オレに居場所なんて無かった | 長岡ライブハウス大作戦

長岡ライブハウス大作戦

新潟県長岡市のライブハウス「ライブハウス音楽色堂」店長兼、ダイニングバー「音楽食堂ZERO」スタッフ /
小林大輔BAND ドラム

産まれる前から父はいなかった

朧げな記憶に優しいお姉さんと平屋の借家

顔が思い出せないけど、きっと優子姉さんではない

小五の頃、夕飯作りながらお母さんが言った

兄ちゃんはお父さんと血が繋がってないんだよ

本当のお父さんじゃないんだよ

麻里はお父さんとの子で

兄ちゃんはお父さんとは違う人との子なの

義徳にはお姉さんがいるの

義徳は宮本のじいちゃんが付けてくれた名前なんだよ

記憶が蘇った
お父さんとお母さんの結婚式でツルばぁちゃんに甘えてた
上除の平屋に来たまだお父さんじゃないときのお父さんとツルばぁちゃん

ばぁちゃんが言ってたな

こんなに俺にぶら下がって来る子を不幸にさせるわけにはいかねっけお前達結婚すれいや!
って言ったがぁぞ

だぁすけんなはウチん子になったがぁて

最初にオレに居場所をくれたのは
ばぁちゃんとお父さんだった

でも反発した

悪い事たくさんした

留置所で夢をみた

ばぁちゃんが車椅子に乗ってて
オレが先に行こうとすると寂しげな顔して何か言いたげだった

翌朝お母さんが面会に来るなり泣いてた

ばぁちゃんが玄関で転んで骨折して
きっともう歩かんねえかも知れない

足の弱いばぁちゃんの通院はオレの役割だった

人生で一番泣いた

シャバに戻って昼も夜もなく働いてた頃唯一8月13日からお盆休みがもらえた

ばぁちゃんが8月13日に死んだ

祭壇に誰もいなくなったとき

また人生で一番泣いた


バンドをするようになって

仲間が出来た

本当の仲間が

守りたいと思った

誰かにお前は此処にいても良いんだよって言って欲しくて

昔バンドから逃げた

音楽を捨てた

金髪のロン毛は悪い事たくさんした

今更おめおめと戻ってきてしまったけど

仲間と音楽は許してくれた気がした

音楽食堂はオレにまた新しい居場所をくれた

由佳さんは会う度にオレにこう言った

ヤマちゃん、兄さんをお願いね

亡くなってからもその言葉が頭から離れない

あの日、ばぁちゃんとお父さんが損得感情ではなく
ただ目の前にいる無邪気に懐いて来るオレに大きな愛でオレに居場所をくれた様に、自分が正しいと思うことをしようと思った火災の夜

そこには仲間がいてくれた

みんなでまた再建出来ると思った

16周年祭、幸せに思った

大好きな人達、信じれる人達の音楽に囲まれて

オレには居場所があるんだ

あぁ、そっか

お母さんが独りでオレを産んでくれたのは

オレに生きて欲しかったからなんだ

ありがとうお母さん

お母さんにいただいたこの生命

オレの目の前にいる愛すべき人達のために

燃え尽きるまで燃やし続けねば

オレが正しいと思うことを懸命に


上手く書けないけど書きました。