吾が輩はHarryである。

ブログなんて初めてで何を書いたらいいのかわからないからきっと酷い文が出来上がるが、読みたい人は読んでほしい。それから、敬体で書くとなんとなく気の抜けた文になる予感しかないので、常体で書くことにする。



あんてーん!というのは、暗転チェックと呼ばれる儀式で今回叫ばれるようになったものである。もともとは、劇団ダダンの影の支配者(だと私が勝手に思っている)マロニエさんという方が、暗転チェックの際に「暗転!」と、手を上げながらおっしゃっていたのを見て、私がふざけて、「これは皆で声を合わせて言わなきゃいけない決まりなんだよな」と言ったのが始まりである。それを、その時隣で照明をしていた鴎外という男が気に入り、その後は彼が掛け声を担当するようになったという次第である。彼はなかなか面白い奴で、今回の公演では約7分間に及んで照明をじわじわと変化させるという謎の偉業を成し遂げたが、私の誕生日が小屋入り期間中にあったと知るとすぐさま阿佐ヶ谷じゅうを駆け巡り、わさびをおろす道具やら、羊羮を切る専用のナイフやら、余計なもの(失礼)をあれやこれやと押し付け…いやプレゼントしてきた。そんな可愛いアフロ野郎である。


アフロをはじめ、以前シャネルさんも反省会で指摘されていたとおり、1年生は皆けっこう仕事熱心である。ビビという、いつも何だか楽しそうにしているお姉ちゃんがいるのだが、そいつと鴎外が中心になって、劇中で超重要な大道具、カウンターを作った(私もけっこう携わった)。木の板と木の棒をいくつか我々に与え、シャネルさんはこれでカウンターを作ってほしいのと言った(念のため断っておくが、シャネルさんも舞台美術の制作に魂を削っていらっしゃったので、もちろんシャネルさんをはじめ先輩方にも尊敬の意を表したい)。安定感は残念ながらないが、はっきり言ってかなり素晴らしい出来のカウンターを作ったと思う。それをまた色塗りしたり、運んだりと、小屋入りまでの稽古はかなりの労働続きで修行のようだったが、同期を含め団員の皆さんはめげずに動いていて、私はそんな身分でもないが、ここで皆さんの努力と我慢を讃えたい。


小道具のポムとは、絵を立て掛けるイーゼルを作った。これは本当にヤバかった。木の棒と釘を使ってGoogleで調べた画像を頼りに見事イーゼルを完成させた。後ろに伸びる支え脚が異様に長いことは目をつぶってほしい。ポムは真面目でしっかり者で、すごいやつだ。稽古を見てフィードバックをするとき、小道具係という視点から物の使い方などを中心にコメントしていて、皆が見落としがちな点を簡潔に指摘していたのは本当にすごいと思った。プロやね。



ところで暗転の話に戻るが、そもそも暗転とは、辞書にその説明があるように、「舞台を暗くして場面を転換すること」である。よって明転とは、逆に舞台を暗くせず、照明が点いたままで場面転換をすることをいう。つまり、今回の舞台では3幕と4幕の間が暗転、1幕、2幕と3幕の間が明転といえるだろう。多くの演劇関係者は暗転という言葉を単に「暗くすること」のような意味で使っているが、まあ個人的にはそんなことはどうでもいい、伝わればいい、という気持ちである。



この謎の知識を得たのは私が中学1年の頃である。顧問のN山先生は突如、私と、同期のH澤さんを「舞台監督」という役職に命じたのである。何も知らない私は、やったあ偉くなったぞとばかり思っていたが、次の瞬間先生は、私にぶ厚い本を手渡した。舞台監督についてのいかにもつまらない本で、題名は忘れた。それを全部読めというからたまったもんじゃない。中1の私は従順にもその要求を飲み、結果的に私に残った知識は暗転の定義と、演出、舞台監督という役職の定義である。


