俳句の入口 9 作句の現場 1 | ロジカル現代文

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■作句の現場 1

 

 ここではわたしが俳句を作っている実際の現場といえるようなものをつぶさにご覧に入れて参考にしていただければと思います。俳句を作る過程を自分の句で具体的に振り返ってみたいと思います。

 つぎの句は六月の句会に出したものです。

 

  炎日に色失へる炎かな        葵生

 

 この句はじつは五月に別の句会に出したつぎの句を推敲したものでした。

 

  炎昼や野を焼く炎色淡し

 

 この句に関して、ある人から感想をいただきました。「たしかに夏の日盛りの中では燃えている火が見えないときがあるというのはわたしも感じているのでいいと思いますが、『野を焼く』というところに何が燃えているのか具体性がほしいですね。」

 

 わたしの発見に共感していただけたということで非常に心強い言葉でした。じつはしばらく前からこの着想にこだわって何度か推敲していたのでした。

 

  炎昼に燃える炎の色うすし

 

 今まで「色うすし」「色淡し」などとしていたのでしたが、『蕪村句集』を読んでいてつぎの句に出合いました。

 

  手燭して色失へる黄菊哉      蕪村(631)

 

 「手燭」とは、室内携帯用の小形の蝋燭立て。この句の「手燭」と「黄菊」の関係は「炎日」と「炎」の関係と同じではないかと思われ、そこで「色失へる」としてみたのですが、これでやっと自分の着想が句として完成したと感じました。この句は誰の選にも入っていませんでしたが、主宰はこれを特選にしてくれました。さすがに主宰という人の選句眼を思わずにはいられません。しかしもし公的な俳句大会などで入賞したとしてもこれは「類想句」ということになって受賞はおそらく取り消されるのではないでしょうか。

 

 主宰は「炎日」は馴染みのない言葉だから「炎天」の方がいいでしょうと推敲をすすめてくださいましたが、わたしとしては「炎天」では焦点がぼやけてしまう気がするので、「炎日」のままにしておきたいと思っています。それにしても蕪村はやはり的確な言葉を何気に使っているものですね。「色失ふ」という表現を自分で思いつかなかったというのは、これが自分の限界だったということですが、しかしこういう言葉遊びを楽しめているということは幸せなことで、日本の平和に感謝するしかありません。

 

 ある上手な方に「作句の心得」を伺ったところ、つぎの二つを答えていただきました。

 

 一、  嘘は書かない。

 二、  借り物の言葉は使わない。

 

 これはじつに潔い言葉ですが、正直わたしにはどちらも守れないなと感じました。「嘘」の定義にもよりますが表現上自分の経験したことしか俳句にしない、というのでは世界が狭くなってしまわないかと思いますし、わたしなどは「色失へる」のように借り物の言葉でもよいからとにかく句の完成を見たいと思ってしまいます。しかし「借り物の言葉は使わない」というきっぱりとした覚悟がないと、なかなかオリジナルな言葉は生まれてこないものだということは分かります。

 

 ところでこの句は、「炎」が「炎日」によって「色を失っている」ということを句にしたもので、炎というものについての一つの「発見」が俳句のネタとなっています。俳句には「一物仕立て」と「取り合わせ」という二つのパターンがあって、この句では「炎」という一つの物に焦点を合わせた句なので、一物仕立ての句ということになります。そして一物仕立ての句においては、何らかのちょっとした「発見」のあることが「目が利いている」句ということになります。