■俳句の切れ字 2
代表的な三つの切れ字は江戸時代の俳句、たとえば『蕪村俳句集』(岩波文庫 1989)などを読むと、ほんとうに頁毎に頻出しています。「や、かな」の二つが多く、「けり」はやや少ない印象です。これら以外の切れ字としては、「ゆかしさよ」の「よ」とか、「ゆるせ」という動詞の命令形とか、「年くれず」の「ず」という打ち消しの助動詞とか、非常に限られています。
連歌の時代に十八の切れ字が唱えられましたが、それはつぎの十八の文字でした。
かな、けり、もがな、し、ぞ、か、よ、せ、や、れ、つ、ぬ、へ、す、いかに、じ、け、らん。
しかしこれらは時代によって四十にも、五十にもなり、芭蕉に至っては「切字に用ふる時は、四十八字皆切字なり。」と言っています。これは「切る」という意識が大事で、形式的な切れ字はなくてもよいと言っている訳で、ちょっと難しい話になってしまいます。
とにかく代表的な切れ字の三語について、その使われ方を確かめておきましょう。
切れ字は基本的には一句に一語とされていて、二つ用いることはふつう避けます。例外的に二つ用いられていて有名な句がつぎの句です。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
まず「や」の場合ですが、「や」は他の二つ「かな、けり」がほとんど句の終わりに使われるのと違って一句の途中で使われます。「や」の使われ方のパターンをみると、つぎのような場合があります。
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
これは典型的なパターンで、上五に「や」が使われ、下五が「水の音」という体言(名詞)で終わっています。このパターンは現代でも伝統俳句系の句には非常によく見られるものです。
山吹や水音高き疏水口 新谷亜紀
清明や稚に乳首を吸ふちから 西村千鶴子
中七の末に使われる例もたくさんあります。
紅さして娘らしきや知恵詣 北嶋八重
海蝕の崖の岬や鳥帰る 新本孝子
中七の途中に「や」が使われることも少ないながらあり、この場合は「句中切れ(くなかぎれ)」と言います。
万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男
炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子
その他、「や」の後に形容詞の終止形が使われるパターンもよく見受けられます。
痩脛や病より起ツ鶴寒し 蕪村(743)
退院の支への腕や暖かし 須藤範子
彦根城の天守のある郭には、つぎの蕪村の句碑があります。
鮒ずしや彦根が城に雲かかる 蕪村
「かな」が使われるパターンを見ておきましょう。「かな」は体言(名詞、代名詞)の後か、活用語の連体形の後に使われます。
たんぽぽの絮をかがみて吹く子かな 濱本美智子
リハビリの窓より仰ぐ青嶺かな 平岡百合子
このような一句の最後の体言(名詞)の後に「かな」が使われている場合が大半ですが、つぎの句のように活用語(形容詞)の連体形の後に使われることもあります。
髪切つて立夏の風の軽きかな 西向寺倫子
「けり」が使われるパターンにはつぎのような場合があります。まず動詞の連用形につく場合。
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
つぎに形容詞の連用形に接続する場合。形容詞に助動詞が接続する場合は形容詞の「カリ活用の連用形」に続くことになります。「佳し」の連用形は「佳かり」です。この場合の「けり」はたまたま「ける」と連体形で止められています。
祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子
また完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に接続する場合もあります。
祭すみ太鼓ころがしゆきにけり 細見綾子
つぎの例は、一見「けり」という助動詞に見えますが、じつは「動詞の已然形(飛びゆけ)」に接続した完了の助動詞の「り」という形になっています。
囀りをぬけて一羽の飛びゆけり 木坂弘子
代表的な切れ字の使われ方をみてきましたが、江戸時代の俳句ではこの三つがこれでもかというくらい使われています。したがって、現代のわたしたちからみると、これらの切れ字はいかにも俳句だという印象を与えます。それが「俳句らしい」というよい印象にもなれば、「古臭い」という悪い印象にもなります。おそらく若い人たちには「古臭く」感じられていることでしょう。わたし自身若いころにはそう感じていたと思います。
現在、口語(現代語)で俳句を作る人たちには、これらの切れ字はすべて文語(古語)なので、使いようがありません。「俳句の入口 1」で紹介した令和五年兜太現代俳句新人賞を受賞した土井探花(どいたんか)さんの「こころの孤島」五十句には一つの切れ字も見当たりませんでした。連歌の時代に「発句」が平句と区別するために必要とされた「切れ字」ですが、すでに発句は「俳句」として独立した存在になって百年以上経過している現代では、切れ字の存在理由自体が希薄になってきていると考えられます。
芭蕉が言っているように、「切字に用ふる時は、四十八字皆切字なり。」であって、「や、かな、けり」という切れ字は用いないものの、何らかの形で「切れ」を表すことが必要でもありまた可能でもあるのではないでしょうか。たとえば石田波郷は「や」の代わりに「の」という格助詞を使ったりしていました。しかしこれらの「の」は係り受けが不明瞭で曖昧です。
立春の米こぼれをり葛西橋 石田波郷
雁の束の間に蕎麦刈られけり 石田波郷
たとえばつぎの句のような動詞連用形の「切れ」は江戸時代の『蕪村俳句集』にはほとんど見られないものでした。動詞の終止形ではなく連用形を一種の「切れ」としていますが、今日ではこれらは俳句的な表現として定着しています。
廃校の山を燕の高く飛び 岩本貴志
五月来と祠の扉開け放ち 迫美代子
レイ作るクローバーの野に座り 井上千恵子
筍の土の匂ひも抱きかかへ 堀田ちえみ