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  川代洋二博士は彼らとの決別の記憶にじくじたる思いを抱いたのだろう悲痛の滲む声質で語り続ける。
 自身の罪状を全世界へ向けて赤裸々にするのだ。
 おそらくは地球世界に安寧をもたらすための行為が、決意が、結果として修復不能の大惨事をもたらし、その惨禍は今もなお猛威を振るい続けている。
 慙愧に耐えないという思い以外の何を抱けるというのか。
 ならば、もし仮にあの、かつての同胞達の主張を選択していたならば。
 「タウリン達の主張は神祇官の再起動を断念し、アルマテススおよび月の再軍備を諸地球連合の在来技術によって行い、地球世界と断絶し一時的な孤立を享受しつつ、その間に月科学都市主義を盤石なものへと昇華させ、その後、地球世界と軍事的政治的に対峙するというものだった。地球の遙か高みの月に数世紀未来の技術で確立された超先進世界が出現するのだ。しかも数世紀後襲来する宇宙的脅威から地球世界を救済する術を携えて。恐ろしいことに、その新たなる月世界勢力は地球世界の倫理に束縛されることなき科学の探究を許された新天地なのだ。その月が栄誉ある孤立を宣言し、かつ地球世界に君臨する影の支配勢力の存在を白日の下にさらし良識ある人々に自浄を促すのだ。月と戦うか、それとも古き勢力を排斥し月と和合するか、どちらの道を選択するのも地球の人々の自由意志だ。そして地球世界が月委員会を含むアルマテススの末裔達の支配を拒絶する意思を明確にしたならば、その時初めて月は持てる軍事力、科学力を行使し、参戦し、その高邁なる思想を掲げ地球世界を先導する・・・」
 川代博士は深く嘆息した。
 「強大な軍事力と科学力、そして崇高なる月科都市主義を頂く聡明なる人々による地球世界の領導だと・・・」
 そう言って、足元に置いた拳銃へと視線を落とす。
 「ああ、確かにご立派な青年の主張だったさ」
 今そうした言葉を吐き捨ててみせる自分自身を堕落した汚らわしいものなのだと自嘲するかのような薄笑いを浮かべる。
 そして顔を上げ。
 「それで地球世界が諸手を挙げて大歓迎するとでも思っていたのか」
 侮蔑に満ちた眼差しだった。
  「いずれにしても待ち受けているのは地球近傍全域を巻き込む大戦争だ。我々の主張とどこが違うというのだ。どこにでもいる良心的妄想に取り憑かれた愚か者達ならともかく今日まで我が世の春を謳歌していた地球の支配勢力がそんな理想主義を容認するはずがないじゃないか。そもそもタウリン達が標榜していた月科学都市主義は、いかなる形で取り繕っても月による地球世界の専制的統治に他ならない。あの愚か者達はデータコアのレベル1を獲得したことで自らを神とでも錯覚していたんじゃないか?選ばれた我ら8人こそが諸地球連合世界の意志を継ぐ者として地球を統治するのだと公言してはばからなかったから。そんな選民的な連中が行き着くのは専制的全体主義だ。地球各国の指導者達も当然そう受け止めるだろう。そうなれば何が起こるかは明白だ。地球世界で萌芽するのは無邪気な理想主義者と既得権益を守ろうとする支配者勢力の対立による分断だ。それも世界規模でアルマテススの末裔達につく勢力とそれに反旗を翻した勢力とを二分しての新たな世界大戦にエスカレートするに決まっているし長期化も避けられないはずだ。タウリン達はただ動機を投げつけるだけだ。あなた達は搾取されていると、我らに従い新たな理想世界を築きましょうと遙か高みの月から訴えたところで、あいつらはそれこそ高みの見物で俺達私達が血みどろで争い合うのを観戦していただけという傍観者扱いされるに決まってる。それくらいなら最初に松明を投げ込んで火を付ける役に回った方が良いじゃないか。一緒に戦って地球世界の正常化を果たした戦友として認められる方が余程ましじゃないか。しかしそれをE0が、アース・ゼロできたのは神祇官の存在があったからだ。たとえ我々がレベル1のアクセス権を与えられ、この世の理すべてを、森羅万象すべてに及ぶ知見を得たとしても所詮は人だ。神祇官に比類する存在になどなれるわけがない・・・それなのになんなんだあいつらは・・・それでいてあいつらは・・・性根の腐った青年将校そのものじゃないか」
 そこまで言って川代は自身の話が本筋から乖離しかけていることに気づき、深い溜息を吐いてしまう。
 「すまない、個人的な恨み言を並べてしまった・・・」
 俺だって人としての限界があるのだと、醜態を見せたことを悔やみながらも、それでも川代は語り続ける。
