なるほど、他人の人生のライフストーリーなど興味ないかもしれません...しかも、一般の普通の人のライフストーリーをどうして愛読するの?

 それは...、それは気づき、目からウロコの体験、理解と共感のきっかけの宝庫だから。

自分と同じようなライフストーリーの人もいる、まったく違う人もいる、人生の山あり谷ありをわたしと同じように不器用に健気に生きてきた人たち。、

私だけじゃないんだ。こんなに沢山の人たちがいる!

 

 

前回の幼馴染とのエピソードはこちらからぜひっ♫

https://ameblo.jp/gemini-ruby38/entry-12393500746.html

 

 

今日は私の家族構成と育った環境について紹介したいと思います。(4歳〜5歳のエピソードは次回にします🙏)

 

⚪︎父親 76歳  岩手県水沢市出身 家業は農家 次男(兄と妹二人)四人兄弟   青春は野球 お祖父さん大好き 野菜作りが上手  人前に出るのが好き マージャン🀄️大好き 実は絵心がある(風景画が上手 )現在も元気にお酒を飲み遊び、ボランティアに励んでいます。


お祖父さんのすすめで商業高校に通うことになる。(本当は工業高校に行きたかった)

岩手の会社に就職が決まっていたが、親に内緒で大手建設会社を受けに仙台まで行く。(おばあちゃんのエプロンのポケットから500円玉を拝借したとのこと...。)

試験に受かり、親の知るところとなり、最終面接?の時には、お祖父さんの根回しがあったのではないか⁉︎ めでたく就職が決まる。岩手から横浜へ出てきてかれこれ、60年です。

お国の言葉が抜けてしまい、もう喋れないようです。(抜け切らない人もいるのに、、)


⚪︎母親   享年61歳 東京生まれ山形育ち  兄ひとりの2人兄妹 

 趣味、過去帳を見ること  若い頃は目玉焼きと卵の🍳🥚料理しかできなかったそうです。いつも少しふくよかな体型

 戦争でお祖父さんが亡くなりお祖母さんも体が弱く母の幼い頃に亡くなったため、母方の実家の山形に身を寄せることになる。ひいおばあちゃんに育てられる。山形ではばばちゃと呼ぶ。

母は生い立ちや自分の昔の話を全くしない人だった。その前に亡くなってしまった。母親の話を聞いてみたかった。

結婚をしてばばちゃにひ孫を見せてあげられた母は幸せだったと思う。

母方の実家は江戸時代から代々続いている家で、現在の当主は16代目とのことです。すごいことに思います。




⚪︎叔母  (父親の妹)享年65歳

私の幼い頃の数年間を同じ家で暮らしました。よく私のことをお風呂に入れてくれたそうです。大きくなり、親戚の集まりでその話題を散々聞かされました。記憶のないところで大変お世話になったことをを知るのは、うれしやら恥ずかしいやら。



昔は、昭和の初めころは、家族だけではなくて、居候の親類縁者と一緒に住まうことが多かったようです。

父親も妹を引き取り一緒に暮らす約束で、お祖父さんから横浜で家を購入する資金の援助を受けたそうです。

それまでは、会社の倉庫のような物置のようなところに母と2人で暮らしていたとか、、。

私が生まれる頃には、庭付き一戸建てに住まうことになるのですが、後から気づいたのは、父親の実家のミニチュア版のような庭の家でした。全てお祖父さんが采配してくれたのでした。




⚪︎妹 享年43歳  背高く 足早く テニス🎾部。

いつも母親と納豆うどんを食べていた。(私は好きじゃなかった)

結婚してから本領発揮、料理もお裁縫も家事全般上手です。

オシャレも上手くなりました。

私の2つ違いの妹。顔も性格も体型も全く似ていない姉妹でした。声だけはそっくりとか。

妹とは、趣味嗜好もぜんぜん違ったので、2つしか違わないのに、ずいぶん青春時代を遠い関係に感じて過ごしました。それでも子供のころは、母の趣味で双子のようでした。色違いの同じ洋服を着せられてる姉妹。 お揃いの靴、お揃いのコート。

私は、ある時気づきました。お姉さんで在ることを妹に無意識に威張っていました。なんでも妹よりも出来るお姉さんでなければと、、。

大人になり、妹がいかに我慢していたかを聞かされた時には、本当に申し訳ないと思いました。が妹はすでにこの世の人ではなくなってしまいました。なんだ、そうだったのかと、これからいくらでも理解できたのに、仲良くなれたのに、旅行にでも、積もる話でも出来たのに、。

妹の早すぎる死に私も父親も苦しみましたが、それでも時が癒してくれるものなのだと実感できるまでになりました。残された家族に私はこれから何が出来るのだろうと、そのことをあきらめずにいようと思います。


⚪︎私 長女 永遠の38歳  

名前の「和」はお祖父さんが名付けてくれました。戦争を体験したお祖父さんの平和への願いが込められているように思います。名前の説明の時には、いつも平和の和ですと言いました。

小児喘息のため、幼い頃から母親と病院巡りをしていた記憶がある。大人しく目立たず、引っ込み思案な子どもの頃。今もたいして変わらない私だけど。

幼少期の強い薬の影響か、大人になりアトピー性皮膚炎を発症する。

私はダメダメだ!との想いを持ちながら大きくなる。変わらなければ、変わりたいと思い続けていた。そして皆と違う私というアウトサイダーな立ち位置に悩みつづけていた。

現在、今、ありのままの私であることを、大丈夫だと許す、自分を許すことを練習中です。



長文になりました。。

思い入れ深く、家族...

お付き合いくださいましてありがとうございます。

気持ちを文章に書き記せましたことを感謝します。

ありがとうございます。


4歳〜5歳のエピソードへ    つづく