ニヒリズムの時代がやってきた | 『月刊日本』編集部ブログ

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日本の自立と再生をめざす言論誌

 11月13日、京都大学の学生寮「熊野寮」が公安の家宅捜索を受けました。今回捜査対象になったのは中核派と呼ばれる組織です。


 「今時、学生運動か」と思った人も多いのではないかと思いますが、11月14日付の朝日新聞によると、「最近は秘密保護法への反対運動を入り口に中核派に入る学生は増えている」そうです。


 学生運動だけでなく、新興宗教に入信する若者も増えているようです。また、イスラム国へ北海道大学の学生が参加しようとしていたという報道がありましたが、明らかになっていないだけで、同じような学生は他にもいるのではないかと思います。


これは「ニヒリズム」と呼ぶべき状況です。今日の世の中には、信ずべき道や掲げるべき目標が失われてしまっています。しかし、人間は、理念(神話)がなければ生きてゆくことができません。かといって、既存の宗教を信じることもできません(そもそも既存の宗教を信じられないことがニヒリズムを招いているのだから)。それ故、現代人は新しい宗教に惹かれるのでしょう。


 もちろんこれは学生だけに限りません。また、日本だけの問題でもありません。世界全体がニヒリズムに陥っていると言えます。このニヒリズムの問題にどう対処するか、我々は真剣に考えなければなりません。


 ここでは、弊誌9月号に掲載した、京都大学教授・佐伯啓思氏のインタビューを紹介したいと思います。(YN)

 

 

『月刊日本』9月号

「構造改革路線と決別せよ!」より

■ニヒリズムの時代がやってきた

―― 日本はどのような社会を目指すべきかという長期的なビジョンが失われてしまったということは、実現すべき価値、目指すべき目標が失われてしまったということでもあると思います。佐伯さんは『現代文明論講義』(ちくま新書)などで、こうした状況をニヒリズムだと指摘されていますが、この点について詳しく教えてください。

佐伯 日本人は戦後、今よりも少しでも豊かになりたいという思いで経済活動に従事してきました。生活が豊かになれば自由の範囲も広がり、家族や友人たちと一緒に楽しい時間を過ごしたり、レジャーを楽しんだりすることができます。多くの人たちがそのことを目標に経済競争を生き抜いてきたと思います。実際、1970年代には、日本社会は戦後直後と比べてかなり豊かになりました。

 ところが90年代に入ってから、日本経済の成長率はほぼ0%となり、経済競争はゼロサム・ゲームになってしまいました。つまり、他人が豊かになることが、自分の損失につながるようになったのです。経済が拡大している時であれば、一生懸命働けば誰もが豊かになることができます。しかし、経済が拡大しない以上、自分が豊かになるためには相手を蹴落とし、相手から奪い取らなければならなくなったのです。

これは主にグローバル資本主義によってもたらされたものです。グローバリズムの結果、日本の企業は中国や東南アジアなどの安い労働力と競争しなければならなくなったため、ひたすらコストを下げ、賃金を削りました。また、日本の企業は安い労働力を求めて次々と海外へ進出していき、国内のマーケットはどんどん小さくなってしまいました。

 今の日本人はこうした状況の中で競争を強いられています。そこにあるのは、このままでは今よりも生活が苦しくなってしまうのではないかという恐怖感だけです。ここで行われる競争はマイナスを避けるための競争であって、何か積極的な価値を実現するためのものではありません。

これでは何のために働き、極端に言えば、何のために生きているのかもわかりません。これこそまさにニヒリズムと言うべきものです。

―― 何らかの目標を目指して競争している場合であれば建設的な競争が行われるでしょうが、他人よりも下にならないために競争する場合は足の引っ張り合いになってしまうと思います。

佐伯 それはクレーマーを見ていればわかります。クレーマーとは、あいつはこんな失敗をした、あいつのここが問題だ、といったように、ひたすら他人のミスを指摘する人たちです。現在の日本社会は一億総クレーマーと言ってもいいような状況にあります。

最近では、社会的地位にある人が少しでもミスを犯すと、メディアが一斉にバッシングし、過剰に責任を追及するということが起こります。テレビ番組などでも、評論家を名乗る人たちが、あれも問題だ、これも問題だ、といったように、ひたすら問題を論(あげつら)っています。

しかし、ちょっとミスをしただけでこれほど批判されるのであれば、責任ある立場の人は大胆な行動をとることができなくなります。彼らは与えられた仕事しかしないようになり、小ぢんまりとした官僚主義に陥ってしまうでしょう。

 我々は、このような窮屈な社会を作り出してしまったのは我々自身だということを自覚しなければなりません。問題だけを次々と持ち出したところで、建設的な議論などできません。(以下略)





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