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私は、正直、仏像の背景にある歴史とかにはあまり興味がない。

美術展に行っても、途中にある文字を読むのは非常に億劫なのです。

だから、美術展に行ったときは、かなり特殊な見方をします。

まず、好きな仏像を探します。書物系は殆どちゃんと見ません。

それで、自分の好きな仏像を見つけたら、じーっといろんな角度から見て、好きなところ(角度や箇所など)を見つけ次第、20~30分近く堪能します。

ちなみに、この前行った「空海と密教美術展」では、増長天立像が気に入って、30分近く背中を見ながら、「こんな背中の親父になりたいなぁ」とか、顔を見ながら、「歌舞伎役者みたいでかっくいいな!」とか思ってました。

人によって見方は多様でいいと思うのです。

美術展において、新規顧客を獲得する方法は、多様な美術展を開催する方法と、その美術展自体に多様性をもたせる方法の、2通りあるのではないかと考えます。

前者はよく見られる手法だと思います。今じゃドラゴンクエスト展が開かれるくらいですから!

しかし、後者を意識した美術展は見当たらないように思います。

何故なら、今の美術展は、企画展という位置付けで、一つのテーマに基づいて一つの見方を提供するものだからです。

特定のカスタマーの特定のニーズを満していくのが普通のマーケティングの手法であるとは思いますが、子ども向け、女性向け、玄人向け、初心者向けなどのコーナー、音声ガイド、グッズ諸々があっても良いのではないでしょうかね。

(さらに、上野のような美術館が並立されている場所ならば、それぞれの美術展がターゲットに副次的な要素の中で多様性を持たせることで、戦略で言うシナジーのようなものを期待出来ないでしょうか。(上野の美術館一帯の経営方法との兼ね合いもありますが))

展覧会市場(仮)の利点の一つは、ファンの持続性です。一度ファンにしてしまえば、高齢まで利用する可能性が高い。つまり、カスタマー一人当たりの単価が長期的には高くなる。
この点からも、一つ一つの美術展に多様性を持たせ、その多様さでカスタマーの様々な好奇心を掘り起こすことは、価値を持っているのではないかと考えています。

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大学の演劇学の授業で、『アガメムノーン』を鑑賞(大抵は観賞しているだけなのだが笑)していたときのことだ。
限りある時間なので、妻が夫を殺す場面の前後を部分的に鑑賞した。

ところが、殺しの場面は舞台上では描かれず、死んだ夫と、夫殺しに使われた斧を持った妻が現れ、その妻の言葉で、夫を殺したことがわかるだけなのだ。

しかし、演劇的には、これもリアルになるらしい。

普通、私たちがリアルだと思っているものは、目に見えるもの、つまり、視覚的なリアルである。

しかし、ギリシア演劇において、リアルとは、むしろ言語的なリアルの方が衝撃的に捉えられていたというのだ。

私は、リアルとは何かという問いがあったとすれば、これを知るまでは、視覚的なリアルだけを考慮していただろう。

このように、自分が当然だと思っている事柄について、もう一度考えてみる「そもそも論」の大事さを実感した体験だった。




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私は、グリーやモバゲーをはじめとするソーシャルゲームの類が嫌いだ。

嫌いというからには、今回は主観的な方面に限って言及しようと思う。

嫌いな理由は、大きく分けて二つある。

まず一つ目は、やり終えた後の虚無感だ。
これは、実体験に基づくものである。
私も一時期、時代について行こうとモバゲーを1ヶ月ほどやっていたことがある。
コンテンツは、うる覚えだが、怪盗ロワイヤル、戦国ロワイヤル、あとはこれらと同じ類の海賊版であったと思う。
とにかく単調。内容はないようなものだし、そこに面白さはない。というか、制作者の制作意図は、そこにはない。
内容がない時点で、作品性はない。
作品性がない時点で、コンテンツとして価値はないし、無駄な時間を費やしただけだった。
退会する時に感じたのは、虚無感だけだった。

二つ目は、上でも触れたが、制作者の制作意図が、ユーザーを楽しませる、満足させる内容にするというところにないことだ。
それが言い過ぎなら、ユーザーを楽しませることが二の次になってしまっていると言っても良い。
では、その意図はどこにあるのか。
自明だが、どうやってユーザーにお金を使わせるかだ。
制作における最大の目的が、ユーザーを課金領域に引き込む内容にすることになっているのだ。
このユーザー想いではない態度が嫌いなのだ。
もう少し言わせてもらえるなら、作品性のないゲームが頒布されることで、スクエニやカプコンや任天堂が作り上げて来た、日本のゲーム文化に泥を塗ることになると考えるからだ。

作品とは何かという解釈や、ソーシャルゲームの捉え方、企業としてのソーシャルゲームの制作方針などの相違によって、反論はいくらでも出るだろう。しかし、今回はとにかく嫌い!ということに終始してみた。



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昨日、品川駅構内で、衝撃的な広告を見つけた!

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人が広告の中に入っているのだ。生きている人が。

大学で演劇を学んでいて、広告が好きであるにも関わらず、この発想はなかった。

久しぶりに広告を観て感動させられた!!
素晴らしいものを観ることができて幸せ。。



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僕はとにかくカタカナの人の名前を覚えるのが苦手です。

マイケルジャクソンとかスピルバーグとかのレベルならすんなり頭に残るのですが、とにかくカタカナの役者や監督の名前が覚えられない。

競走馬の名前なら死ぬほど覚えているんですけどねー。。

ただ、それでも何も困ることはないと思っていました。

しかし、困ることはあった。。

今、研究対象が映画なので、なるべく多くの映画を観ることにしています。

タイトルで気になったものを主に借りて観るのですが、とにかくハズレが多い。。
感覚としては、60%くらいの確率でハズレています。

パッケージのウラ側を見て判断もできるのですが、今のものはかなり精巧な作りで、ピンとキリを見分けられない。

これの対処法として考えたのが、監督や役者から判断する方法。

良作を一本でも出している監督の映画なら、外れる可能性も低くなりますし、演技派の役者が出ている映画なら、内容がダメでも、観ていて損をする確率は減る。

しかし、この方法を編み出したところで、カタカナの名前を覚えるのが苦手な自分には、使えるものではなかった。。

馬の名前だと思って覚えますわ。。


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