おはようございます、ちょろQです。6回生です。ここじゃほぼ化石です。音響やら役者やら宣伝美術やら脚本やら演出やら有志公演の企画やらをやっていました。寝たり食べたり息したり、飛び跳ねたり落ち込んだり呟いたりする以外は、なんだかんだ作劇の方向を向いていた6年間でした。

今夜は、私と物語との付き合いについてのお話です。

 

私は、物語がないと生きていけないと本気で思い込んでいる類の人間です。自分をこういった種に分類したのは、大学に入ってから、それもここ2、3年のことです。というのは、それまで、物語がなくても生きていける人がいるなんてことは想像もしなかったのです。それを知った時には凄まじいカルチャーショックを受けました。日本に引きこもっていても、異文化に出会う可能性は身近にいくらでも潜んでいるんですね。自分の人生のうち、架空の他人の生活に思いを馳せる時間がどれだけを占めているのだろう、などと考えてみたりもします。物語に触れることは、呼吸することと同義であり、私の中では物語だけが唯一、絶対揺るがない価値を持っています。

しかし、大学に入って演劇を始めて、明らかに作品の見方が変わりました。具体的に言うと、出来の良し悪し、好き嫌いにうるさくなりました。なんか創作側に関わるとそうなるという噂は元々小耳には挟んでいたんですが。どこかでパキッと、あ、変わったな、と思ったわけではなく、気づいたらそうなっていました。高校までは受け入れられない作品なんてなかったもんな。ほとんど。なんかこれってどうなんだろうと思いますけど。

 

そんなわけで、最近じゃ何を食べても平気全部栄養という訳でもなくなってきました。吸った空気に含まれる酸素の割合が少ないものがあります。そんな作品を引いてハイ処刑処刑と呪詛を吐きながら、没入感求めて彷徨い歩いたり。子供の頃にしっかり植え付けられたトリップの快感はなかなか逃れられるもんじゃないです。駄目ですよお母さん、子供に本なんか買い与えちゃ。それ薬物。童話館もだめ。ロアルド・ダールなんて以ての外。うちは中学まで漫画もアニメも基本禁止でしたが本でも超悪影響だったよ。

多分今後どんどん、簡単にキマれる作品との出会いは少なくなっていくんじゃないかな。まっさらだったころの感性とはそりゃ違いますわな。作品との出会いを積んでいくほど、何かと比較で見てしまっている自覚があります。(まあ、私なんかよりもっと酷い中毒患者がたくさん、楽しく人生を生きているようなので、そう悲観することもないんでしょうが)

 

 

中学受験後にトンチンカンな小説を途中まで書いた以外では、物語の創作に関わるのは初めてだった1年生の頃、本当に情緒も土台も何もかも不安定でした。すっっっげーーー目立ちたがりの出たがりなんで、役者やりたいしとにかく自分の演技が褒められたかったし、でも何をすればいいかも良くわからず、賛辞もダメ出しも思うほど貰えず、当然全体のことなんか見えたもんじゃありませんでした。脚本書くとなったらテーマをこねくり回し自転し公転し目が回って、演出してくれた同期を始め座組の皆には本当に苦労かけました。

非常に長い間迷走しましたが、結局、役者が誰とか脚本が考えさせられるとか、観客の私にとっちゃあ副次的なものでした。本当に気づくのが遅くなりましたが、私はとにかく面白い物語が欲しいだけでした。言葉にすると軽くて当たり前でおや?という感じですが。役者も演出もチーフもオペもヒラスタッフも、とにかく面白い作品のために奉仕する駒であってほしい。見る側としては。

だから今後は地位も名誉も自己肯定感もできるだけ脇へやっちゃって、それだけのために生きていこうと思います。媒体は変わりますが、これからも作品作りに携われるようなので。社会に何が起ころうと、物語に飢えた自分や同志にいいクスリを、仕事に忙殺される同期に娯楽を。無垢な瞳の大学1年生が、昼夜問わずハマってしまって単位を危うくするような物語を。何ができるのか、わからんけど。

 

ところで「媒体は変わりますが」なんてさらっと言ってしまいましたが、ここは軽々しく扱ってはいけないところですね。先輩方は特に、「何故これを演劇でやる必要があるのか」ということを問い続けていらっしゃった印象があります。観客と役者を向かい合わせ、この空間で、生きた人間がここに存在して演じる意味。入団当初は、物語を扱えるなら媒体は何でもいい、という気持ちを無意識に持っていたので、問われている意味がわかりませんでした。しかし、限られた空間、場転の難しさなど、映像文化に慣れた人間からすると「制約」に感じられる特徴が寧ろ生かされて、独特の味を出している好みの作品に幾つか出会い(「劇団ガクブチ」「ロロ」「月刊根本宗子」及び多摩美演劇舞踊デザイン学科の作品などがそうでした)、媒体を生かす面白さの一端を知ることができました。媒体が変わっても、この問いは鍵になるでしょう、早々に教えてもらってよかった。そして演劇との縁も、今後も切らずにいたいものです。

 

思う存分私の話をしました。お付き合いありがとうございました。

強めな先輩の勧誘と直感に任せてダダンに入って、本当に良かったです。外大に入学したのはきっとダダンとの出会いのためだったのでしょう。関わらせていただいた上から下まで凡そ50人もの演劇人達は揃いも揃って尊敬すべき人々でした。マジ腹立つわギリリリ、と後ろに引っ張られる感情があった分だけ、時折湧き上がる愛おしいという気持ちの爆走ぶりは相当なものでした。特に愛すべき11人の同期たちへ、私より先に死ぬんじゃないよ。

幸いにも不幸なことに、今後も私の人生は変わらず、物語だけを軸にして回っていくようです。大きな転換点となってくれたダダンに感謝を。どうか、今後もこの場所が、関わる人々にとって良き学びの場でありますように。それでは。