決しない限り、下流でいくら策を高じて汚れを除去していても、永遠に解決しない状態を思考の問題の例えとしてあげている。問題に対する対処、どこをフォーカスしなくてはいけないのか、この事があまりにも間違っており、錯誤しているといいます。これは復興に関しても防災に関しても、思考の癖にワナにはまって、いくらやっても解決しないことにフォーカスし続けて、堂々巡りを繰り返してはいないかと気兼ねします。

この学者はとにかく対話の必要性を説きます。目的や答えを求めるのではなく、考えている事をそのまま表現し合う場。評価もしない。それを繰り返していくうちに、ある本質に気付く瞬間があるといいます。このことの繰り返しのうちに、全体に通じる展開がおこる。対話は自分との対話もあるといいます。

結局全ての法則の発見は一人の気づきから始まります。そのきっかけは集団での対話かもしれないし、自分との対話かもしれません。あらゆる問題の最中にある現代において、思考の癖について考える事は前提を見直すことで、実は遠回りでも、とても重要なことと感じました。誰かひとりでも全体に通じる問題解決、根源解決になることに気付く事があれば、事態は展開していくというのです。

最近福島の友人に会いました。福島の状況はもちろん厳しいですが、どこか以前と違って明るい雰囲気であったので、何か大きく変わり始めたのかなと感じました。こういう変化に希望を感じるし、ちょっと嬉しい出来事でもあります☆