目次

 

  • 0.はじめに 私は誰で、何を書くか
  • 1.2020年4月 入学~コロナ禍へ
  • 2.劇団ダダンと阿佐ヶ谷アルシェ
  • 3.1度目の公演中止 2020年夏公演
  • 4.学内・無観客公演 2020年11月
  • 5.2度目の公演中止 2020年冬公演
  • 6.劇場公演にこだわった
  • 7.3度目の中止 2021年夏公演
  • 8.ラストチャンス 2021年度冬公演
  • 9.伝えたい事 なぜこんなことを書いているか

 

 

0.はじめに 私は誰で、何を書くか

 

2020年度入団 元劇団ダダンのもるくです。

 

大学1年生のころ、劇団ダダンに入団し、3年ほど所属していました。(少し早めに引退しました。)

 

明日、私は東京外国語大学を卒業します。

 

このアメブロは、劇団の企画などでしか更新されないのですが、

2年ほど前の卒業生が、卒業に際して卒業メッセージみたいなのを勝手に更新しており、

あれが許されるなら、俺も卒業するときは何か更新したい!と思っていたので、

現役生に無断で筆を執っています。(すでにダダンのブログ本体はnoteに移行してるんですね。英断でしょう。)

 

テーマはタイトルの通り、「コロナ禍と演劇サークル」についてです。

 

新型コロナウイルスによる感染症の拡大は、間違いなく歴史上に残る未曾有の事態の一つです。

そんな事態の中で、あろうことか「演劇」を試みて、そして何度も失敗し、

脈々と続いてきた歴史が潰えそうになった瞬間が、この劇団にはあります。

 

小さな歴史ではありますが、ここに詳細なデータと共にそれらを提示することで、

何か少しでも後輩に残すことができればと思っています。

 

 

1.2020年4月 入学~コロナ禍へ

 

私は、2020年の4月に東京外国語大学に入学しました。

新型コロナウイルスの感染が確認され、急拡大したのは、2020年3月下旬からでした。

入学式はなく、2020年度の春学期はすべてzoomを用いたオンライン授業。もちろん、サークル活動もzoomやSNSを通して行われました。

 

この時期の、いわゆる「演劇界隈」の動きはどうだったでしょう。

 

新型コロナウイルスが息を殺しながら日本ににじり寄って来たのは(もちろんこれは後から分かることですが)2020年の2月ごろ。このころ、首相から「イベント自粛要請」が出されます。ただし、この段階では要請に過ぎず、小規模な公演は感染対策を施しながら細々と実施されていました。

 

政府から「緊急事態宣言」が発出され、ほとんどの公演が軒並み中止になったのは、4月のことです。

 

今やもう懐かしい、「zoom演劇」が提唱され、「劇団ノーミーツ」などを中心に大きな広がりを見せたのが、ほとんど同じ時期、2020年の4月だったそうです。

その後、ロロや根本宗子など、第一線で活躍してきた劇作家たちも「zoom演劇」のフォーマットを取り入れ、
各々が手探りながらも創作活動を維持しようとしていました。

 

ただし、このようなzoom演劇のフォーマットが流行するのは、先に述べたように「全公演のやむを得ない中止」の裏返しでした。

 

規模に関わらず、全公演のやむを得ない中止。

少しでも演劇(あるいはエンタメ産業、文化芸術)に関わる方なら、この危機の重大さがわかっていただけると思います。

 

劇場目線では、劇場利用の予約などがキャンセルになったり、先の見通せない状況の中で利用者(予約者)が激減。

維持管理費や賃料が支払えず、つぶれてしまった小劇場も少なくありませんでした(ライブハウスなどについても同様のことが言えます)。

また、劇団目線でも、公演が打てないこと活動の維持が困難になる他、

予約していた劇場のキャンセル料の規約により、劇場の使用料を半額~全額支払わなければならない、ということも多く、

財政面で特に困難を迎えていた劇団は少なくないはずです。

 

劇団ダダンも例にもれず、この2つ目の問題に直面することになります。

 

劇団ダダン、そして私自身に話を戻します。

 

劇団ダダンはコロナ禍でも積極的に活動をしていたサークルの一つで、2020年の5月には先輩方がYouTube上にzoom演劇を公開しています。(新歓企画のため私は参加していません。)

