佐川主席調整官は東屋一佐の習熟ぶりに思わず感嘆の呻きを漏らした。
なるほど教え甲斐のある生徒ではある。
もともと月花や麗月でもプラズマ軍刀・・・こちらのそれとは雲泥の性能差があるわけだけど・・・でエドルと戦う状況もあるから航宙特戦群の兵達も例外なくセモードでの剣術に修練しているわけだが同型機同士での剣術の応酬は、それも半自動モードでの剣戟では操縦者独自の剣捌き体捌等の癖が反映され太刀筋の予測が困難になるわけで、その分神経を磨り減らすことになるのだ。
はたしてここまでやりこむ必要があるのかと佐川は思わず自問してしまうが、自動、半自動モードが機能喪失した際の危機対応だと考えることで迷いを棄てる。
この模擬戦は、東屋一佐の技量を磨くためでもあるがそれだけではない。
・・・この模擬戦のデータはリンクしている・・・
・・・剣戟に際しての基本データだけではだめだ・・・
・・・さらに教え込まなければ・・・
佐川は決意していた。
・・・あのはぐれ者のリンクは途絶している・・・ならばこそ・・・
危険なまでに近接し斬りかかる東屋からの太刀筋を佐川は巧みに受け流す。
在来型セモードを遙かに凌駕する諸地球連合企画の人型機動兵器が現在彼ら彼女らの地球世界で開発が進行している新型セモードそのものではないかという東屋一佐達の抱く疑念も、このトリスタンの操縦訓練を開始したことで、よりによって佐川がトリスタンの操縦技術を獲得していることで、やはりそうなのだと確信したことだろう。
佐川がそれを提案した時の部隊の人々の反応は様々だった。
何であんたが?という不可解な顔を見せた者が大半だった。
もしかしてあんた、ここにトリスタンがあることを知っていて、こいつを地球に持ち帰るために俺達をここまで引っ張り込んだんじゃないだろうなという不信を露わにする者さえいた。
このアルマテススの中心に到達するまで幾多の困難を共にしてきた佐川への信頼が大きく揺らいだ瞬間でもそれはあったのだ。
あの時、佐川はそれも目的のひとつではあったと自身のうちに秘めていた事実を明らかにした。
決してすべてをというわけではないが。
佐川主席調整官は語ったのだ。
地球世界で開発途上にあるトリスタン、日本側呼称「煌月」はこのアルマテススに存在するそれと同一のものであり、これをア号部隊の戦力として徴用することも、可能であればこれを地球に持ち帰ることも使命のひとつであったことを皆に告げたのだ。
アルマテススの全容を知るべく、あるいは可能であればアルファ基地のメインフレームを汚染しているウィルスを駆除するという作戦目的の付随的使命であることはもちろんのことだという断りも入れたが、それで佐川への不信が払拭されるわけでもない。
暗澹たる空気が流れた。
そもそもここにトリスタンがあるということを知っていたのなら、アルマテススのシステム復帰など既存のワクチンでどうなるものでもない、手の施しようがないということもわかっていたはずじゃないか。
とんでもないペテン師だという心証を、たとえ誰もが口にはしなかったとしても心中激しく佐川を罵り罵倒していることは疑いを持たない。
しかし、そうした人々を、たとえ不承不承であれ任務に邁進させるのが佐川の使命なのだ。
その結果がまさしく弾は前から飛んでくるとは限らないの言葉通りにならないとも限らなかったが、そこをなだめすかしながら上手くやるために主席調整官という大権を与えられているのだから。
さてどうしたものかと心中穏やかではなくなった佐川に救いの手を差し伸べたのは意外なことに高富博士だった。
あのいつも不平たらたらで嫌味と奇行の見本市みたいな・・・もちろん学術班の逸材ではあるのだけど・・・高富が言い放った第一声は「あんたも貧乏くじ引いたもんだなあ」という怒りとも同情とも付かない大笑いだったから佐川も感謝する以前にお前何言ってんだと襟首掴んで縦に揺すってやりたくなる衝動に耐えなければならないほどに怒り心頭に達したわけだがあちらはあちらで計算ずくだったのかもしれない。
「まあ、月委員会のお偉方から無理難題言いつけられた駄賃代わりにシャサラstrategic high ancient subject analyze research association 戦略的高古代対象分析研究組合あたりからトリスタンをかっぱらえって言いつけられちゃったんだろう佐川さん」
