こんにちは!
最近メガネの置き場所を良く忘れる良玄です(^∇^)
裸眼の視力が0.1を切るワタクシ・・・
顔を洗ったりお風呂に入ったりした後に
眼鏡・・メガネ・・・めがね・・・・と家中を彷徨い歩いております
メガネを置く場所を決めておけば良いのに
なかなかその習慣自体が定着せず
結局毎度のごとくメガネを探しまわる・・・
家族にはだいぶ呆れられておりますが
平成の時代が終わるまでに
なんとかメガネを探さない日常を実現させたいものです
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さてそんな節分前日の今回のテーマは
笑う門には福来たる
です
これは実は
我が家の家訓の一つでもあります
ちなみにもう一つは
生きてるだけで丸儲け
です
生きているだけで有難くそれ自体が丸儲けのようなもの
そんな生きている中で笑っていれば自ずと福は来たる
さらには人生に失敗は付き物だから
そんな時こそ笑っていられるように
という願いも込めてこの2つを勝手ながら家訓にしております
(最近は鬼も豆も可愛いものです)
そんな言葉を聞くだけでも幸せになる力が湧いてくる
笑う門には福来たる
意味は誰しもご存知の通り
いつもにこにこと笑って暮らす人の家には
自然に幸運がめぐってくる
という意味であります
出典は『上方版いろはかるた』でして
笑って損した人なし
和気財を生ず
さらには以前に記事にもした
和気豊年を兆す
にも通じる言葉かと思います
またここで出てくる「門(かど)」は
門という意味ではなく家や家族という意味で
笑い声に満ちて和気あいあいとした家庭のことを
「笑う門」と表現しているそうです
まさに一家族を成す人間として
笑う門を常に目指していきたいなと思う次第でございます
ここ最近では危険運転など
人の怒りによって不幸になることが増えているように思います
乱暴な運転を見ると
なぜそうなってしまうのか疑問に思うところですが
いざ自分がその被害に遭うと
自ずと自らの心にも怒りが生じてしまったりもします
普通に走行しているのに無理矢理横から割り込まれると・・・
自分の車の後ろにピタリと貼りつかれると・・・
傍若無人な態度を取られると・・・
心無しにもイラっとしてしまうのが人の性かもしれません
しかしながら仏教の教えにもある通り
怒りは怒りによって制することは決してできません
怒りは新たな怒りを生み
人を不幸にするのみです
怒りに打ち勝つにはただ忍ずるのみ
耐え忍ぶしか方法はありません
そしてそんなときこそ
我々の日常態の修行の成果が試されるときでもありません
冷静に考えれば
悠々自適に左車線を走行している車の方が格好良いはず
優雅に余裕を持って運転している人の方が大きく見えるはず
親切丁寧に心優しく接する人の方が何倍も魅力に見えるはずであります
それが分かっちゃいるはずなのに
なぜが怒りに直面すると怒りで返したくなってしまう・・・
であるからこそ
普段から何事にも笑って対処できるほどの懐の深さをもって
物事に接しておきたいと思います
耐え忍ぶのが辛ければ
受け流すイメージが役立つかもしれません
これはよく坐禅の無の心の説明でも用います
物事に執着をしないイメージ
怒りを相手にしない心持ちです
文句や非難は誰だってできる
そんな簡単な行為に溺れるのは二流どころか三流以下
そう思って川の水が流れていくがごとく
さらりやさらりと上から下へと受け流すのが
一番の良策なのではないでしょうか
まさに一休さんの言うとおり
気にしない気にしない
一休み一休みの心意気
笑う門に福を来たらしむるために
怒りなんて気にしない精神が大切なように思います
以前に子どもの命名を考えていた際に
「笑」という漢字は元は「咲」と同じ文字
ということを知りました
要するに笑=咲
であるわけで
大漢和辞典によると「笑」の古字が「咲」であると書かれています
そのため「花が咲く」というのは
「花が笑っている」と同じ意味であるわけで
人の笑顔はまさにお花が咲いている姿
でもあるわけです
これを知ったときに
日本語のなんとも奥深い美しさを感じました
花が咲いている姿を見て
怒りを覚える人はおそらくいないでしょう
それと同じように
人が笑っている姿を見れば
怒りは生じないはずなのです
仏教の布施行においても
和顔施(わがんせ)と言って
人に優しい笑顔を見せることが周りの人を幸せに
さらには自らも幸せにする布施行の一つであることを説いています
笑う門には福来たる
まさに福を自らの元に来たらしむる為には
まずは自らが笑顔になることが大切であることを
この言葉は教えてくれているのです
季節の変わり目である節分がやって参ります
節分と言えば豆まき
鬼は外 福は内
と言って家に福を呼びよせます
それは決して誰かが持って来てくれるものではなく
豆につられて来るものでもなく
春とともに季節が運んでくれるものでもなく
自らの心の怒り(鬼)を退治し
笑顔をもって人と接することで
自然と訪れる幸せ(福)であるわけです
自分の歳の数だけ豆を頂くというのも
人生経験を重ねるほど積み重ねられる
執着であったり固定概念であったり
自分よがりな我儘な考え方を
改めて見つめ直す為なのかもしれません
子どものうちには少なかったものが
大人になるにつれて増えていくものの一つに
執着の心があるように思います
自分さえ良ければ良い
自分さえ儲かれば良い
自分だけ得をすれば良い
そういった鬼の心を
美味しい豆を食べて笑みが生まれていくことで
一つ一つ打ち砕いていってくれているのかもしれません
そんな先人たちの心づかいに触れながら
今年も大いなる笑う門の中で
福に包まれた一年にしていきたいものです
良玄合掌
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