■推敲 二(不足の言葉はないか)
推敲にあたっての二つ目の注意点「不足の言葉」というのは、言い足りていない言葉ということです。俳句では言葉をぎりぎりまで省略しますが、しかしその言葉を省略してしまっては読者に理解できないという言葉まで省略してしまっている場合があります。つまり「言葉足らず」な表現になってしまっている場合です。
どんでんに祭心の揺るがるる 一村葵生
作者としては「どんでん」というのは祭太鼓の音を指すつもりでいたのですが、句会のメンバーに聞いてみると「なんのことか分からない」という答が返ってきて、とても驚いたのでした。作者が自明のことと思っていてもそうではないということがあるのでした。そこでつぎのように祭太鼓とはっきり言う形に推敲しました。
どんでんと祭太鼓や魂ふるふ
先日、二○二四年五月二三日放送の「プレバト」の俳句で、名人梅沢富美男さんがつぎの句を出されていました。
新茶汲む所作ぎこちなき左利き 梅沢富美男
この句は「ガッカリ」で没となっていましたが、たしかにこの表現ではなぜ「所作がぎこちない」のかが分かりません。作者の解説では「急須」には右利き用しかなく、左利きの人が使おうとするとどうしてもぎこちない扱い方になってしまうということでした。作者としては「急須」は当然のものとして頭に浮かんでいるのでしょうが、読者にはやはりそれは明言してもらわないと分からないことです。そこで夏川いつきさんはつぎのように添削していました。「生憎」がにくいですね。
新茶汲む急須生憎左利き
ところで、言葉足らずではなくあえて言わない、伏せる言葉という場合もあります。
ふり向きし女に目鼻螢狩り 一村葵生
これはわたしの昔の句ですが、「のっぺらぼー」という言葉は言わずもがな、分かるはずの言葉として使っていません。それを言ってしまわないのが面白いところのはずなのですが、解説しないと理解してもらえないことがありました。また読者の反応として、のっぺらぼーでなくてがっかりというのと、のっぺらぼーでなくてほっとしたという両様の鑑賞があったのは、作者としては興味深いことでした。