 

 

私自身の劇団ダダンへの入団は6月後半だったように思います(自己紹介の時に「この間誕生日でした」と言った記憶があるので間違いないはずです、6月4日が誕生日なので)。

 

劇団ダダンでは、新入生がいくつかの部署に配属されるのですが、

私は、希望していた音響部と、そして、舞台監督の部署に配属されました。

コロナ禍との格闘の歴史のスタートラインです。

 

 

2.劇団ダダンと阿佐ヶ谷アルシェ

 

ここで、当時の劇団ダダンの体制について、できるだけ簡潔に説明をします。

 

劇団ダダンは、大学が長期休みに入る夏と冬にそれぞれ、「阿佐ヶ谷アルシェ」という劇場で公演を打つのが恒例でした。

阿佐ヶ谷アルシェとの付き合いは10年ほどに及んでおり、支配人の方とも当時親密な付き合いがありました。

夏・冬の公演時期は毎年12月に年間予定を決定し、その段階で劇場の予約を済ませていました。

そして、劇場使用料の30万円のうち、いくらかを前払いとしてその予約の段階で入金、

公演3か月前にまた半分程度、千秋楽日に残金の支払い、をルールとして支払いを行っていました。

そして、これら劇場とのやり取りを、舞台監督の部署(制作が行っていた時期もあるそうですが)が担当していたのです。

 

当時の舞台監督の部署には先輩が二人いました。その2人の後釜として、私は引継ぎをうけていました。

 

 

3.一度目の公演中止 2020年夏公演

 

先述した通り、劇団ダダンは前年12月の時点で劇場の予約を行うのが慣例だったため、

2020年についても例にもれず、前年の時点で阿佐ヶ谷アルシェの夏と冬の予約を行っていました。

しかし、大学からは夏休み中の課外活動の許可は下りず、

2020年の夏については、予定されていた劇場利用はキャンセルされることになりました。

 

と、書いてしまえば単純なのですが、この裏ではかなり苦しい判断が繰り返されていました。

 

この判断に、1年生だった私はあまり深くかかわっていなかったため、記憶も朧げなのですが、

LINEやメールの履歴、そして後日談的に聞いた話を繋ぎ合わせて以下に証言します。

 

5月、つまり私が入団前に、先輩の舞台監督が劇場側にメールでキャンセル料について問い合わせていました。

劇場からの答えは、「話し合いにて決定します」でした。

そしてその後、おそらく電話で話し合われた内容は「一度までなら予約の延期が可能」

つまり、キャンセル料などの発生しない劇場利用の日程変更ができる譲歩をいただいていました。

 

そして、劇団は5月中に、当初予定していた公演時期であった8月を、一か月遅らせて、9月に上演することを決定し、劇場の日程変更の手続きを済ませました。

 

今から思えば、当時の情勢で、しかも3か月前の判断で、1か月の延期が何かを解決するとは思えません。ただ、未曽有の事態を前に、判断も手探りだったことは間違いありません。

 

6月上旬時点で、劇団は夏公演の実施に前向きで、脚本の募集や座組決定までのスケジュールなどを提示していました。しかし、7月には中止の判断がなされました(おそらく、大学からの夏休み中の課外活動の中止が発表されたためだったと記憶しています)。

 

既に日程変更したうえでのキャンセル料だったため、支払いは満額(だったと記憶しています)。計30万円を団員で負担することとなりました。

 

1年生で、これらの判断に全く関わることがなかった我々も、この30万円を負担しました。めちゃくちゃ腹が立ったのを覚えています。

 

 

4.学内・無観客公演 2020年11月

 

夏休み(外大では夏学期と呼称します)が終わり、秋になると感染者数も落ち着き、コロナによる課外活動の制限がゆるやかになりました。ここで初めて、私たちは対面での活動を再開することになります。

 

通常であれば、劇団ダダンが次に行うのは「外語祭」つまり学園祭公演に向けての活動です。

しかし、この年の外語祭はオンラインに制限されていたほか、課外活動も様々な条件つきでした。

我々は、大学内の集会室に照明などを設置し、そこで舞台映像を撮影、YouTubeにアップロードする形で学園祭に参加しました。

これが、私にとっても初めての本格的な公演への参加になりました。

 

