これは音楽に限ったことではないけれど
アマチュアのパフォーマンスを楽しむにはプロとは違ったアプローチが必要になる。
プロに求めているものを、アマチュアに求めれば当然不満ばかりになる。
プロは基本の遥かその先を求められるが、大半のアマチュアは基本を満たすことすら稀だ。
アマチュアを楽しむコツのひとつは、
「小学校低学年の野球を観戦する気持ち」になることだろう。
たとえば、内野にフライが上がる。
プロ野球でなくても、ここは簡単に捕球してアウトというところだが、低学年の野球は違う。
ボール落下点の子がオロオロして落球するのは当たり前の光景だ。
なので たまにちゃんと捕球できるとギャラリーから大きな歓声が上がる。
未熟な者たちが起こすドラマへの感動があるからだ。
*
また たとえば
ぼてぼての内野ゴロを取ってファーストへ送球、
ここは普通アウトだが、低学年の野球は違う。
心配したとおり送球は大きくそれて、楽々セーフ。
ランナーは周囲の「走れー!」の声に押され、2塁へトテトテ走り出す。
ファーストの子は偶然戻ってきたラッキーなクッションボールをつかんで2塁へ送球。
アウトのタイミングなのに、ボールはやはりそれて外野へ転がっていく。
ランナーは またまた「走れー!」の声に押されて3塁も回る。
楽々ランニングホームランかと思えば、いかんせんランナーの足も遅い。
なんとボールが間に合い奇跡的なクロスプレーに。
大きな歓声が上がる。
どうだろう、ワクワクしないだろうか。
確かにそこには未熟な者たちが起こすドラマへの感動があるのだ。
*
アマチュア音楽の現場でも ドラマは起こる。
楽器を始めたばかりの子が
発表会で泣きべそをかきながら 曲の最後にたどり着く場面などもそれだ。
その感動は音楽そのものからくる感動ではないが、
人が起こす「音」にまつわる舞台表現の成果に結果的にはなっている。
*
未熟なアマチュアのパフォーマンスを楽しむ極意は、アラさがしをする減点法ではなく、
小さなドラマや得点を0点から積み上げる加点評価の視点を持つことだろう。
誠意を少しでも持ち続けている表現ならば合格点でなくても、0点ということはまずありえない。
ただし、
このような視点を持ち続けてアマチュア音楽に向き合うのはそんなに楽なことではない。
受け手にとって 未熟な音楽は大なり小なり音の暴力なのだ。
演奏者の関係者か身内でもなければ、そのストレスに長時間耐えることは難しい。
他人の耳を踏みつけにしながら育つしかない原罪を背負い アマチュア音楽は存在する。
なんであれ
練習不足で ちゃんと弾けてないんだけど
ランニングホームランにならんかなぁと 都合よく思う
今日この頃