ざっくりいうと演出は舞台上のトップ、舞台監督は舞台裏のトップというようなことが書かれていたと記憶している。私が携わった劇でそのような役職が、しっかりと機能した上で存在したのは今回のBeautiful Worldが初めてで、各部所のチーフさんやその他スタッフさんの働きには驚かされるばかりであった。何を言いたいかというと、スタッフの皆さん、お疲れさまでした!!ということである。


そろそろキャストに触れようと思うが、私はキャストでありながら出演したのは最終公演のみで、最初の2公演では音響操作を行っていたため、劇の全体図は他のキャストよりも多く見てきている。何度も見るうちに、この作品のメッセージ性がわかってきたような気がしてきた。正直言って、初めてこの台本を読んだときはあまり面白いと思わなかった。起伏がなく、平坦な物語だと思った。しかし違った。この作品が伝えたいのはもっと深いことであり、もっと身近なことだった。普通とは何か、幸せとは何か。自分を守ってくれていた存在を失ったとき、どう生きれば良いのか。アホな私に、この作品のそんな魅力を気づかせてくれたのは、演出で、誰よりも作品を理解しているりーさんであり、最高の演技をしたキャストの皆さんである。改めて、その能力を称賛すると共に、感謝を伝えたい。


先例に倣ってまずはぴっぴから。彼は頭がいい。ほんとに。周りを見渡す力があるし、多くの物事を同時に理解するという私が最も手に入れたい能力の所持者である。そういえば、彼が私のことを先生呼びするから、りーさんも真似し始めた。良くも悪くもないが、私が彼にどう思われているかは少々謎である。先輩方と仲良くしていてちょっと羨ましい。彼は、自分の世界のようなものをちゃんと持ってはいるが、他人といるときにそれをあまり出さず、相手に合わせてコミュニケーションが出来るすごいやつだ。そして、彼の演技はやはり筋が通っていて、しかも個性があって、いやあ、すごい。集中力もかなりある。作者さんと似た感想になるが、まさしくジュンだなあ、と思う。

ゴロリは恐ろしいやつである。私やぴっぴに対するツッコミが鋭いというか激しいというのは、現場にいた人間ならよく知っている。(ここだけの話だが、後輩や語科の同期を脅して公演に来させたという。本人は否認している。)何はともあれ、彼女はかなりストイックな人である。彼女の演技に対するその姿勢は尊敬に値する。稽古のときに演出さんや他の団員にフィードバックをもらっているとき、しばし役者としての見解を聞かれたり、演技の方向性を相談されたりすることがあるのだが、それらに対する彼女の返答はいつも的確で、おお、なるほどと思ってしまう。台本をしっかり読み込んでいて、その解釈を役に落としている。しかもその後の演技の修正もしっかりしている。そういえば、まだ配役が決定する前、読みあわせで彼女がキョーコさん役をやったこともあったが、彼女の落ち着いた演技は仲間由紀恵っぽさがある。

シャネルさんは、女神。多少大袈裟かもしれないが、私が劇団ダダンに入団しようと思ったきっかけとなった先輩である。役を自分に取り込んでいて、動作がいつも自然に見える。役に踊らされていないというか、台詞を読んでいる感じがなくて、キョーコさんがしゃべっているなあ、と思わせてくれる。作者さんにベタ褒めされていたが、なぜか私が誇らしい。私が個人的に好きな台詞は、「だってぇ、不味いんだもの」と「ごめんねェ、ヒラメしかなかったのっ」である。そして、演技はもちろん、演技していないときも大変素敵な方である。本当はものすごくしっかり者なのに、堅苦しくなくて、いつも自由気ままな感じ。だから信頼できるし、話していて楽しい。大人な女性である。あまり頑張りすぎず、体調にはお気をつけていただきたい。

上善さんは、すごくいい人である。全力でふざけるし、ちゃんとカッコいい。それから、可愛い。演劇に対してはすごく真剣で、アドバイスも、聞いていてなるほどと思えるものばかり。びっくりするほど勢いのある方だが、その人の好さ故に周りから愛されているんだなあと思う。いきなり叫んだり、天然なところがあったり、いつも場を和ませてくれるし、劇のこと、劇団のことをすごく大切に思っているのが伝わってくる。ラーメンをこよなく愛しているところも素晴らしいと思う。いろんなことを知っていて、人生の先輩としても尊敬している。本番の少し前に包丁で指を切ってしまったらしいが、その話を楽しそうに語っていた。痛そうだ。