これはあくまで「コロナ禍における演劇」のルポであり、対外公演についてのやりとりを残すものとしたいため、この公演の詳細は省きますが、

この期間に先輩から頂いたたくさんの言葉は、私の今後の指針になりました。そして、この文章を書くきっかけにもなっています。

このことについて、後に触れようと思います。

 

 

5.2度目の公演中止 2020年冬公演

 

先にも述べた通り、2020年の冬についても、その前年に予約を済ませているため、

ある種、情勢に対応した日程の融通が利かない形で冬の準備に取り掛かることになります。

冬公演の準備は、その年の12月まで積極的に行われてきました。

 

この公演から、劇場とのやり取りを、私が担当しました。

ガイドラインの作成やケースごとの中止の判断などをまとめるなどして、冬公演の実施のためにあらゆる施策を打っていました。

もちろん、団内でイニシアチブをとっているのは先輩方でしたが。

 

そして、1月、再び緊急事態宣言が発出されました。

 

もちろん、公演の中止は余儀なくされます。

ただ、この年の中止は、少なからず団員にダメージを残すものでした。

 

緊急事態宣言発出後、団内で会議が行われました。

 

議論は紛糾しました。もちろん公演は打てない、でも、やる方法はないのか?劇場側の意思は?確認事項は尽きません。

そしてもちろん、みんな演劇がやりたい。「ダダンの名前を冠さない、まったく外部の劇団の顔をして公演を打つのはどうだ」なんて意見も出ました。私は大反対しましたが、結構最後までその案は残り、LINE上で複数回(!?)投票が行われたりもしました。

 

結局、公演は中止になりました。

話をまとめる責任の所在もあいまいで、「もうここまで話が紛糾して、実施や延期は無理だろう」という各々の判断が滲んだような結果でした。

 

キャンセル料の30万は再び満額支払いとなりました。この1年で、いち学生サークルが、中止になった公演に対して60万円を支払ったことになるのです。

 

ただ、私と劇場側との折衝の中で、次回の阿佐ヶ谷アルシェの使用料を無料にしてくださる、という譲歩をいただきました。つまり、今回中止になった公演の劇場費用の支払い分を、次回に繰り越していただけることになったのです。

 

 

6.劇場公演にこだわった

 

これらの中止の経験を経て、また、次回分の繰り越しという譲歩もいただいたこともあり、

私はかなり強い意志をもって、2021年の劇団運営に当たる覚悟でした。

劇団ダダンは2年生が幹部代を務めるため、2021年からはある程度私たちの意見も強くなります。

 

4月18日、別件で用事の連絡をしていた旧副団長に、「今年はどうしても劇場公演をやりたい」というラインを入れ、その意思を表明しました。

私は舞台監督ではありますがいわゆる「幹部」(団長と副団長で構成される)ではなかったのですが、これ以降は団長副団長で行われる三役会議に混ぜてもらって、本公演への舵取りを彼らと共に担うことになりました。

 

ここで、なぜこれほどに私が劇場公演にこだわっていたかを、その理由を整理できればと思います。

もちろんいくつか理由はあります。お前のわがままだ、と言われても仕方ない部分もあります。でも、そんなに単純ではないことを、わかっていただきたいのです。

 

先述したように、2020年の秋に、我々劇団ダダンは外語祭に提出する作品を制作していました。

外語祭公演の撮影は大集会室というステージのある教室で数日掛けて行われたのですが、その間に、その年に卒業されたある先輩とお話をする機会がありました。非常に聡明な先輩で演劇の経験も長く、その知見と意見の聡明さは団内でも一目置かれていたように思います。その当時一年生で、夏頃までオンラインに活動が制限されていたこともあり、その先輩と時間をかけてお話しするのは初めてでした。

 

「大学サークルっていうのは特殊な組織だから」

その先輩のお話しぶりを今でも覚えています。

「同じ人を中心にずっと続いていくわけじゃない。人が常に入れ替わりながら、その歴史はずっと続いていく。」

「だから、私は、『作品のクオリティを一定以上に保ち続ける』ってことを使命にやってきた。」

先輩はそう言い切りました。それが、ダダンが良い劇団で有り続けるために必要なことだ。常に未来の後輩にプレッシャーをかけて、そうして良い物を作り続けていく。それが伝統って言うことなんだよ、と。

