とはいえ。
職業の種類が夢の種類と同じに等しい現代で、こんな事を話しても誰にも分かってもらえるはずが無いのも事実なのです。


先ず、自分の夢をきちんと見れるか。
これが大事。
情熱も意欲も意思も、努力もこれにかかってる。


そして、世界で色んな人間に出会う。
そこには自分1人では見る事の叶わなかった夢を見てるか、叶えてるかの人間がいる。
その人と仕事をする。
そこで初めて、自分の夢と誰かの夢の交差する所に出会う。お互いに一人ではたどり着けなかったかもしれない、その先の先を夢にみる。


そうやって、人は人を必要とし、人は人を想う。


そこには、年功序列だって当たり前に存在し、年功序列を打破する関係も無論存在する。
そうして可能性を広げながら、自分と自分の人生をきちんと見つめて、情熱を失わずに生きて行く。
生きるとは、そういうもの。


職業=夢、じゃない。
とか、言い切るつもりはない。
それで良いとも思う。
でも、職業というのはあくまで手段でしかない部分もある。
誰かと繋がりを持つ事、世界が広がっていく事。
そこに生きる意味や希望や愛が溢れていく事。
誰かに何かを伝える事。


演劇は一回に1万人を幸せにはなかなか出来ない。だから、地味だとも言えるし、それだから素晴らしいとも思う。

もし歌が歌えたら、東京ドームや武道館をいっぱいに出来る。それは素晴らしい。

小説や絵を描けば、それは数百年先まで残るかもしれない。それは素晴らしい。


何をいつ、どこで、どんな人に、いつまで。
どうやって心に残したいか。

それを夢にみる。

せめて僕は、そうやって生きている。その過程で演劇を選んだし、演劇と生きているし、それには劇団員の皆が必要で、大切なのだと思う。

やりたい事はなんでもやったけど。
やってきた事の全てがやりたい事ではない。

この言葉が本当に好きで。
夢とはこうやって叶えるのだと信じている。


今の若い子達が間違っているとは決して思わない。彼らはこの時代の中で最もポピュラーでありトレンドなのだ。

僕らのような中途半端に古く、頑迷であるだけの苦悩もなく、センセーションであるための才能もない世代からの突き上げにいつまでも耐えているとは到底思えない。
だからと言って、僕らは口を閉ざして生きる事は出来ないし、フェアでないと思う。

僕らだって、僕らの先輩がいて、才能もないくせにごちゃごちゃと古びた理屈を並べられて辟易していた頃もあった。でも、あの頃があったればこそ、今の僕はあるのだし、これからの僕もあるのだ。


人は自分にされた以上の事は他人に対しては出来ない。不器用なのだ。なら、僕は僕が愛される事を望むのでなく、ほんのわずかでも彼らの人生の「足し」になる人間でいたいと思う。影響力についてなんて考えないし、そんなおこがましい真似はしたくない。でも、良くても悪くても「足し」にならないような存在なのだとしたら、僕は彼らを選んでも仕方ないし、彼らにしたって僕を見限る方が余程効率が良い。

さて。
歩こう。それしかできないのだから。
演劇集団アクト青山主宰の小西でした。