そして、演出のりーしかさんである。先程も述べたように、私はこれまで演出という役職が存在する劇に参加したことがなかったため、今回の劇においてりーさんがやっていたことが演出としてなのか、団長としてなのか、よくわからなかったが、とにかくこの劇を引っ張っているなあという印象を強く受けた。脚本会議か何かのときから、りーさんはBeautiful Worldがすごく好きで、ちゃんと伝えたいことがあって、良い劇を作りたいんだという気持ちがあるのだと感じられた。

劇のメインテーマは、りーさんと、チロルさんという、衣装のエプロンに刺繍をしたり役者にメイクをしたりというすんごいお方が作曲したものである。小屋入りの間も何度か口にしていてしつこいようだが、これはすごいとしか言いようがない。音楽の才能が微塵もない私からしたらまずピアノが弾ける時点でかなりすごいと思ってしまうのだが、作曲となると本当にやばい。リアルガチでやばい。そして、ここは強調しておきたいところだが、お二人の生み出したあの優しいメロディ、繊細なリズムは、この作品を凝縮したように美しく、劇中で流れると驚くほどマッチしていたのである。2日目の昼公演後、本来なら客出し曲として用意されている音楽を流すのだが、その時は独断でメインテーマを流した(怒られる)。劇中では一部しか聴けないが、後半も皆に聴いてほしいと思ったためである。おそらくほとんどの人が気づいていない、あるいは気にしていなかっただろうが、そういった意図で私は音響の特権を乱用したわけである。

りーさんは公演1日目の開演直前に体調を崩し、その後しばらく劇場に来れない状態であったが、公演を重ねるごとに、私はこの作品のメッセージ性を徐々に理解していき、なるほど、りーさんはこの台本のこういうところに魅力を感じて、今まで演出してきたんだと、ひとり遅すぎる作品理解を進めていたわけだが、同時に、この完成形を早くりーさんに見てほしいとも思っていた。千秋楽、遂にりーさんが復帰し、私は役者として初舞台であった。あの公演を見て、満足とまで欲張りなことは言わないが、良いものが出来たと思ってくれていたら、個人的には大変嬉しく思う。



自分の頭の中で思い描く演技と、実際の演技を一致させるのはかなり困難である。私もやはり"自然な"演技というものが苦手で、何だかいつもしっくりくる演技ができない。演出さんにとってもきっと、自分の頭の中にあるイメージを役者に伝え、実行してもらうというのはかなり難しいことだと思うし、特に今回のような静かな劇は上手く作るのが極めて難しいと思った。その点、中学演劇や高校演劇ではだいたいお決まりのパターンがあって、大会などで上演される劇ではたいてい、人が死ぬか、誰かが叫ぶシーンがある。


Beautiful Worldも、浅く見れば「人が死ぬ系」に分類することが出来るが、深く見ればこれは自立の物語である。自分を守ってきてくれた存在を失ったとき、絶望に暮れるのではなく、前を向いて生きてゆこうという劇だ。最後のシーンで、キョーコさんは再びジュンの前に現れる。彼女に向かってジュンは、「俺、頑張って生きるよ」と言う。彼女は何も言わず、空を指さし、彼女の最後の作品である『星空とジュン』の絵が完成したところで、舞台は幕を閉じる。なぜ彼女は星を描いたのだろうか。ゲネ、そして本番でこのラストを見たとき、私は感動した。伝われ、伝われ!!と思った。お客さんたちは、この劇を見てどう感じただろうか。



そろそろ終わりにする。

もしまたブログを書く機会があれば、今回あまり触れなかった先輩方もぜひ紹介したいと思う。



2019.8.13 Harry (Potter)

最近ブルーだったこと。24時間テレビの観覧に行けないことが確定した。国技館近所なのに。活動休止までに有名人になるしかないかもしれない。