(話は大筋合っていると思うんですが、拡大解釈が含まれるかも知れません、なにせ数年前の話で、そのときメモをとったわけでもないから、四条先輩、そこはご勘弁…)

楽しく作るとか、納得できる作品とか、そういったものではなく、「クオリティを一定以上に保つ」という表現は、妙に頭に残っています。自分の劇団でも、誰かの劇団でもないからこそ、それが何より大事だ、と。

 

この言葉の裏には、「サークル」という団体の特殊さ、そして難しさがあります。サークルは二年も経てばその構成員は半分以上が入れ替わります。半分が、劇場公演の運営やその熱量を引き継がれずに活動する事になるのです。しかも外語大は三年での留学が一般的で、4年生は就活に当てられます。劇団ダダンとして丸一年外部公演を行えていない状況で、この「作品のクオリティ」は、果たしてコロナ後も保てていけるのか。

一つの使命として、劇団ダダンを良いもので有り続けるために、2021年こそは必ず、外部公演を行う事が必要であろうと考えた、というわけです。

 

でも。

 

もし、公演期間中にクラスターが起ったら?当時の感染状況ではいくら対策をしていても100%はあり得ません。

私の脳裏には、「演劇サークルで感染者」というネットニュースがツイッターで拡散される様子が頭に浮かびます。「こんな時期に大学生がこんなことしてるからだ。」我々のことを知らない、知らない人が我々を叩く文字。大学から怒られたり、就活に不利になったり。

もしこういうことが起ったとき、我々のことをかばってくれる人はいるでしょうか。

 

 

私だったら、全力でかばう。

 

これが、自分の中で何よりも公演を実施しようという推進力になりました。

 

では、なぜこんな感染リスクを冒しても「演劇」をやる大学生をかばうのか。

 

学生演劇が、一つの文化だからです。

 

文化の火は消えやすく、再びそれをともすのに大変な時間がかかる。

 

ご時世の中で、マンネリ化したオンライン演劇だけを続けるのではなく、前進を試みることが、文化を守ることではないか。

 

この考えは、公演準備中の当時、私の心をギリギリで支えました。そして、「文化という言葉に見合うものを作るのだ、文化に見合う態度で制作をするのだ」という、新たな使命となって私の制作の推進力となったのです。

 

 

7.3度目の中止 2021年度夏公演

 

…と、かっこいいことを言ったはいいものの、この次の機会として設定した2021年の夏公演は再び中止に追い込まれます。

 

この公演の私の態度は、一貫して「できる限り実現可能性を探る」でした。

丁度、国からのワクチン接種の準備が整った頃合いで、ワクチンをこれだけ打っています、とか、

PCR検査の実施とか、あらゆる可能性を加味しながら、毎週(多いときは毎日)劇場とのやり取りを重ねました。

 

これらには、前年度のあらゆる反省を詰め込みました。

公演運営には、劇場の存在が欠かせません。その劇場のスタンスや態度、説明や説得にどこまでの情報を提示すればいいか。

会話の中でこれらを慎重に探り、確認し、そしてこちらも嘘をつくことなく会話をしました。

 

2020年度、我々は10回以上公演に関する「投票」をしました。俺は意地が悪いので数えました。

この公演では、一度も投票を行いませんでした。

劇場と私、そして団員どうしで、丁寧なやり取りを重ねていれば、自ずと選ぶべき答えは見えてくる。

個人の最大利益ではなく、団体としての最大利益を見出す方法は、投票ではなく、丁寧なコミュニケーションだろう。

その確信があったから、最後まで投票はせず、情報をもとにした話し合いで議論を完結させました。

 

その結果、私たちは3度目の公演中止を判断しました。

 

きっかけは、これも3度目の緊急事態宣言でした。

当初は、いままでよりも規制の緩く、ややポーズに近い宣言だったこともあり、実施の線をさぐりましたが、

ワクチン接種が難航したこと、感染者数は順調に増え続けていることなどで

劇場側からかなり強い態度で中止を要望されたことがあります。

また、この時期は、2年目に突入した気のゆるみからか、演劇公演におけるコロナ関連のトラブルが頻発しており(劇場に無断でマスクを外した公演&チェキ販売を実施しクラスター(集団感染)が発生し責任問題に…など)、劇場側も神経質になっていました。

