中野信子さんが、下記著書の中でこんなことを書いています。
駒場の時の思い出の白眉は、何といっても面白い人に出会えたことにある。
どうあがいても勝てない天才たち、努力の怪物のような秀才たち。
自分の性格はおかしいと言われ続け、本当におかしいと思い込んでいたけれど、もっとおかしな人たちがたくさんいる環境だったのだ。
これ、100%同意します。
大学に行って一番良かったのは、「自分が生まれて初めて『普通』だと思えた」ことです。
- 男なのに、運動(特に球技)ができない
- 男なのに、ピアノばかり弾いている
- 学校の勉強は全然やらないくせに、マイナー言語とか、訳の分からない勉強をやっている
- 両親の言うことも先生の言うことも基本聞かない。彼らが私に説教している時は、心の中で般若心経を唱えながら、ただ説教が終わるのを待っていた
田舎にいるとこれだけで批判の対象になってしまうのですが、あの大学には、
- 私以上に運動神経の悪い人
- 私以上にピアノや弦楽器が上手な人 ショパンのノクターンが弾けるくらいの人は当たり前のようにいます。英雄ポロネーズが暗譜で弾ければ、この集団でも「すごい」と言われるかもしれません。
- 何か国語もの言語が流暢に話せる人
- 般若心経どころか、色々な真言や祝詞を全て暗誦していた人
も普通にいたわけで、私が「普通」でいられる、またとない素晴らしい環境でした。
私が所属していたのは文系でしたが、サークルでは、理系で類稀なる才能を持つ人にも沢山出会うことができました。
- 数学オリンピックの世界大会に出場した人
- 母子家庭で都営住宅に住んでいながらも、地元公立中→筑駒→東大に至るまで、一切塾なしでストレート合格した人。しかも彼は、理科二類から医学部医学科に進学という、普通では絶対できない荒業をやってのけた。
不思議なことに、大学時代、自分よりも明らかに優れた人に対し、嫉妬の感情は全く沸きませんでした。
中高時代は、自分よりも1点でも点数が良い人がいるだけで、心がざわついたにもかかわらず、です。
平日は大学の講義を受け、一日おきにサークルとアルバイトに交互に行き、空いている時間のほとんどを大学の食堂か図書館で心穏やかに過ごすというルーティンに、私は心から満足していました。
こんな心穏やかな日々が一生続けばいいのに、とすら思っていました。
ただ、私は、このルーティンを過ごす以上のことを大学には期待していませんでした。
なので、大学院に残って研究を続けるという選択肢は、私には最初から存在しませんでした。
別に何か究めたい学術テーマがあったわけではなかったのです。
かといって、何か目指したい国家資格があるわけでもなく、結局サラリーマンとして就職するしかないのかな、という結論に至りました。
高校卒業までは、いつも自分が「余計者」なのではないか、どこの組織にも属することができないのではないかという意識、というか恐怖にさいなまされてきましたが、大学の4年間で、「サラリーマンになっても、ま、なんとかなるだろう」くらいの自己肯定感は身につけることはできたように思います。