 「弁解がましくなるが・・・我々が当初計画したのは穏やかな変革だった・・・あなたたちにどの口が言うんだと罵倒されるのは覚悟の上だが・・・神祇官再起動の経緯はレベル1のアクセス権を得た我らの知る所となったがあれは事故だ。我々は諸地球連合世界で発生した神祇官再起動に至る中央制御室での再現を企図し、すでに分岐を生じている時間軸の軌道修正を図ることでそれは自然発生的なイベントとして我々の期待に応えてくれるはずだと主張したが、タウリン達はそのような希望的観測にすがるなど論外だと取り合わなかった。現状のアルマテススの諸地球連合由来戦力のみで地球世界の全戦力を凌駕するというのに、なぜ神祇官に拘るのかというのが彼らの主張だった。我々の世界が時間軸の分岐を招いたとしてそれがなんだというのだ。仮にそうならば、むしろ新たな歴史を刻み、この世界の栄華を謳歌すれば良い。諸地球連合も新しい秩序の元に成立させれば良いし、必要ならゲートを開くごとにあの国を滅ぼし民族浄化を敢行すれば良いではないか。もちろん禁忌すべき行為ではあるが、あの連中に関して言うのなら当然許容される。イファッド召喚の引き金となったあの愚かで醜悪な自尊心に自らを堕落させた亜人種共を駆除することで忌まわしいイファッドの惨禍すら回避できるしアンゴルモアがなんだというのだ、すでに我々は縮退技術を獲得している。あらゆる知見を駆使できる。恐れることはない、対処できると」
 そうして川代は何度目かのため息をついた。
 「私達は月と同化した者達の脅威についても訴えたが、彼らは取り合わなかった。そもそも我ら8人は諸地球連合世界の、E0の人々が月で体験したすべてを知り得ているのだから、あの幽霊達が悪意を抱き我らに害をなそうとしても対処するのは容易だと、もはや未知なるものではなく月特有の自然現象の一形態だと捉えれば脅威ではないと主張した。単なる月の風土病だと認識し、疫病として根絶の術を探求すれば良い。何も月の量子的再構築などと言うレベル1のアクセス権を頂く我々にも容易に理解できない神祇官の非現実的アプローチに救済を求めるのは論外だと・・・」
 そして川代は初めてこれまでとは異なる恐怖の色を浮かべた。
 「我々は討議を重ねた。どこかに妥協を見いだすことができないものかと一縷の望みを抱きながら・・・しかしその過程で我々はタウリン達に対し疑念を抱くことになったんだ」
 川代洋二博士の声がかすかに震えている。
 「もしかして、タウリン達は月と同化した者達の虜となってしまっているのではないかという可能性に・・・」
 悪夢としか形容のし得ない現実に直面した当時の記憶を呼び覚ました川代の顔には明らかな戦慄と悲壮が浮かんでいた。
 「なぜ最も合理的で、経験則として確実に実現可能な月の量子的再構築にあの男達があれほどまでにあからさまな拒絶を示すのか、初めのうちは私も、それが神祇官の存在を前提とするものである以上希望的観測にすぎない論拠を拠り所に地球世界へ松明を投げつけるのかという、ある意味常識的な推論からもたらされた反論ではあろうと理解していた、いや理解しようと努力していた我々だったが、反面、月と同化した者達の浄化が確実に実行される月の量子的再構築を否定しているにもかかわらず、それに代替するソリューションを提示すること頑なに拒む彼らの主張はむしろ神祇官の再起動を阻止するための、結果的に月と同化した者達の存続を保障するための、こういう言い方をして良いものかどうか躊躇してしまうが、それでもやはり我々には彼らが月と同化した者達の代弁者のように見えてしまう。しかし、さすがに我々のそうした懸念を明らかにすることは躊躇われた。いくら何でも同胞にそのような疑念を抱いてしまうなんて・・・それでも我々は打開策を見出すことに努めた・・・クレイスの本隊が到達するまでに残された時間が少ないことを悟った我々は最終手段として実力でタウリン達を排除すべきとの結論に至った。我々はデータコア内に、タウリン達には秘密の仮想世界を構築して議論を尽くしたが、すべては遅きに失したのだ・・・我々は逡巡を重ねてしまった・・・我々はあくまでも科学者、技術者であり軍人ではない。争いなどとはまったく無縁の者達であったのだから・・・タウリン達はクレイス本隊の霊廟出立の報せが届いたその日に姿を消した。レベル1のアクセス権を得た彼らには覚醒間もないアルマテススの保安システムを欺瞞するなど造作もないことだ。そして私達は彼らの追跡を断念した。いずれにしても我々はアルマテススの神祇官とインフラツリムラを除く全システムを掌握しているのだから、あの連中に一体何ができるのだという気持ちでいたし、それよりもまずアルマテスス調査を指揮するクレイスと月委員会の監察官への対処に忙殺されていた我々は、彼らがいずれ月のどこかで我々とは異なる思想と手段を掲げその存在を明らかにする道を選んだのなら、それを享受すべしとの結論に至った。我々にとってタウリン達は、レベル1のデータコアアクセス権を獲得した盟友なのだ。それに、我々の選択した手段が唯一の正解とは限らないのだ、決して。ならば、タウリン達が萌芽させようとしている我々とは異なるソリューション・・・そのようなものが本当に実在し、彼らがそれに成功するか否かは別として・・・その芽を一時の感情に任せて摘み取る愚行だけは避けるべきだと。将来的に対立するか和合するかは、その時に考えれば良い。今は双方が為すべきを為すしかないというのが我々の結論だった。八乙女も我々の決断を容認した」
 川代博士は足下に転がる男の遺骸に視線を落とした。
 「そうさ・・・たとえ月の亡者達に取り憑かれたとしても、あいつらは友人だったんだから・・・」


 


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