こんにちは、井口元気です。


今日は僕の大学時代の経験と、恩師にまつわるエピソードを書いていきます。



僕は大学まで野球をプレーしました。



明星大学という首都リーグの大学へ入りました。当時の明星大学野球部は、一部は上がったことがなく二部でも強いチームではありませんでした。



僕が明星大学を選んだのは、弱いから試合に出れかもしれないからです。




しかし入部してすぐにわかったことは、明星大学の選手たちは決して弱くはなかった。上手い人がたくさんいました。



部員は100名を越えており、自分は基本的に四年間Bチームで過ごしました。Bチームでも全然試合に出れず、まともにBチームで試合に出始めたのは四年の夏頃でした。


部の体制として勝利至上主義というよりは少し和やかな雰囲気のチームだったので、上手い人はいるけど勝つ雰囲気ではない、という印象でした。



1年の秋に監督が交代し、そこでやってきたのが浜井澒丈監督です。



浜井監督は、実は臨時コーチとしてたまに明星大学の指導に来られていたので顔は知ってましたし、浜井さんの指導日の日はトレーニングがきついので部員はみんな憂鬱でした。



その厳しい練習の浜井さんが監督になるというので、部員たちは震え上がりました。




今までのような和気藹々の雰囲気ではなく、勝つために厳しい練習をすると噂になり、自分も不安を隠しきれませんでした。



さて新しく赴任した浜井監督は、本当に練習が鬼のように厳しい監督でした。




走り込み、筋トレ、素振り、とにかく数がすごい。



短い練習時間の明星大学野球部ですが、毎日ヘトヘトで帰っていました。



日大三高、広陵、浦和学院、仙台育英など強豪校の出身者たちも、「高校よりきつい」と言うほどの練習でした。



そんな厳しい練習の中、一人、また一人と退部する部員が出てきました。


40人以上入部した自分の代は、確か最後まで残ったのは13人だったかと思います。



練習による技術の向上はどれほどのものかはわかりませんが、明らかに変わってきたのは部員の意識です。




「これだけ練習してるんだから、勝たないとやってられん!!!!」




チームには、勝ちたい強い気持ちが確かに芽生えていました。




そして冬を越えて迎えた春のリーグ戦。



当時、首都の二部リーグはAとBに分かれており、AとBの優勝チーム同士で試合をして勝った方が入れ替え戦に進むルールでした。



明星大学野球部は、Bリーグで優勝を果たします。




そしてAリーグ優勝チームと戦い、1勝1敗で迎えた第3戦で惜しくも敗戦し、入れ替え戦への切符を逃します。




しかしいきなりこの大躍進はチームを盛り上げ、「自分たちでも一部はいけるかもしれない」という意識が芽生え始めます。



そこからチームは本気で、目標は一部昇格になりました。




秋のリーグ戦はまた惜しくも敗戦してしまい、浜井監督1期生は引退を迎えます。



代が変わった浜井監督2期生は、下級生の頃から試合に出ている選手が多く残る世代でした。



鬼の浜井監督の2度目の冬トレーニングがやってきました。



浜井監督の鬼練習はさらに強度を増し、どんな鬼練習を課されてもその頃には驚かなくなっていました。



笑いながら、「やるしかねーだろ!やってやろうぜ!!!」という空気です。




2度目の冬を越えて迎えた春のリーグ戦、なんと惨敗に終わってしまいます。



一部昇格どころか全然勝てないリーグ戦に終わりました。




チームはまた一から気持ちを立て直し、秋のリーグ戦に懸けます。




迎えた秋のリーグ戦、第一週は優勝候補の桜美林大学。



当時の桜美林大学は発足したてのチームでしたが、力のある選手がゴロゴロいました。



その桜美林大学になんとニ連勝し、チームは勢いづいて二部リーグ優勝を果たします。



そして武蔵大学との入れ替え戦、ついに創部初の一部昇格を果たします。



一部昇格を果たした偉大な先輩たちは有終の美で引退をし、ついに自分たちの代になります。




このチームで、春は一部でプレーをするのか、、、




嬉しさもありましたが、不安もあったのと、実感が薄いのもありました。




そして浜井監督3度目の冬。もうどんな練習が来ても怖くありません。辛いのはわかってますから。




そして迎えた初の一部の試合。


第一週は日体大との試合でしたが、なんと日体大相手に勝ち点を上げます。



一部初の勝ち点。チームは湧き上がりました。




ビギナーズラック?もありチームは勝ち進み、結果的に一部で2位の素晴らしい成績でした。




その躍進を見て、翌年には多くの有望な新入生が入ってくることになります。



その年の夏、チームは初の高校生のセレクションを行います。



自分はポジションがセカンドだったのですが、そのセカンドに仙台育英の高校生が一人入ってきました。



その高校生こそ、現在読売ジャイアンツの松原聖弥選手です。



彼は小柄な身体でしたが、フリーバッティングでは誰よりも多くスタンドに放り込んでいました。



仙台育英の頃は打順は何番だったの?と質問すると、なんとメンバー外でスタンドにいると言うではありませんか。



仙台育英にはすごい選手がたくさんいるんだなーとそのときは思いましたが、その四年後に初めて明星大学からNPBへ行った選手です。ポテンシャルはやはり凄まじい選手だったのですね。




