はい、
見送ったのは車。
にゃーんだ、
車か
とか言いましたか?
私にとって
まりまり号は
(車の名前です)
心から愛する、
私を長年見守ってくれて
猫たちを
病院や
旅立ちのときに
見送ってくれた
大切な大切な車なんです
マニュアル車で
エアバッグもついていない
とても古い車ですが
どんなに体調が悪くても
どんなに疲れていても
まるで手足のように
動かせる
相棒のような車…
そのまりまり号が
ギアシフトすると
3、4速のギアが抜けるように
ニュートラルに
戻ってしまうようになりました。
なので
3、4速のギアに入れた時には
手でずっと支えながらも
運転していました
修理も試みました
ディーラーにも
町の修理工場にも
部品はないか
部品がなくてもなにか
できるのではないか、
相談しましたが
打つ手がありませんでした
やがて
車検の時期が来てしまい
ギアが抜ける車は
車検を通過できない、と
言われました
私の一部を
切り取るような
深い悲しみと涙で
見送るしかありませんでした
私にとって
まりまり号は
一緒に猫たちを
支えてきた
同志のような存在。
でも
処分するのなら
きちんとしたディーラーに
処理してもらう方が
使える部品は
生き残る可能性もある。
ボディだって
ひょっとして
資源の
一部になって
別の機械に
生まれ変われるかもしれない
今どれだけ
SDGsが真剣に捉えられているかは
分かりません
でも
私が愛おしいからという理由だけで
動かさずに
もち続けても
それこそ
ガラクタにするだけ。
私本人も
あと何年生きるの?と
思っています
ですので
涙で見送りました
バカみたいですか
でも、私にとって
モノは単なるモノではない
全てが感情の一部を
切り分けて
そばにいてもらう
大切な存在だと思います
まあ、こういう人の家は
ごちゃごちゃ物が
ありそうだ、と思いますよね
そこは反省します
最後に
どうもありがとう
まりまり号。
おもに
ぼくらが
おせわににゃったにゃ!
ありにゃと〜
また会う日まで。