佐川は答えに逡巡したのだが、高富博士はさらに言葉を続けた。
「月委員会の連中だけじゃなく、ここにゆかりのある奴らならトリスタンが何処かに転がってるくらいの記録なり伝承なりがあったって不思議じゃないさ」
高富が意地悪げな笑いを浮かべる。
「シャサラだけじゃない。連合宇宙軍だって重力子技術で確立された新機軸のセモードに興味津々だったって思うぞ。だから、どこからそんな話がわいても不思議じゃないし、あんただって断り切れるものじゃないだろうさ、主席調整官って役職もあいつらお偉いさんの前じゃ吹けば飛ぶよなモブキャだからな」
そう言ってから真顔で佐川に尋ねる。
「こいつでドンパチやらかしてここから脱出しろって算段でもあったんじゃないか?何処かのお偉いさん達はさ。でなけりゃこんな片道切符の作戦なんざ成立しない。東屋さん達はもちろん決死の覚悟でこの作戦に臨んだんだって事はわかってるつもりだ。もちろん俺達だって・・・ああ俺くらいかな?こんな面白い科学的探求の機会に恵まれたら行かない訳にゃ行かないって気持ちで参加しちゃったのはさ」
「ちょっと高富さん」
あんた何偉そうなこと言ってんだとばかりに上川燈子博士が止めに入るが何人とて高富の言いたい放題を押しとどめることができないのは明白だ。
「いいじゃないの燈子ちゃん」
馴れ馴れしく高富が下卑た笑いを浮かべる。
「そろそろ誰も彼もが自分に正直になっても罰が当たらないくらい俺達ゃあ崖っぷちに立ってるんだからさ」
「それはたしかに、まあそうですけど」
高富のそうした態度が稚拙極まりない猿芝居だと見抜いている上川博士が、こればかりはその通りだと認めはするが、さすがに面白くないようで唇をきつく真一文字に結んでみせる。
「まあさ」
高富は佐川を取りなすように口調を変えた。
「佐川さんにだって守秘義務ってやつがあるんだからしかたがない」
そう言って佐川へと視線を向ける。
「さすがにみんなが棺桶に片足突っ込んでるこの段階でも頑なに月委員会だかシャサラだかとの誓約を固守してるのは面白くないが、これもやっぱりしかたがないよな。なにせ天下の上級官僚様だ」
「いやちょっと、さすがにそういう言い方は」
いくら何でも無礼過ぎるだろうと東屋一佐が止めに入るが高富博士はお構いなしだ。
一方の佐川主席調整官も無表情で沈黙を守っているが、周囲の者達がそうした居心地の悪さを感じる暇もなく高富がぶち上げる。
「だからさ、良いじゃないか。簡単なことだぜ。ここにトリスタンがある。そして操縦経験のある奴がいて、俺達の教官になってくれるっていうんだからさ。この際佐川主席調整官殿が正義の味方でも悪の手先でもかまわないじゃないか。とっとと使えるようにしてこことさよならするかシャフトAに突撃するか、やっちゃおうじゃないか。佐川さんがいるおかげでこっちでやるシミュレーターの精度だって確認できるし良いヒントだってもらえるかもしれない」
「あの、良いヒントって何です?」
これまでのやりとりをはらはらしながら見守っていた笠原三曹がおずおずと尋ねる。
「そりゃあ笠原君・・・」
高富博士はしばし言葉に詰まり天を仰いだ。
「そんなのは佐川さんに聞いてくれよ」
「だめだわこりゃ」
上川博士が心底見損なったという侮蔑の眼差しを向けてくるが高富はだからどうしたという不遜な態度で開き直ってみせた。
「まああれだよ」
ややあって高富が言う。
「八乙女達の支援もあるからシミュレーターは完璧だろうが、実際に操縦した奴の知見は貴重だ。ああ、決して君達八乙女を軽く見てるわけじゃないぞ」
こればかりは真顔で高富が断じる。
「それにあれだ。俺達みたいな年寄り連中とは違って若手の諸君は国連企画のセモード教練課程を修了しているわけだから、数世代先行ってるトリスタンの操縦だってやってやれないことはないんじゃないか?」
「高富さんは高みの見物ですか?」
嫌味を込めて上川博士が生暖かい眼差しを向ける。
「そりゃねえ燈子ちゃん、俺らはいろいろ調査を進めなきゃ行けないからな」
そうだろうという狡猾そのものの物言いで高富が佐川主席調整官と東屋一佐へ同意を求める。
「まあ、そういうことになりますか」
やはり、そりゃそうだろうという諦観の嘆息を漏らし東屋一佐は頷いた。
「さすがに使えるトリスタンは0号図録の間の2体を含め9機のみだそうですから、戦闘班の者達をメインに進めるしかないでしょうね佐川さん」
「ああ、そうだね」
佐川もこればかりはしかたがないと認めるしかなかったのだ。
アルマテススの戦力はEC アースコロニアルから離脱しようとするイファッド迎撃のために稼働状態にある全戦力をもって応戦した。
イファッドとの交戦、そしてその後の超重力崩壊によってそれら大部分の戦力は失われたのだ。
月地球間で、あるいは月面で、アルマテススの戦力はイファッドとの死闘を繰り広げた。
アルマテススに残存する9機は様々な事情で出撃できなかった機体の中でわずかに残った稼働可能な貴重品だ。
八乙女が言うに、アルマテススの各兵器庫に残存するトリスタンは総数82機であるが、その大部分は整備途上にあったもので現状使用に耐えるものではないとのことだ。
東屋達データコアアクセス権のある者達はそれを確認している。
そうした課程で今や貴重と言える9機が登載できる兵器を検索し戦闘班は、もちろん八乙女の支援を得てこれらを完全稼働に至ることがかなった。
高富博士は月面に転がってる諸地球連合企画の兵器がよくエドルのコピー素材にならなかったものだと慨嘆すると、八乙女はエドルの基幹システムにも使用権限のプロトコルが存在し、無秩序に際限のないコピーは行えないとのことで、そうした意味ではエドルもアルマテススの呪縛から逃れられない脅威であるのかもしれない。
そうした経緯で今、佐川主席調整官と東屋一佐は死闘を演じている。
東屋のトリスタンが間合いを取り体勢を立て直す。
佐川は更なる猛襲に耐えるため自らが予測した新たな太刀筋をキューイングする。
東屋一佐は想定外の姿勢を取った。
トリスタンがプラズマ軍刀を頭部近くにかまえて切っ先をこちらに向ける。
剣術で言うところの霞の構えだ。
佐川は驚嘆した。
これは何かの巡り合わせなのかと。
そして、いつか到来するかもしれない好機が今なのだと。
それは、トリスタン同士での剣戟に必須と佐川が望んでいた戦闘の現出であった。
心の内で歓喜しつつ佐川も自身のトリスタンに霞の構えを取らせる。
・・・これが・・・
東屋のトリスタンが襲いかかる。
・・・私の望んでいた・・・何としてでも持ち帰らなければ・・・
佐川が応戦の突進を始める。
・・・この機体じゃないでしょ・・・
佐川の高品位統合兵器思考管制システム搭載型多機能装面具の中に懐かしい女性の声が響く。
驚嘆と同時に、それを声に出さないだけの胆力が強要される。
戦闘中にあって致命的な遅滞が生じた。
東屋一佐のトリスタンが太刀筋を変えプラズマ軍刀を勢いよく振り下ろす。
終焉であった。
コックピットが赤色のアラートに包まれ機能が停止する。
模擬戦闘終了
搭乗員機上戦死
佐川は濃密な大気の中に沈んでいくような疲労に見舞われた。
主モニターに被弾の経緯、敵機のプラズマ軍刀の太刀筋と当機の受けに採用された太刀筋の軌跡が赤と白で表示され、評定が表示され始める。
・・・なんてことだ・・・
佐川は小さく唸った。
・・・よりによって、こんな時にしゃしゃり出るか?・・・
そして、ふと気づく。
・・・そうか・・・彼女の無邪気さがそうさせたのか・・・
佐川はうんざりだと言いたげに首を振りトリスタンの主動力を待機へと移行させ、東屋一佐側のトリスタンとの間で繰り広げられていた戦闘シミュレーションを終了させた。
「佐川さん」
佐川の多機能装面具に、懸念を内包した声質で東屋一佐が呼びかけてきた。
おそらく彼も佐川の操縦するトリスタンの挙動に違和感を覚えたのだろう。
決定的な局面で佐川のトリスタンは、その太刀筋に迷いを見せた。
東屋一佐は佐川の健康的側面に、その原因を求めたのかもしれない。
「すまない東屋一佐」
少し疲れたと佐川は詫びた。
「年寄りの冷や水になってしまった」
「無理もありません」
東屋一佐が気遣うように言う。
「ここのところ演習漬けで、佐川さんには延々と教官役を務めていただいていたわけですから」
「いや、東屋さんとの演習を台無しにしてしまった」
佐川は詫びた。
「申し訳ない」
「滅相もない」
そう取りなす東屋一佐の声はどこか弾んでいた。
「こうしたどでかい人型兵器を振り回す機会に恵まれた喜びでいっぱいです」
「そうなのかい?」
そうした東屋一佐のどことなく弾んだ声質に些かの驚きを覚えつつ佐川は問うた。
