今日は12月14日。
先日の11日で東日本大震災から4年9ヶ月経ちます。

早いもので今年も残すところ半月。
2015年はどういう一年でしたでしょうか。

我々は今年は父が2月に他界したことから、ひょんな巡りで先祖のお墓参りをする機会がありました。それも今わかる範囲で両親に関わる家系のお墓全部です。場所は東京から名古屋、三重、富山、福井にわたります。意識的に全部巡ろうとはしていなかったものの、たまたまというか、先祖が招いていたのか、結果的に全てのお墓を参れることになりました。先祖は様々で、それぞれの家が一カ所に集ってくれれば良いのですが、離縁したり、結婚していなかったりで、お墓は分散していて、お墓参りといえども、ちょっとした史跡調査みたいな感覚で巡っていました。

お墓を巡ったからなのかはわかりません。今年の秋には今まで葬式でしか集う事の無い親戚が、90歳になる大叔父の卒寿祝いで集うというイベントが開催され、出席者も多く、賑やかで和やかな会となりました。こういうのは今までなかったことでした。

またその後、お墓についての家のルールを考え直す機会があり、それまで分散していく方向にあったものが、ひとつにまとまっていく方向に変えていく流れができました。これはちょっとした歴史的なことです。誰もがやれるようで、実はなあなあにして実際はやらないようなことです。

今までの当たり前を見直す、そういった機会を見逃さず取り組む。当然一人でできることではありません。関わる兄弟や身内とできるだけコンタクトを取り合い、意見を共有していくこと。そういう関係を前提とした上で、あとは先祖の計らいと言うか、見えないチカラのような導きを感じる事も多く、全ては絶妙なタイミングでことが運びました。

こういった巡りは父の他界からはじまり、先祖のお墓参りをし続けていくなかで、問題というか、何に集中していったらいいのかが明確になりはじめ、どう動けば良いのか整理できたことによります。あまり信心深い方ではないけれど、何かの導きを感じざるを得ない流れでした。

東日本大震災の被災された方々のインタビュー等で誰もが気にされておられたのは先祖のお墓のことでした。震災により様々な状況がおこり、お墓に行きたくても行けない、またはお墓そのものが壊れてしまったという現実があります。お墓を通じて先祖に向き合うことの本質は死に対して向き合う事でもあり、それは生きることを考える事でもあります。様々な規制などでこういった機会を奪ってほしくないと切に願います。復興とは箱ものを新しくするだけでなく、ありていかもしれないけど、心の復興があってはじめてなせることです。その心のことはこういったお墓参りや弔う場、そういったいわば聖なる場所に対してどう向き合うかがとても大事な事と感じます。

お墓参りという行為を通して気付かされたり、整理されていく歴史や関係性。こういう機会に対して真摯に向き合い、時には援助してあげること。これが家族・親族はもちろん、国家や行政、地域にまで共有していければどれだけの人が助かるかな、、そんなことを想う、先祖巡りの今年一年でした。

追悼、Scott Weiland。


ストーンテンプルパイロッツ、大好きでした。
ベルベットリボルバーはメンバーの組み合わせに驚きながらも、好きでした。
ベルベットリボルバーの日本ツアーは見に行きました。
細身だったけど、あの独特なカッコ良さは健在でした。

前にやっていたバンドmanasのボーカルのクロケンとはストテンの話ばっかりしてました。
彼のお店、今夜はウェイランドの追悼イベントをやるんだそうです。
悲しいけど、今夜はカッコ良かったウェイランドの思い出にひたろう。

http://www.rollingstone.com/music/news/scott-weiland-dead-at-48-20151204



昨日11月11日、11時に歯医者に行っていました。
1(い)1(い)歯…すいませんw
1続きの時を過ごしておりました。。

昨日は東日本大震災から4年8ヶ月経ちます。
途方もない時間がたっています。
時間。
最近ずっと読んでいた量子論関係の本に、現代物理学からわかってきた事と過去から伝わる東洋思想の共通性が語られていました。時間を考えると大変興味深い。相対性理論でいわれているのは、空間と時間は絶対的なことではなく、空間も時間も相対的であるということ、つまりかなり一般化して言えば、空間と時間は観測者にとって個々に違う現象であるということが明らかにされています。

道元にこんな言葉があるといいます。
ほとんどの者が、時は過ぎるものと信じている。しかし実際は、時は在るところにとどまっている。時は過ぎるという観念が時とよばれているのかもしれないが、それは正しくない考えだ。時は過ぎるもの、と見る。だから、時が在るところにとどまっているのが理解できないのだ。

時は在るところにとどまっている。
この考えからさらに解釈していくと、留まっているある時間がずっと留まり続けているということ。その時間に留まってしまった現象が留まるということ。つまり留まっている思いはそこに留まり続けているということ。ある時間に解決しなかった思いはそのまま留まっているということ。それが今も続いているということかもしれない。

だからとどまってしまっている”時”には向き合わないことにはその”時”からは開放されないのかもしれない。その”時”に整理されなかった思いは留まり、今に影響し続ける。そういった意味では今生きる人はどこかの”時”に影響され続けて生きているといえる。それが良い”時”ならば支障はないだろうが、良くない”時”ならずっと引きずっていく。

そんなもんだという諦め。それは留まっている”時”に対する諦め。しかし道元の考えから考えるならば、留まっている”時”は在り続けるのなら、その”時”に向き合えれば、その”時”は今からでも解決できるのではないだろうか。

東日本大震災という”時”。その”時”に留まり続けてしまっていては、今は苦しいものになることは明らかです。どうにもならない苦しい”時”の積み重ねが歴史ともいえるが、必ずその苦しい”時”に対して開放させる考えや経験があるからこそ、新しい”時”を生きていきる。そう生きてきた人の歴史である。

”時”を考えることは人の”存在”そのものを考えることになる。20世紀最大の哲学者と言われるハイデガーの哲学の根幹です。21世紀はひとりひとりの”存在”現す時代と言われています。”時”に対して考え新たにして、留まる”時”を開放し、真の”時”を生きていく、それが”存在”現し生きていくこと。”時”に向き合う大事な時です。