ハエ(オイカワ)用の毛鉤というと、円錐ウキの下にカラフルでチャチな毛鉤を数本エダスに付けた、セットで数百円の「流し釣り仕掛け」がお馴染みです。…といっても関西では滅多に見なくなりましたね、関東では今でも結構普通に売ってるんですが…(^^;。写真撮ろうと思って道具箱探しても出てこない…私も長らくやってません(^^;。
ハエ毛鉤なんて、夏場水遊びを兼ねてザコ釣って遊ぶ子供のオモチャみたいなモンだろ、と完全にナメてたんですが、なんとハエ毛鉤にも鮎毛鉤同様、風雅な銘を戴いた伝承毛鉤パターンがあるというのです。
まずは、実際に巻いてみたものをいくつかご紹介します。パターンはこちらのサイト他を参考にしました。
鮎毛鉤における青ライオンに相当する、いつでもどこでも良く釣れる代表的銘柄。黒地に赤帯が1本のものは「蛍」、赤帯なしは「胴黒」という銘。蓑毛は本来は黒いキジ剣羽を使うようですが、持ってない(すっげぇ高価いし)ので別の羽です。
ハチのイミテーションパターン。アブドメン(胴)は黒と黄の段巻、ピーコックソードでソラックスを巻き、蓑毛はハックリング(羽を巻きつける)ではなくハチの翅を模して小羽の先端部分を2枚、左右対称に胴に沿わせて取り付ける。
上から見るとこんな感じになっています。こうして指に止まらせて人に見せたらギョッとされそうですね(^^;。
金血丸
鮎毛鉤にはありえない、背中にシェルを背負ったパターン。これは金箔を貼った「金血丸」ですが、朱漆の地色を出したものが「血丸」。鮎たわけさんのブログ「長良川と郡上竿の世界」によると、血を吸って腹が膨れた蚊のイミテーションなのだとか!
私が把握している限りの、伝承ハエ毛鉤の大まかな特徴を列挙すると次のようになります。
1.鮎毛鉤の種類が数千とも数万とも言われるのに対してハエ毛鉤のバリエーションはせいぜい数十種程度。
2.鉤は袖3~3.5号程度、ラインアイは無く鮎毛鉤同様ハリスは30~45cm長のものが最初から付いている。
3.胴は鮎毛鉤同様に羽枝を巻きつけるが基本的に詰巻のみでラメ類もほとんど使わない簡素なもの。
4.止め(虫のお尻にあたる部分の造作)は金の先玉が主、ツノは付けない。チモト部分には鮎毛鉤同様金玉または金ビーズを付ける。
5.鮎毛鉤では蓑毛は茶色の鶏腰毛の羽枝6本と決まっているが、ハエ毛鉤では普通に1枚モノの小羽根をハックリングするか、鮎毛鉤より多めの羽枝を背中側に付ける。追い毛を入れる場合もある。
6.釣り方は流し釣りのほか、鮎のドブ釣り同様にオモリを付けて沈めたりテンカラに使ったりする。
※たぶんチンチン釣りにも使えると思いますが、チンチン釣りは鉤の消耗が激しいのでもったいないですね(^^;。
素材は胴巻にカラスや染めアヒルを、蓑毛は黒はキジ剣羽、茶色はコックネック(ニワトリの頸毛)を使うみたいです。黄色の蓑毛は生毛が黄色いカナリアやヒワの羽を使うのが古式ですが、ダイド(染色)したコックネックで代用される場合も多いようです。太くて毛足の短い蓑毛が良いらしいので、パートリッジ(ウズラ)等でも良いだろうと思います。上記の作例ではコックネックの他、鴨・ヤマドリの雨覆(赤丸部分の小さな羽根)も使っています。何本もの羽枝やラメ、リュウ(獣毛)を使って複雑な造作をする鮎毛鉤に比べたらいたってシンプルなので、ミッジ系のフライやテンカラ毛鉤の経験者なら容易に巻くことができるだろうと思います。
毛鉤はかつて「蚊針」「蚊頭」等と呼ばれ、江戸時代初期には既に存在していた事が史料から分かっています。発祥は京都で、元々はハエを狙うためのものであったらしいですから、初期の頃は「都住のシティーボーイ達」が街中を流れる鴨川や桂川でスポーツフィッシングしていたんですかねぇ(^^;。
