
柳生の里に隠れたように鎮座する天乃石立神社。ここに柳生石舟斎が天狗だと思って切ったら実は巨石だっという伝説の巨石が鎮座しております。それはそれは見事な一刀両断。山全体が巨石だらけで、巨石信仰という枠だけで見ないで、巨石文明やピラミッドの可能性など、夢膨らむ柳生の里には不思議なパワースポット的要素満載です。剣術がどれだけ優れていたにしても、ひとつの一家が将軍家剣術指南役という役におさまらず、国を動かす影響を与えたことを考えると、この地には明らかに何かの力があると感じます。剣を極める精神性が今も伝わるのか、空気そのものが清々しく、キリッとしています。
新陰流は柳生で有名になってはいるけど、もともとは上泉伊勢守が創始した流派。日本剣術の三大源流と言われる念流、新当流、陰流を学んだ上泉伊勢守が特に陰流を中心に転(まろばし)と言われる極意を発見し、新陰流を始めたと言われています。柳生に伝わったのは当時、諸国に名を剣術遣いで有名になっていた柳生石舟斎が、上泉伊勢守と何度立合っても勝てず、そのまま弟子となり、柳生の地で教えを受けたことに始まるそうです。
その後、新陰流は柳生はもちろん、上泉伊勢守の他の弟子たちもその流儀を多くひろめ、日本の古武術や剣術でその影響のないものはないと言われています。上泉伊勢守が活躍したのは室町時代。それまで1対1で人対人としての立合い中心に鍛錬されていた剣術に、場を支配すること、空間を支配することで勝ちを得るという、全くの質の転換を型として創造したところに上泉伊勢守の凄さがあるといいます。相手の動きを誘い、隙をわざと作って打たせるようにして、その逆を取り、打ち取るといった、場や関係を先導するという視点はそれまでなかったことだと言います。このことは生命の働きや空間や場の研究で知られる清水博氏が柳生新陰流をテーマにユニークな研究をされています。
室町時代にとても注目しています。新陰流はもちろんのこと、能が大成したのもこの時代といいます。柳生家は能の金春流との交流は歴史に知られるところ。お互いに能や剣術を学び合い、身体の動きの質を探求しあっていたという話もあるようです。能もそうですが、新陰流も刀法の型を学ぶより前に、身勢といって身体を作ることを何よりも重視しています。身体遣いに大きな飛躍のあった時代なのでしょうか。風姿花伝で有名な世阿弥が活躍したのも室町時代。あまり詳しくは知らないけど茶道や華道もきっとこの時代に大きく飛躍し、今に伝わる型の創造がおきたのではないかと予想しています。
この時代に起きた動きの質の転換、身体の何かしらの発見がその後の日本の文化の礎になったことは間違いなさそうです。室町時代。面白き時代。