東屋一佐達のように装甲戦闘服を身にまとい月面を闊歩し、セモードのような巨大兵器では到達不可能なエドルの拠点なり施設の奥深くに潜入する航宙特戦群の指揮官が、そのような憧憬を抱いているということが意外に思えたからだ。
「ええ、航宙特戦群に根を下ろして以来セモードを動かすなんて事もなく月面を這いつくばる日々でしたからねえ」
充足感に満ちた東屋の答えが返ってくる。
「もっとも、重力場制御で臨場感たっぷりのシミュレーター・モードで機体自体は動いていないわけですが操縦席に収まった瞬間にそんなことも忘れてしまいましたよ」
そうして2人はナノシーリングされたコクピットベイドアを開放させた。
装面具を脱ぎ、佐川はしげしげとそれを凝視する。
なるほどなと佐川は得心するのだ。
・・・そうか・・・彼女は俺の心に呼びかけてきたのか・・・
彼女がこの機体とリンクできるのは当然だ。
・・・わかっているさ・・・
佐川主席調整官は嘆息した。
・・・最悪、あの1機だけでも持ち帰らなければ・・・
そうだ、佐川はそのために月を来訪したのだから。
2071年7月29日、ア号部隊が月に降り立ってから59日目。
部隊の運用は大幅に変容していた。
これまでに知り得たアルマテススに関する情報、諸地球連合世界によってもたらされたイファッド召喚が、現在佐川達の地球を見舞っているエドルとの月戦争の遠大なる起因となったことなど、事態の解決に貢献できるものでは決してないが、それでも今まで手探りでただひたすらに武力の行使によって展開されてきた、この不毛な戦いの終結に何らかの貢献が・・・それは決してア号部隊がどうこうではなく、これらの情報を得た地球世界のお偉いさん達によってではあるが、何らかの光明をもたらす可能性を秘めているものばかりであることに疑いはない。
問題は、それら情報をいかなる手段によって地球世界にもたらすかなのだが。
それを達成するために、ア号部隊はこれまで最優先だった情報収集を切り上げシャフトAへの打通によるアルマテスス脱出を試みるべく、その一手段としてトリスタンの習熟に励むという準備段階を迎えている。
部隊の学術班はもちろん0号図録の解析に努めてもらうが戦闘班はトリスタンの完熟を図り、時期を見て行動を起こすべく精進している。
アルマテススでの全容把握などすでに不可能に近い状況であることを認識した東屋一佐と佐川主席調整官は決断した。
まずは生還し、知り得た情報を地球世界にもたらすこと。
たとえそれが忌まわしい実体を伴う月委員会にであってもかまうものか。
どのみち知らせるべき筋すべてにぶちまけて後は野となれ山となれというのが彼ら彼女らの正直な心証でもあった。
おそらくはそれら実情を知り得た月委員会も、あるいは地球世界のあらゆる関係機関が自分に正直に振る舞うこととなるだろう。そして、その中には、あらゆる軍事組織も含まれる。
あるいは、この行動が彼ら彼女らの地球世界の辿るべき未来に影響するのではないかという懸念もあるが、こう解釈することで誰もが皆、諦観の念を伴う肯定的解釈ですべてを納得することにしたのだ。
我らの世界はこうした様々な干渉を受けたが故の時間軸なのだと。
ともなればだ。
内戦の二文字が誰もの脳裏をよぎったが、それが避けられないものであるならば月委員会と対峙する手段としてトリスタンを用いれば良いというのがア号部隊の導き出した結論だった。
しかし、まだ月脱出を実行する時ではない。
少なくとも0号図録の謎を解析するまでは耐え続けなければならない。
この異端と言える規格外の図録の何らかを突き止めなければ帰還後に取り返しのつかない過ちを犯すのではないかという危惧が彼ら彼女らを月の深地下に止め続けているのだ。
これまでの調査では、未だ解析の端緒すらつかめてはいないが、それでも上川燈子博士を中心に言語、あるいは記号としての解読を試み続けてはいる。
ただ、その努力が報われているとは決して言えない。
そうした中での、アルマテススでの暮らしが継続している。
唯一の救いは、月と同化したとされる幽霊達の脅威が未だ部隊の誰にも及んでいないと・・・あくまでも根拠無しではあるけど・・・そう推察されることぐらいなのがあまりにも心細いのだけれど。
・・・シャフトAへの打通など画策している猶予はないかもしれない・・・