 

そのような背景もあり、この夏の公演も中止を余儀なくされました。

 

ちなみに、この公演は私が作演出を務める作品も上演する予定でした。

一年延期となって実施された東京オリンピックのOPを見ながら歯を食いしばったことは言うまでもありません。

 

ただし、この公演については、劇場側との折衝と中止のタイミングの決定がうまくいった結果、一回分の猶予を持ち越す形での中止となったため、また30万円を払う、という事態にはなりませんでした。

 

 

8.ラストチャンス 2021年度冬公演

 

6章で述べた通り、サークルにとって2年間のブランクは致命的です。

まだ多くの先輩からノウハウを伝授できる、そのうちにどうしても劇場公演を行いたい。

その目的から考えると、2021年度の冬公演は最後のチャンスでした。

 

私はあらゆる点から実現可能性を探り、オムニパス形式にすることで稽古での感染リスクを少しでも減らし、上演の可能性を高めるなどの施策を打ち、公演を模索しました。

オムニパス上演に際して、幕間劇を制作し、作演出も担当しました。

ガイドラインや劇場とのやりとりも、なお一層慎重を期して行いました。

 

この劇場とのやり取りの中で、「ワクチンの接種を団員の劇場入りの条件にする」という話が上がりました。

その当時ワクチンを2回摂取済みの団員のみが劇場に入ることができる、というものでしたが、

団員の中には、アレルギーや個人の信条、両親の方針などでワクチンを打たない人が数名いました。

その数名の中には、オムニパス作品のなかの作演出を務める人間もいました。

苦渋の決断ではあったものの、団としての最大利益を追う方向で話が進み、

演出不在で小屋入りが進むこととなりました。

 

結果的に言えば、この時期に緊急事態宣言が発令されることはなく、

公演は開催にこぎつけようとしていました。

いくつもの決断の上で、ようやく、手繰り寄せた、公演でした。

 

 

 

公演の1週間前、ある団員が、別のサークルのクラスターに巻き込まれ、濃厚接触者扱いの認定を受けました。

彼女は5日間の自宅待機を言い渡されました。

再びの、暗雲です。

 

幸い、彼女の陰性がすぐに確認でき、その団員と接触した人間もいないことが確認できました。

大学側との折衝を別の人間に任せて、私は劇場とのやり取りに腐心しました。

一刻も早く状況を伝え、その中で公演を実施する道を探りました。

 

今でもよく覚えています。当時ADとしてアルバイトをしていた、TBSの9階の廊下、よく晴れた日曜のお昼前でした。

 

支配人は私にこう言いました。「おい、お前、この公演、打てると思うか。」

私はこう、はっきりと言いました。「打たないといけない、そう考えています。」

支配人は、「そのために、できる限りの協力をするよ」と言ってくださいました。

 

結局、「劇場内でマスクを外す役者については、必ずPCR検査を行い、その結果に従う」という方針に落ち着いたのが、小屋入りの数日前でした。

PCR検査の結果はすぐにはわかりません。公演初日までに出そろえばいい、という譲歩をしていただきました。

 

稽古終わりに団員を集め、事情を説明しました。PCR検査は無料の場所もある、基本的には大人数でまとめて予約などは難しいため、各々でできる限りはやく受けてもらう必要がありました。都民が無料で受けられる場所をみんなに説明していると、一人の後輩(当時私が2年生で、彼女は1年生でした。)が言いました。

「私埼玉県民で…」

あっごめん、埼玉のことまで調べられなかった、そう言おうとした時に、彼女は言葉を重ねました。

「今から行けば、埼玉のPCRの検査場、間に合いそうでした。向かっていいですか?」

 

この文章では、あまり団員たちの様子を描写してきませんでした。実は、それだけ、あまり見えてなかったんだと思います。

もちろん、団員の一人として、周りの様子をうかがって、コミュニケーションを取っていました。

でも、一人の1年生が、あんなに自主的に能動的に、公演のために行動する姿を、私は知りませんでした。

 

