こんにちは!
今季も日本橋三越カルチャーサロンの禅講座を担当する良玄です(*^-^*)
5月12日(日)14時半~16時に
日本橋三越の新館9階で
イス坐禅と写経体験を含めた禅の講座を担当します
5月病にも差し掛かる時節に
少しでも禅の世界を体感することで
心スッキリな時間を共有しましょう
講座のついでにぜひとも
日本橋三越でお買い物も堪能してください
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さてそんな今回のテーマは
日常に学び仏心に気づく
~法門無量誓願学~
です
実は本年度の臨済宗妙心寺派の
布教の年間推進テーマが
「法門無量誓願学
(ほうもんむりょうせいがんがく)」
でして和訳として
「学んで 気づいて」
となっております
この言葉は
『四弘誓願文(しぐせいがんもん)』
というお経の一説で
「法門=仏教の教え」は無量にあるけれども
懸命に学ばんとすることを誓い願う
という教えです
仏教の教えの書かれたお経は
八万四千もあると言われており
即ち膨大な量であるということ
そんな膨大な書物を見るだけで
これを全て学ぶなんて無理
と言いたくなってしまいますが
たとえ膨大な量でも
学ぼうと心がけるところに救いがある
と説くのがこの一説の大事な部分です
昭和の時代に世界にも禅を広めた
山田無文老師は次のようにも説きます
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不立文字ということは
言葉がないということではない
学問を学び学び学び尽くして
学問では分からんものがあるということだ
どういう言葉で表現してみても
言葉では届かんものがあるということだ
そういうものを自得することが
禅でなければならんのに
それを軽率に考えて
禅は黙っておればいい
本も読まんでいい
無だ!空だ!と
そういう簡単な軽率な禅者が多い
自分では腹いっぱい
禅が分かったつもりでおるけれども
はたらきが何もない
分かった分かったと言うておるだけだ
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要するに禅の世界も
坐禅をして黙って座っているだけではダメで
しっかりと学び尽くして
その尽くした先に
言葉では表せないものが修得できる!
と教えてくれています
(3月末の坐禅会も多くの方々が参加しました)
では禅の学びとは何かと言えば
やはり教科書を読むだけではなく
実生活の日常の中で
気づいていかなければなりません!
ご飯を食べたらお茶碗を洗う
服が汚れたら洗濯をする
ゴミが出たらゴミを捨てる
一つ一つを丁寧に
しっかりと全うしていくところに
禅の学びがあります
そのため「学んで気づいて」に
日常に学んで仏心に気づく!
と私自身は追記させていただきました
日常の中で少しでも人の為や
自分の為に一所懸命になると
自ずと心がホッコリする
スッキリする瞬間が必ずあります
人助けをしたら
必ず自分の心に安らぎが訪れます
逆に人を攻撃したら
自分の心に負の感情が現れます
これは何故なら私たちの中には
必ず仏の心=仏心が
備わっているからです
生まれたままの素直な心
綺麗な花を綺麗と見れる心
あるがままをあるがままに受け入れる心
が仏心であります
そんな仏心が必ずあることを
日常の中で気づかせてくれるのが
禅の学びであります
どんな細かなところや機会にも
必ず仏心は備わっている
それを信じて
目の前のことに真正面から
向き合っていきたいものです
(写経も老若男女の方々が般若心経を書きあげました)
4月は新学期・新年度の始まり
色々と不安であったり
苦労することもあるかと思います
けれどもその不安な心や
苦労があるからこそ
ふとした瞬間に幸せを感じることもできます
そういった目の前の日常から
目を背けるのではなく
真正面から向き合っていく
心機一転して心新たに
日常の一つ一つの出来事に
汗水垂らして全力で向き合って
気持ち良いスタートを切っていきましょう
良玄合掌
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