あるブログで、何でも占いで決めようとする親御さんの事例が紹介されています。お子さんの志望校を占いで決めたり、あるいは志望校の方角が悪いから引越ししようとする、といった荒唐無稽な話です。
でも、この親御さんの気持ち、少しだけ分かります。自分で判断できない、あるいは判断に自信が持てないために、何か絶対的な基準に頼りたいのだと思います。
実は、かつての私がそうでした。
地方の「受験少年院」にいた頃、私は、ただただ東京の大学に行くことだけを人生の目標にして生きてきました。
大学時代は、多くの大学生がそうであるように、勉学・サークル・アルバイトの3点セットをそれなりに楽しんでいましたが、卒業後に自分のやりたいことが全くなかったのです。
苦労して大学に入ったんだし、あとは適当に就職して平穏無事な人生を送ればいいんでしょ?
特に取得したい資格とかがあるわけでもなく、卒業したら当然のように大手企業に就職するものだと思っていました。
実利を優先する地域と家庭環境に育ったせいか、学者や教師になるという選択肢は、自分の中には全くありませんでした。学者が多い妻の一族を見ていると、育った環境の影響は大きいな、と思います。
ところが、どこの企業で働きたいとか、どんな仕事がしたいというのが全くなかったのです。
そこで私が頼ったのが「占い」でした。
今思えば愚の骨頂ですが、自分の将来を誰かに決めてもらいたかったのです。
最初やったのが、デパートの占いコーナーのハシゴです。ところが、占い師のオバサン達は、私の生年月日を聞いた後で、それを本を見ながら生年月日それぞれの干支を書き写し、あとは適当なことを言うだけ。何人かのオバサンに見てもらいましたが、これで30分5000円は高すぎます。
これなら自分で勉強した方がいいんじゃないの?と思い、神保町で四柱推命の古本を買い、自分で占いの勉強をしました。
私の通っていた大学のクラスには、なぜか占いオタクが何人かいたので、色々と教えてもらいながら勉強しました。
もう最近はやっていませんが、私が自分で占った方が、デパートのオバサンよりは当たると思います(笑)
某有名ブロガーの東大卒の家庭教師の先生も、かなりの占いマニアのようですね。この先生が得意なのは、四柱推命ではなく占星術のようですが。
正確な干支はインターネットや本をみないと分かりませんが、生年月日を聞くだけで年月の干支はある程度分かるので、それで性格のパターンは特定できます。
というわけで、占いはある程度勉強したのですが、「絶対的な基準」を獲得するまでには至りませんでした。
次にやったのが、自称霊能者のハシゴです。
注)大半はインチキです。絶対に真似をしないでください。
一時期、バイト代の大半がこのハシゴ代に消えました。
霊能者のハシゴが怖いのは、多くの場合、宗教勧誘を受けることです。私も、危うく怪しげな宗教に嵌りそうになりました。
その宗教に嵌らずにすんだのは、「般若心経を唱えると地獄に落ちる」と言われ、興醒めしてしまったからです。
幼い頃に祖父から教えてもらった般若心経を唱えると地獄に落ちるなんて、私には到底受け入れられなかったので。
その後で私がやったのが、独学での「宗教研究」でした。
当時の私は、合唱団でキリスト教の賛美歌を歌いながら国内外の教会建築を見る一方、暇さえあれば神社仏閣や仏像をも見たり、祝詞やお経に関する本をも読み漁る、かなり変な学生でした。
注)私の大学の専攻は、宗教研究ではありません。
私なりに出した結論は、「絶対的な基準なんて存在しない」ということです。
判断すべき基準は、結局は自分の中にあります。判断することを他に委ねてばかりいると、自分で判断ができない人間になってしまいます。
私が若い頃フラフラしていたのは、自分で判断する能力を中高時代に養ってこなかったことにあると思っています。受験勉強以外の勉強を怠ると、判断能力がなくなるばかりか、人生を踏み外す危険があります。
私が大学生の頃、大学構内で、オ○ム、統○教会、幸○の科学などの宗教勧誘が盛んに行われていました。
それに嵌ってしまい、道を踏み外した人を数人知っています。
私の大学の同期で、駿台・代ゼミ・河合の東大模試で全国トップを総舐めにし、理三をトップ合格したと噂される有名人がいましたが、上記のうちの一つに嵌ってしまい、消息が分からなくなったと聞いています。
自分の子どもには、私のようにエキセントリックなことには興味を持ってほしくありませんが、今後の受験勉強や中高生活で、自分で判断できる力を身につけてほしいと思っています。