玄音のホームページをリニューアルしました!

よりシンプルに、より必要な事に集中していく為に。

今後ともよろしくお願いします。

http://www.gen-on.com
1月11日。
東日本大震災から4年10ヶ月。

今年は東日本大震災から5年という節目をむかえる年。
制度的な変化もあるようで、大きく流れが変わりそうです。

さらに今年は参議院議員選挙、アメリカでは大統領選挙、中国の株式市場の不安、関東圏での地震の恐れ、さらにはウイルスによるパンデミックの恐れなど、政治・経済・社会への不安はよりいっそう深まりそうです。

こういうご時世だからこそ、備えあれば憂いなし。
起きるかもしれないという覚悟、起きたらどうするという情報共有、そして人との連携、助け合い。
普段から周囲の人、家族との関係を良くしておくだけでも備えになります。どのような時代でも、どのような状況においても、最終的に生き残っている人は絶対的に冷静な人だったといいます。大変革期、大変動期にあるという自覚をより高めて、何が起きても動じない冷静さを志したい。

2016年ははじまっています。
今年もどうぞよろしく。



12月24日クリスマスイブ。
いつしかクリスマスより盛大になっている気がします。

そんなクリスマスイブ。
一応はクリスマスはイエス・キリストの生誕とされているが、それが真実かどうかはさておき、イエス様という存在について考えるにはとても良い機会でありますね。最近読んでいた批評家の若松英輔さん著による『イエス伝』にインドの宗教者であったヴィヴェーカーナンダによるイエスについての語りが紹介されていて、それがとても興味深く、孫引きさせてもらいます。

ある時にイエスの奇跡にふれ、次のように語られたといいます。
「キリストの偉大な力は、彼の癒しや奇跡にあるのではない。[霊的な]愚者でもこのようなことはする。愚者も病気を癒すことはできる。治すことは悪魔にもできる。私は恐るべき魔性の人間共が、すばらしい奇跡を行うのを見たことがある。彼らは土から果物を造る。私は愚者や悪魔のような者たちが過去・現在・未来の出来事を言い当てるのを知っている。私は愚者たちが、ひと目見ただけで、また思っただけで、恐ろしい病気を癒すのを見たことがある。これらは確かに「力」である。しかし、しばしばそれは悪魔的である。」

何が本当の奇跡なのかを考えさせられる語りです。そして次のように続きます。
「その一方で、[単なる「力」ではなく]キリストによる「霊的」な力と呼ぶべきものが時を超え、遍在している。それは全能の、巨大なる愛であり、彼が説く真理の言葉(words)である。病を癒す行為はすぐに忘れられる。しかし、「心の清い人は幸いである」との彼の言葉は今日も生きている。これらの言葉は尽きることのない力の源泉である。人の心がある限り、神の御名が忘れられない限り、これらの言葉から発せられる響きは止むことがない。これらがイエスの教えた力である。そして彼がたずさえていた力なのである。」


何が本当の奇跡であったのか。それは言葉の力そのものであり、それはその言葉が今にも活き活きと伝わっていることにあるといい、言葉が真の救済を実現すると説かれています。こういったことをいわゆるキリスト者からすると異教徒であるインドの宗教者が語っている事は注目に値します。イエスの言葉の数々はとても印象的です。問う人の誘導にのらず、真理のままに語られる言葉。イエスの行いのひとつひとつは正に言葉を成就させるための行為であり、それはヨハネ伝の有名な一節を成就させるためでもあったのかもしれません。

「初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。み言葉は神であった。み言葉は初めに神とともにあった。」

言葉は神である。このことをイエスは自身の人生を通して成就させたのかもしれません。もちろん、これらの言葉は誰が発したのか、そのことはとても重要です。わかっている人の言葉はその真意はその時わからずとも、後々になりわかる時があり、その言葉、その態度こそが、実は自分の為になっていたということがあります。この時、言葉にしない態度すべてをもひとつの「コトバ」とみることもできます。

クリスマスイブ。2000年前に生きたイエスという存在は今になっても様々な事を伝えてくれていることを知る、12月24日の一日です。良きクリスマスを。メリークリスマス!