さてセレクションの半月後に秋のリーグ戦がスタートしたわかですが、春の躍進が嘘のように連敗続きになっていきます。




最終週を迎える前に、ダントツの最下位決定。




最終週は、当時の王者である東海大学です。



前年には巨人の菅野智之投手や広島の田中広輔選手らがいて、その二人が抜けても数多くの大物がいました。


日ハムの伏見虎威選手、オリックスの鈴木昂平選手、巨人の坂口真規選手、大城卓三選手、横浜の田中俊太選手、らがいました(元所属も含む)。




そんな東海大戦の第一線、浜井監督はベンチ入りメンバーを大きく変えます。




普段練習を頑張っている選手や、リーグ戦には出ないけど有望株の下級生などをメンバーに加えました。




そのメンバーの中に、自分の名前がありました。




最初で最後の、リーグ戦の舞台でした。




試合は首都リーグ史に残る歴史的大敗を喫するのですが、自分は代打で一打席チャンスをもらいました。









打席で140キロも見たことないのに、MAX150キロを超える長友投手(後にJFE東日本)との対戦。




球が、ほぼ見えませんでした(笑)



初級ファウル、二球目見逃しストライク、三球目高めボール、四球目高めから入ってくる大きなカーブで見逃し三振でした。





いやーーー見事なカーブでした。さすがの実力と認めざるを得ない球でした。初見じゃなかなか打てません。




結果はとても悔しく、今でも毎日のように思い出します。でも、この舞台に立てたことをずっと嬉しく思っています。




そして入れ替え戦は敗北し、明星大学は再び二部へ戻ってしまいました。




そこから一度は一部は上がったもののまた二部は落ち、低迷が続いたまま浜井監督はご勇退されました。




浜井監督が明星大学を指揮された15年間、NPB選手が6名誕生しています。




しかもそのほとんどが高校時代にレギュラーじゃない選手たちなので、すごいことですよね。




2年前に、母校へ出向き浜井監督とお話をさせていただきこんな質問をしました。




「浜井マジックの秘訣はなんですか?」





そんなもんはないわ!!!と、おっしゃっていたので次の質問をしました。






「四年間で変化を遂げる選手の特徴はなんですか?」





その答えは、3つあると教えていただきました。





①どうにか現状打破したい強い気持ち

②四年間で肉体が大きく成長する

③監督の起用方針に順応する





このことを聞いて、ハッとしたことがあります。




自分の四年秋のリーグ戦、なぜ試合に出してくれたのか理由がわかりました。




①どうにか現状打破したい強い気持ち

②四年間で肉体が大きく成長する

③監督の起用方針に順応する


この3つに自分が当てはまっていたのです。




当時、人一倍強い気持ちで練習に四年間取り組み、誰よりもトレーニングして肉体を作り上げました。


そして浜井監督に言われたくさん裏方の仕事もこなしました。その裏方の仕事は後々プレーにも活きてきました。



そして四年夏のオープン戦で、少しずつ結果を出すようになっていました。




浜井監督の三原則に当てはまらない選手は、レギュラー格の選手だとしても入学当初からあまり成長はなかったように思いますし、監督自身もそうおっしゃっています。



そしてあの四年秋の東海大戦に選ばれたメンバーの中に、あの三原則を満たしていない選手はいませんでした。




さすが名将、わかりやすい目安と、そして確固たる信念をもとに選手を評価し選ぶ能力。




卒業してから、このお話を聞けて良かったです。




①どうにか現状打破したい強い気持ち

②四年間で肉体が大きく成長する

③監督の起用方針に順応する



まず強い気持ち、そして強い肉体、そして順応性。




何のスポーツでも、ビジネスでも大切なことだと思います。




浜井監督、ありがとうございました。








このお話をお客様にしたところ、良いお話だからぜひ記事にしてと言っていただいたので今回書きました。




何かお役に立ちましたら、幸いです。




本日も最後までお読みいただきありがとうございました。