彼女を含めて、出演者全員が数日中にPCR検査を終了しました。こちらは天命を待つだけでした。

しかし、もう一つの問題がありました。

濃厚接触者扱いの認定をうけた団員は、私が作演出を務めた幕間劇に出演する予定だった役者でした。

彼女の自主隔離期間が解除されるのは本番の前日。彼女もまた、1年生でした。

 

私は、小屋入り前日に、その幕間劇を音声劇として再編集することを決めました。

 

元はと言えば、オムニパスにした理由も、このようなことがあっても公演ができるためだし、

クオリティを落とさない最善の策であろうという判断でした。

 

音声劇を収録するためにつないだzoomで、自主隔離されていた後輩の役者は「ごめんなさい…」と泣いていました。

私が担当する作品の役者陣の中には、この公演が卒業公演になる先輩もいました。

今でも、正しい判断だったかはわかりません。

今でも、あの日悩みすぎて廊下を転げまわって「どうしよう!?!?」と喚いていたことを友人に笑われます。

 

公演2日前、役者全員のPCR検査の結果が出そろい、

役者9人全員の陰性が確認できました。

 

2年越しに、ようやく、幕が開けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9.伝えたい事 なぜこんなことを書いているか

 

これが、コロナ禍2年間の劇団ダダンと、私です。

ちょっと主観が強くなっちゃったかな、でも、できるだけルポとしてニュートラルに書いたつもりです。

 

最後に2つだけ。

 

なんでこんなことを書いたんでしょう。

自分のnoteにでも書けばいいし、こんなに長く書かなくてもいいし、

勝手に旧ブログ更新するなって話だし。

 

6章で言ったように、この2年間の奮闘は、ある先輩の一言から始まっています。

その言葉をもらった当時、私は1年生で、その先輩は5年生でした。

月日が経って、私も4年生になり、外大を卒業します。

ダダンにいるたくさんの後輩たちに、私はなにか残せたでしょうか。

 

その先輩のように立派なことは言えないかもしれないけど、私にはこの経験があります。

この経験なら、すこしくらい、役に立つんじゃないか、役に立たなくても、面白がってもらえるんじゃないか。

 

ダダンをすこし早く引退してしまったこと、実は少しだけ後悔していると気づいて、筆を執りました。

そういう気持ちで書いてます。

 

 

最後、伝えたい事。

 

演劇を、がんばってください。

 

私たちは、コロナ禍を通して、「演劇って必要?」を迫られました。

何度も「不要不急の、要らないものは、今すぐやめて」と言われて、それに従ってきました。

自由に演劇を楽しむ機会を失われました。

 

結局、自由に演劇を楽しむ機会は取り戻したけど、

私は、「演劇って必要?」という問いには、答えられずにいました。

 

 

劇団斜講という、私が外部で関わっている劇団があるんですが、

その劇団のある公演で、主宰が公演挨拶で言った言葉があるんです。

 

「演劇が必要かどうかはわからないけど、私にとって演劇は、いつまでも遊んでいてたのしいおもちゃであって欲しい。」

 

彼女らしい解釈で、素敵だな、と思って聞いていました。

そうやって、演劇と社会と自分の間に折り合いをつけることもできるんだな。って。

 

その公演のアンケート、

一般の50代の女性の方が、こう書いてくれたんです。

 

「演劇は、必要です。」

 

そう言ってくれる大人の声に、私がどれだけ救われたか。

 

 

演劇をすること、簡単じゃないです。でも、やっぱり必要みたいなんです、演劇。

 

だから、みんな、頑張ってください。

 

楽しいばっかりじゃないことも、頑張って、演劇やってみてください。

 

がんばって、頑張る姿を、後輩に見せ続けてください。

 

そうやって、脈々とサークルは続いていきます。

 

 

 

 

2024.3.22 津隈もるく

 

 

※中止になった公演も、あらゆる知恵をみんなで働かせて、いくつも形に残してきました。

 

 

2021年度夏公演で中止になった作品のリメイク

 

 

 

参考

 

https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/9818-486d01.html

 

 

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/69/nfm/n69_2_7_2_0_3.html#: