2013年1月13日の記事、「論理的思考とは20『仮説演繹法・背理法』」において、「仮説演繹法」と「アブダクション」を同じようなものと考えていました。
しかし、この二つは単純に同一視できるものではないことが分かりました。
中野明著『超図解「21世紀の哲学」がわかる本』(学研プラス 2017)に、二つの違いを指摘している「仮説演繹法とアブダクション」という章がありましたので、つぎに引用します。
〈仮説演繹法は、あらかじめ仮説を設定し、その仮説から演繹的に観察可能な結論を導き出し、実際の観察に照らして正しさを検証する方法です。ルネサンス期の哲学者フランシス・ベーコンは、仮説演繹法という言葉こそ用いていませんが、演繹法・帰納法と並べて、仮説の重要性を説いています。
仮説演繹法では、まずは事実の観察を行い、そこに問題(疑問)を発見します。そのうえで、問題を解決できそうな仮説を立てます。
たとえば、科学者アイザック・ニュートンは庭で休んでいる時、たまたまリンゴの木からリンゴの実が落ちるのを見ました。ニュートンは過去にもモノが落下するのを見ていたでしょうから、この事実の観察とは帰納法による「観察」ともいえます。
ニュートンは考えます。なぜ、リンゴは横や上には向かわないのだろう。これは帰納的な観察から得た「疑問」です。この疑問に対してニュートンは、地球もリンゴも物質だ。物質が互いに引っ張り合い、引く力は物質の量に比例するのではないか。だから質量の小さいリンゴが落ちたように見えるのではないか」という「仮説」を立てました。
そしてこの仮説から、観察可能な結論を演繹的に考えました。リンゴを月に置き換えてみると、地球と月にも同様の力が働いていると考えられます。ニュートンは、月が同じ軌道を回るのは重力の影響ではないかと考え、やがて新たな仮説として「引く力は質量に正比例し、距離の2乗に反比例する」という、かの有名な万有引力の法則を導き出します。
ニュートンが採用した手法は、仮説演繹法を反復する方法だったといえるでしょう。
ただしここで注目したいのは、仮説そのものを設定する活動です。仮説演繹法は「いかにして仮説を発見するか」については、何も語りません。
この仮説設定の重要性に着目したのが、19世紀~20世紀アメリカの哲学者チャールズ・パースです。パースは仮説設定の活動を、アブダクションと称しました。
「リンゴが落ちた」「またリンゴが落ちた」という現象から、「あのリンゴもやがて落ちるだろう」と帰納的に判断できるでしょう。このように帰納法の特徴とは、どちらかというと自明の法則を同じ種類のすべてのものに適用する点にあります。一方アブダクションは、ある現象に対して一見自明とは思えない別の一般的な法則を適用する点が特徴です。
その際、観察した事実と仮説(仮の法則)の間には、「落ちるリンゴ」と「物質が引き合っている」のように、大きなギャップ、大きな飛躍があるものです。もちろんあまりにも突飛な仮説は机上の空論として一笑に付されるでしょうが、画期的な発見には、ほどよい飛躍、時に大きな飛躍がどうしても必要になります。
このようなことからパースは、アブダクションは論理化が困難で機械化が難しい活動であり、人間の創造性が発揮される活動だと考えました。〉
ここで中野氏が指摘しているのは、「仮説演繹法」は科学的な仮説を確証するための方法であり、一方「アブダクション」は仮説そのものを発見・設定する活動に注目するものであるということです。
以前の記事「論理的思考とは49『アブダクション2』」において確認したそれぞれの推論は、つぎの通りでした。
「仮説演繹法」
P⊃Q (P:仮説、Q:観測事実)
Q
P
「アブダクション」
Q
P⊃Q
P
アブダクションの推論に、上に紹介されているニュートンの万有引力の仮説を適用してみると、つぎのようになると考えられます。
ここにQ「リンゴの実が落下する」という観測事実がある。
それはP「物質にはその量に比例して互いに引っ張り合う力が働いている」ので、Q「地球という大きい物にリンゴという小さい物が引っ張られて落ちる」のである。
ゆえにP「物質にはその量に比例して互いに引っ張り合う力が働いている」のである。
つぎに仮説演繹法の推論としてみてみましょう。
P「物質にはその量に比例して互いに引っ張り合う力が働いている」のであるならば、Q「大きい物に小さい物は引っ張られる」のである。
ここにQ「大きいものである地球に小さいリンゴが引っ張られて落ちる」という観測事実がある。
ゆえにP「物質にはその量に比例して互いに引っ張り合う力が働いている」のである。
アブダクションでは仮説の発見・設定に注目するので、まず「観測事実」から始めるという順序になるわけです。
一方、仮説演繹法は科学的な仮説の確証のための方法であり、まず「仮説」を元にしてそれぞれ別の「観測事実」にそれを適用して確かめるという順序になるわけです。
実際「仮説演繹法」とは繰り返し行うこれらの手続きの全体を総称して呼ばれるものであるということです。