蚊針にはハエより美味しい鮎が掛かってくることから徐々に鮎に特化したパターンが開発されて全国に拡がり、現在も毛鉤産地である加賀・播州・土佐や東北各藩では武士の身体鍛錬になるとして毛鉤釣りが奨励されたそうです。
幕末から明治初期には「あみだ」「お染」「八ツ橋」等のパターンが生まれて現代の鮎毛鉤の形が確立され、昭和期にかけて爆発的にパターンが増加していった…というのが鮎毛鉤のざっくりした歴史です。
「蚊針」の具体的なビジュアルが出てくるのが、こちらの「魚猟手引草(かわがりてびきそう)」という1830年頃に城東漁夫という人が書いた本で、「黄毛」「黒毛」「赤毛」「孔雀」の4種と「蜂がしら」という大きめの毛鉤が紹介されています。「孔雀」は挿絵を見る限り上の作例そっくりだし、写真傍線部に「赤毛 ショウジョウとも言う。加州(現在の北陸)にて用いる」と書かれていますから作例の「猩々」もこの頃には既にあったのですね(^^)。
なお、「黒毛」は現在の「胴黒」、「黄毛」は「菜種」という銘の毛鉤に相当するのだろうと思います。「魚猟手引草」はKindleの電子書籍(有料、108円)になっていて、スマホでも読むことができますのでご興味ある方はどうぞ(^^)。
右に「香魚(アユ)を釣る蚊針」とのタイトルが見えることから、現代に伝承ハエ毛鉤として残っているこれらのパターンが鮎毛鉤の原型なのですね(^^)。幾千ものパターンが生み出され今なお進化を続けている鮎毛鉤と違い、悪く言えば進化から取り残されて原型に近い形のまま現代まで引き継がれているハエ毛鉤は、和式毛鉤の「生きた化石」と言えるのかもしれません。銘柄数の少なさがそれを物語っています。
なお、ハエ毛鉤は鮎毛鉤産地の播州で現在も製造販売されていますが、F師匠によると恐らくもう「藤本十兵衛商店」と「中山光男商店」の2社ぐらいしか巻いてないだろう、とのこと。鮎毛鉤以上に絶滅危惧文化です。この記事を読んで頂いた方の中に、いつか江戸時代から続く鮎毛鉤の原型を未来に引き継いでくださる方がおられれば幸甚です。
おまけ
F師匠&満月さんから面白いエピソードを教えて頂きました。昭和の終わり頃の京都には、鮎毛鉤が先祖返りした「鴨川式」と呼ばれるハエ毛鉤があったのだそうです。胴部分は鮎毛鉤の造作そのまま、「鉄針ではなく普通の袖鉤を使って、ツノは省略し蓑毛は小羽をハックリングしてあった」といいます。再現してみるとこんな感じでしょうか?
鴨川式新サキガケ
そんなにむっちゃ昔でもないけどむか~し昔の話じゃ、ある鮎バカが鴨川のほとりに住んでおった。毎年、鯉幟が空にはためく頃に弁慶と牛若が闘った京の五条の橋の上から見下ろせば、陽光輝く鴨川を愛しの鮎ちゃん達がたくさん登っていくのが見える。なのに解禁はず~っと先、それまで指を咥えて見てるだけなんて無理!もう辛抱たまら~ん!と思い余った鮎バカは一計を案じたのじゃった。
毛鉤師に「鮎には鮎毛鉤に見えるけど人間にはハエ毛鉤に見える鉤」を特注で作らせ、「ハエ釣り」だと言う事にしてコッソリ鮎を狙ったのじゃ。漁協に見咎めたれた時にはビクは隠して仕掛けだけ見せて「シラハエ(オイカワの京都弁)釣ってますねん、ほら鮎毛鉤ちゃいますやろ、これシラハエの毛鉤なんどす」と言い訳したそうな・・・おしまい(^^;。
良い子はマネしちゃダメだぞ、その鮎バカの気持ちはすご~く良くわかるけど最悪お手々が後ろに回ります(笑)。後ろめたく釣る必要のない琵琶湖河川の無料区へ行きましょうね(笑)。